普通免許・二輪免許取得記① 初めてエンジンつき乗り物を運転してみたの巻

2019年07月31日 | 普通免許・二輪免許取得記

初めて我家で自家用車を買ったのは私が小学校3年生くらい

助手席に乗せてもらい父は色々なところへ連れてってくれました。

暫くすると「ギヤチェンジしてみるか?」と言って助手席からの

ギヤチェンジ。そして色んな状況で安全運転のためのレクチャー

「おい、駐車してるバスとかがいたら、その下に人の足とかないか

良く見ながら通過するんだぞ」「おい、交差点で安全かどうか

確認するのに、自分が見えるところまでいきなり出るんじゃなくて

車の一番前が交差点から出ないように一旦止めるんだぞ」など

免許取得して路上デビューはまだ10年近くある小学校低学年の

私に教えながら運転してました。で、小学校5年生の頃、空き地で

父が「チョット運転してみるか?」と言って初めて運転してみました。

そのうち当時晴海か豊洲辺りの造成中の土地で区画整理程度が

終わった場所の通常立入り禁止場所の鍵の管理を任されている

とかで、休日にそこで鍵を開けて、ちょっとした模擬市街地って

感じのところでで練習なんてこともやった覚えがあります。

オートバイはこの頃の子供なら良くありがちな、近所の人とか

親戚とか大体どこかにあるスーパーカブとかの実用バイクに

乗せてもらった、ってことでしょう。私は小中学の頃、チョコットだけ

乗せてもらったことはありましたが、アトは教習所に通うまで一度も

乗ったことがありませんでした。


普通免許・二輪免許取得記② (二輪免許)規定教習の2倍以上かかったの巻

2017年12月24日 | 普通免許・二輪免許取得記

普通免許取得の前に、高校生頃になるとオートバイに興味がわきますので

免許のことを考えます。オートバイを初めて運転したのは、多分小学生の頃

親戚の家に有ったスーパーカブだったかな?広い庭の中で教えてもらったのが

最初かな?中学2年の頃にも同級生の家に有ったスーパーカブを近所の

空地に持てって乗り回した記憶があります。高一の冬休みになって教習所に

通いますが、オートバイの知識なんてカブのチョイ乗りだけなので、当然のように

指定教習所を選びました。この頃はアルバイトなど収入は全然無いので費用は

親頼み。本屋さんで買った『二輪免許合格』みたいな本には「小排気量の免許から

段階的取得」なんて書いてある。ちなみに当時は400ccの中型二輪免許はなく、

125ccで区分してました。免許費用を出すスポンサー(親)にそのことを言うと

「そんな面倒なことせずに、何でも乗れる免許一回で取れ!」なので、なんでも

OKの自動二輪免許を取ることにして、府中運転免許試験場の隣にあった教習所

(数年前に閉所したみたい)で練習開始です。この頃は実技の最低教習時間は

5時間だったと思いますが、第一段階のCD125での教習から苦労して教習終了

まで15時間くらい掛かったんじゃないかな?現在の免許制度では最低の

教習時間は19時間らしいので、まぁ、今のレベルだと常識的な技量の範疇に

収まっているかも知れません。そんなこんなで、教官には「ベテランになっちゃたねぇ」

なんてからかわれたりしながら教習終了。そのおかげか?卒業検定は一発で合格。

試験場での学科試験も1回で合格し晴れて自動二輪の免許が取得できました。↓

今はどうか知らないけど当事は若年層の二輪車による事故が多発していたためか、

免許証交付前に保護者宛に手紙が来た↓。何で今持ってんだろう?当時、親にも

見せたはずだが・・・。自分は全然問題ないけど、親に隠れて免許取った人は

この時点でバレバレになって怒られる仕組み

費用は5万円くらいだったのかな?普通に卒業できた人は3万円くらいの頃です。

免許取る前は、オートバイは「普通免許を取って車に乗れるようになるまでの

高校時代の2~3年乗るだけ」なんて思っていて、二輪車にあまり興味が無かった

せいか、免許取得半年後に免許制度が400ccで区分されるとは知らず、あとで

「随分とラッキーだった」と思いました。車に乗るようになってもオートバイはず~っと

好きで、乗り続けてるなんて、その頃は想像も出来ませんでした。


普通免許・二輪免許取得記③ (普通免許)仮免許試験10回くらい受けたかなの巻

2017年12月02日 | 普通免許・二輪免許取得記

オートバイの免許取得のときと違い、少々腕に覚えがあるので

公認・未公認問わず教習所には一切通わずに免許を取ってみよう

と決めました。書店で「普通一種実技一発合格」みたいな本を買って

「ふ~ん、へぇ~」など知った気になっていい加減に読み飛ばして、

府中運転試験場に向かいます。試験受け始めたのは、たぶん

高校3年生の冬休みかな?「高校卒業までに受かれば良いか」

なんて軽く考えて・・・・。まずは仮免許試験。学科は1回でOK。

で、仮免実技。試験車はコラム3速のセドリック230型だったかな?

1回目の試験で、この後で本免許試験合格時も含め結構な頻度で

お世話になる試験官が採点します。この時はクランクの縁石を

乗越えたりして完走もできなかったと思う。発着点に戻り一言。 

試験官「君ぃ~、無免許で乗ってるでしょう?」 

私   「あのぅ、そのぅ 父親に教えてもらってます・・・・」 

試験官「無免許で乗ってる人の特徴が良く出てるよ」

あちゃ~ 試験官=警察官に悪い印象を持たれた・・・・・・

こりゃ試験場だけで免許取る計画は無理かも・・・・・。この後も

実技試験は予約制で、大体最短2週間のインターバルでしか

受験できず、試験も何度も落ち、たまに父親に空き地などに

連れてって貰い運転しますが、いわゆる教習所的なクランクやS字の

通過方法など学ぶ訳でもなく、ただぐるぐる空き地を走るだけなので、

試験場の走り方は何度も受験しながら学ぶ・・・・って感じでした。

そうこうしているうちに学科試験の有効期限(6ヶ月)も過ぎて、もう一度

仮免学科試験を受けることに・・・・・。 結局、仮免許試験は10回位受け、

合格の時は、試験コースが今まで全て方向変換のあるコースだったのに

その時は初めての縦列駐車のコースで「今日は100%ダメ」と諦め

ムードで試験を受けたら何故か合格という、ハチャメチャな仮免受験と

なり、ようやく路上練習が出来るようになりました


普通免許・二輪免許取得記④ (普通免許)路上練習なんだかドライブなんだかの巻

2017年11月03日 | 普通免許・二輪免許取得記

やっとの思いで仮免許を手にしたので、次は路上練習です。

「仮免許練習中」の表示板の材質は当時は金属限定(だと思った)

なので四角いクッキーの空き缶を利用して作り、父親を隣に乗せて

いざ路上練習へ・・・・。ふたりで注意事項にあった『ドライブにいっては

いけません』に「練習とドライブの違いってなんだ?」「途中で温泉とか

入ったりしなければいいんじゃないの?」「ひたすら運転して必要最小限の

トイレ・食事休憩だけだな」などと言いながら運転開始。バイクにも

乗り始めていたし、子供の頃ドライブによく連れて行ってもらった

甲州街道から塩山方面経由で青梅街道に入り奥多摩経由で家に戻る

といういかにもドライブコースを行ったのを覚えています。山道での

減速には知識でしか知らなかったヒール&トゥを仮免許の分際で

実践投入(ダブルクラッチは小学生の頃にやってたけどね)。

もしかすると大月から河口湖・御坂トンネル経由石和とか回って青梅街道

経由で自宅へなんてコースもあったかな?。あと平日に父親が家に帰ってから

夜に少し練習したんだろうか?仮免許とはいえ、おおっぴらに路上で自動車を

運転できてうれしかった思い出があります。5日以上と結構な距離(山梨まで

行けば1日で200km以上)を走った路上練習が終わり「俺ってちょっと

運転うまい?」「本免試験は1回で大丈夫?」など、ちょっと天狗になって

府中運転免許試験場に向かいました


普通免許・二輪免許取得記⑤ (普通免許)路上試験は2回だったの巻

2017年10月15日 | 普通免許・二輪免許取得記

路上練習は結構な距離を走りましたので、本免試験は「1回で

受かるんかな?」なんて思ったりもして・・・・。学科は1回でOK。

で、実技試験の一回目、特に問題も無く東八道路(当時は「30m

道路」とも言ってた)を東進し「天文台北」交差点を左折し、すぐ次の

「大沢」交差点を再び左折し東八道路方面に戻る時に事件発生。

ハンドルの戻しをある程度キックバックに依存し手で戻す方向に

回さなかったら、切れ込んだまま左の電柱に接触寸前

試験官に補助ブレーキを踏まれ試験終了。「気ぃ~抜いちゃダメだよ」

とか言われたのかな?。本免試験は2回受け、どのコースを走ったか

なんてすっかり忘れてますが、この「大沢」交差点だけは、今でもはっきり

覚えて、この交差点を通るたびに「あぁ、試験の時にここで失敗したなぁ」と

思い出します。で、2回目の路上試験。仮免許1回目の「君ぃ~、無免許で

乗ってるでしょう?」の試験官が何度目かの採点を行ないます。今回は無事

全コースを完走し結果発表。「ん、合格っ。親父さんに教えてもらったんだろ?

一升瓶でも持ってって感謝するんだぞ。」と言っていただきました。でも

若気の至りで態度がでかかった私は「あっ、うちの親父、酒全然飲まないっす」と

軽く返答してしまった。今でも、この合格の時のやり取りを時々思い出し「何度も

採点してもらい、合格の時の試験官だったのに、横柄な受け答えをしてしまったな」

と反省。今はちゃんと感謝していますよ。交付はちょうど40年前↓

貧乏人の私は試験場の前の代書屋のおばちゃんの手招きの誘惑に負けず

住所等自筆OKの箇所は汚い字でも全て自筆↓

費用は2万円を若干超えた(数十円~数百円)程度で済んでいると思います。

当時、指定教習所で順調に卒業して10万円ほどとのことだったので

だいぶ節約できたのではないでしょうか?このころは普通免許取得で

充分満足していて、まさか40年後に大型免許を取得しようなんて

夢にも思ってはいませんでした。