白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

Wiener Philharmoniker @ Suntory Hall, Nov 10, 2010

2010-11-15 | 日常、思うこと
11月10日を、かれこれ数ヶ月間、待ち焦がれていた。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会である。
そういう日に限って、手持ちの仕事が滞ったり、
無用のトラブルや処理に追われたり、
別の仕事が降って湧いたりする。
東京駅からタクシーに乗ったものの、
運よく信号や渋滞につかまることもなく、
開場時刻過ぎに、サントリーホールに着くことが出来た。





今回のウィーン・フィルの来日公演は、
そもそも小沢征爾の指揮によるもののはずだった。
ウィーン国立歌劇場の音楽総監督の辞任に併せた
餞としての、肝いりの企画だったと想像される。
ところが、小沢氏の癌の罹患に伴う手術・休養により
エサ・ペッカ・サロネンが代役となった。
演目も変更され、マーラーの交響曲第9番が
演奏されることとなった。
僕が大枚を叩いてチケットを購ったのはこの時のこと、
まさか、サロネンが来日をキャンセルして、
指揮者と演目が再度変更になるなど、思いもしなかった。
10月13日、メールでその知らせを受け取った時には
チケットを払い戻すことも考えたのだが、
更なる代役としてのジョルジュ・プレートルの来日と、
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」への演目変更に
大変な魅力を感じて、思いとどまった。





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ジョルジュ・プレートルは1924年生まれのフランス人で、
一昨年と今年のウィーン・フィル・ニューイヤーを振って
日本でも一躍知名度を上げた感があるものの、
国外では、メトロポリタン歌劇場、ウィーン国立歌劇場、
パリ・オペラ座に頻繁に出演してきた経歴を持つ。
プッチーニ、ヴェルディからワーグナーまでを指揮し、
「ジョージ・セルが巨匠扱いされたら音楽界は終わり」と
語ったマリア・カラスに、重用された時期もある。
また、フランス6人組、特にプーランクの演奏でも知られ、
作曲者による2台のピアノのための協奏曲の演奏を指揮した
映像も残っているほか、
1960年代初頭からは、マーラーの交響曲を頻繁に採り上げた。
無論、フランス作品に対する評価は高い。
近年ではブルックナーの録音も発売された。





このように、極めて広範なレパートリーを有するのだが、
その解釈は非常に個性的である。
アインザッツ等の縦の線を重視しない代わり、
伸縮自在なアゴーギグや大胆なデュナーミクの変化、
声部の出し入れの妙による立体的な演出を即興的に行う。
静と動、燃焼と抑制の対比が明確で、生命感と躍動感に
溢れた音楽を演奏する。
即興性といえば、ハンス・クナッパーツブッシュや
ウィルヘルム・フルトヴェングラーのような、
いかにもドイツ的な濃厚なロマンティシズムを思うのだが、
これらの過去の巨匠と呼ばれる指揮者と比べると、
プレートルの音楽はよほど軽やかである。
深みに乏しいという意味ではなく、響きは充実していて、
何よりも歌に溢れていて、自然な呼吸がある。
だから、聴き手は変なストレスや圧迫感を強いられない。





こうした解釈には汎用性がある。
国籍や職歴に拘る割にミーハーな、頑迷固陋の聴衆以外には
こうした音楽は実に、胸のつかえが下りるように入って来る。
プレートルの師にあたる、アンドレ・クリュイタンスは
ラヴェルやドビュッシーといったフランス音楽の大家だったが、
フルトヴェングラーの没後間もない時期のベルリン・フィルと
素晴らしいベートーヴェンの交響曲全集の録音を残しているし、
バイロイト音楽祭にも出演している。
クリュイタンスは即興性を重視する指揮者だったそうであり、
プレートルの即興性は、師に由来するものなのかもしれない。





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当夜のプログラムは、次のようなものだった。

シューベルト     交響曲第2番変ロ長調
ベートーヴェン    交響曲第3番変ホ長調「英雄」
ブラームス      ハンガリー舞曲第1番ト短調
ヨハン・シュトラウス トリッチ・トラッチ・ポルカ





コンサートマスターであるライナー・キュッヒルの先導で
楽員が入場してきた。
コントラバス・セクションには、7本の楽器しかない。
1週間前、ウィーン・フィルは、コントラバス奏者の1人が
富士山で滑落死するという形で失っていた。
こうした事故は、ウィーン・フィルのみならず、世界各地の
オーケストラの来日公演においても類例のない、
痛ましい出来事だったと想像される。
しかも、「英雄」の第2楽章は葬送行進曲である。
何たる巡り合わせだろうか。
チューニングの際の、弦楽の音色にウィーン・フィルを感じ
しばらく呼吸を整えていると、
やや足元がおぼつかない様子で、プレートルが現れた。
しかし、指揮台には補助段も、転落防止柵もない。
よっこらしょ、という風情で登壇するプレートルの風貌は
東野英治郎のような好々爺、黄門さまのようである。





シューベルトが響きだしてしばらくして、あろうことか
僕は眠ってしまった。
は、っと気付いて眼を醒ましたのは、シューベルトの
交響曲の終結を告げる最後の和音が消えた後の拍手の時、
30分も「死んでいた」。
疲れもあったのだろうが、何か音楽の中に揺らぎを感じて
脳がシャットダウンしまったのだろう。
コンサートで眠ってしまうなどということは初めての経験、
しかも、ウィーン・フィルを眼の前にしてのことである。
こんな口惜しい贅沢はない。
ブラームスが自作をリストに演奏してもらっている最中に
眠ってしまったのとはわけが違う。
嗚呼、35,000円が、と、不図、現金なことを考えてしまい
休憩中に珈琲を呷った。





客席には、かつてソニーのCEOだった出井伸之氏ら財界人、
宇野功芳氏ら評論家、演奏家の姿が見える。
ウィーン国立歌劇場の次期総監督への就任が決まっている
フランツ・ウェルザー・メストの姿も見える。
そうして休憩後に演奏された「英雄」は、シューリヒトの
往年の演奏を彷彿とさせるもので、大変な演奏だった。
リズムを拍ではなく間によって整えていくような解釈や、
特定の声部の聴き慣れない強調、テンポの自由な加減、
感情豊かでありながら、決して重苦しくならない歌い方等、
それだけを取り出せば違和感があるはずの要素が総合されて
見事な統一と秩序が生まれている。





独墺系の本流とされるような演奏からは遠く聴こえるのに
よく聴けば聴くほど独墺の伝統に根差していることがわかる、
奇妙奇天烈なようで正統的な名演だったと思う。
プレートルの明確な意志に対するウィーン・フィルの信頼が
可能にしたものだろう。
何より、ウィーン・フィル独特の豊麗な音色の七変化を
聴くことが出来たのも、貴重な経験だった。
輝かしいフィナーレのコーダもさることながら、第2楽章の
葬送行進曲はこの日の白眉で、7本のコントラバスの奏でる
冒頭の音型の、地の底ですすり泣くような音は、
1週間前の悲劇を知る聴衆でなくとも、揺さぶられただろう。





アンコールのハンガリー舞曲とポルカはやりたい放題で、
ハンガリー舞曲における自由なアゴーギクとテンポの変化、
豊饒かつ濃密な、あざとさすら感じるロマンティックな歌と、
自家籠中のポルカの天衣無縫な疾駆には、唖然とする他にない。
技術面では、コンセルトヘボウやバイエルン、シカゴ等に
劣るかもしれないが、信頼する指揮者の下での機能性の発揮、
ドライブ感、豊麗・芳醇な音色といった点での美点では、
さすがに、世界の頂点に君臨するオーケストラである。
終演後、楽団員が全員退出してしまった後も、
聴衆のスタンディング・オベーションが止まない。
プレートルは2度、舞台に姿を現して口づけを空中に投げ、
万雷の拍手の中、去って行った。
高齢の指揮者に対して、終演後、総立ちで拍手を送る慣習は
朝比奈隆に対するそれに始まるようだ。
巷では、「一般参賀」と呼ばれているらしい。





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写真は、当日のプログラムと、東京ビッグサイトで開催された
「デザインフェスタ」で買い求めたフィンランド国旗(卵)の
ツーショットである。
同じ「木」が生んだ音、交響曲の響きを、この卵はどんなふうに
聴いたのだろう。
どんなふうに孵化してくれるのか、楽しみなところではある。






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