白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

I love festival hall

2008-04-20 | 日常、思うこと
今後の予定

5/20~21
キース・ジャレット・ソロ・コンサート@フェスティバルホール、
リッツ・カールトン大阪に滞在。
5/31~6/1
大学の同級生の結婚披露パーティ@三宮、
ホテルオークラ神戸に滞在。





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チケットぴあから届いたキース・ジャレットのライブの
チケットに、I love festival hall と印字されていた。





僕がフェスティバルホールを訪れたのは今までに4度ある。
1度目は、2001年4月26日、キース・ジャレットが
慢性疲労症候群を経て初めてトリオで来日したときのこと、
一緒に行くひとのために、冬の朝6時からチケット販売店に
並び、舞台から4列目の席を取った。





2度目は、2002年10月27日、キース・ジャレットの
ソロ・コンサートのときのこと、
開催直前になってチケットを取ったために2階席中央だった。
開演間近になって、舞台のピアノの傍らに置かれた台に
キースのための飲料水を置きに来た白髪の男性が、
ECMレコードのマンフレート・アイヒャーその人であることに
気がついて、今日の演奏が録音されるであろうことを察した。
果たしてそれから2年半を経て、その日の演奏はRadianceと
題されたアルバムとして、発売された。





3度目は、2004年10月3日、ジョアン・ジルベルト初の
大阪公演のこと、
当時交際していた女性と、もうひとり、Yと一緒に訪れた。
ジョアンの到着が遅れ、ホテルを出た、いま会場に着いた、
楽屋入りした、などという場内アナウンスのたびに拍手が起き、
予定からちょうど1時間遅れて始まったそのコンサートでは、
演奏開始から4曲でジョアンが沈黙し、30分もの中断があり、
終演を告げるアナウンスが突如途切れ、アンコールのために
ジョアンが舞台に現れた際に、会場に集まった2700人が
総立ちで拍手を送った。





4度目は、2007年5月3日、キース・ジャレットのトリオの
公演でのこと、
パトリシアのために半年も前から先行予約を取った。
一曲目の演奏後、舞台の照明が明るすぎたことから、キースが
神経質そうに何度も舞台への出入りを繰り返し、
ようやく演奏が再開されようとした瞬間に響いた携帯の着信音に
会場全体が失望とため息と憤りを込めたざわめきを発したとき、
キースが一言、その照明器具に向けて「I'm sorry」と発して
会場を笑いに包んだ。






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今回が、5度目となる。
そして、現在のフェスティバルホールに足を運ぶのは
最後になることだろう。
間口30mの舞台に2700名収容という巨大な箱で
ありながら、
ジョアン・ジルベルトの発するギター・フレットの擦れの
微弱音が、何の増幅装置を用いずとも会場全体に響くという
優れた音響もさることながら、
演奏者と聴衆が呼吸を交わしあえる気がするほどの密接な
空間のあらわれかたは、このホールにしかない。
ディープ・パープルもマイルスも、このホールでの名演を
残している。





朝日新聞社の収益構造や今後の経営方針、社会の公器と
しての役割云々、といった議論を一切無視した上でいえば、
フェスティバルホールを取り壊すなど、愚挙の最たるもの、
と言い切ってしまってもいいだろう。
文化事業に対して経済合理性を以て事業成果を評価すれば、
おそらくそのすべてが事業廃止となってしまうのが
この国の世情なのだから、それも仕方のないことなのか。
建て替えられた後のフェスティバルホールは、おそらくは
最新鋭の設備と広い座席とバリアフリーを実現した、
おそらくは「何の重みもない」ホールになるのだから、
これに「重み」を加えていく人間の文化の営みの在り方を
さまざまに検討し、試みていくことしかないのだろう。





ともあれ、わざわざ自分のコンサートに
I love festival hall と冠したキース・ジャレットの
その演奏がどのようなものとなるのか、どのような音を
互いに呼吸できるのかが、ひそやかな楽しみではある。





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先日、大学時代のサークルの同窓生から連絡が入り、
結婚するので、その二次会にぜひ、という誘いが入った。
自分の部屋が汚いから、という理由で毎日泊まりに来る
女の子に、俺が襲いかかったらどうするのか、と尋ねて、
どうせへたれだから何も出来ないくせに、と返され、
何の反論もできないままに傍らで眠る彼女のそばで空しく
夜を明かしたことのある彼だから、
よくもまあ結婚しよう、と口に上せることが出来たものだ、
と、驚きとともに感慨も深かった。
まさか彼に先を越されようとは思ってもいなかったけれど、
めでたいことこの上ないことだから、出席します、と
即答した。





仕事と眠りの往復で、近い所に誘える友達も誰ひとりおらず、
拒絶に対する過剰な恐怖と臆病のために誘いも出来ず、
土曜日曜は完全に引きこもってピアノを弾き本を読んで
酒を飲んでいるという絶望的な状況にある身では、
それは結婚どころか、交際もままならず、
遠ざかり、忘れられるだけだな、とため息をついている。





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今日はほんとうに久しぶりに休日に外出した。
とはいえ、誰も誘う相手もいないのでひとり、
ふらりと滋賀県の信楽に赴いて、6時間ほど、
いい酒器はないだろうかと、徳利とぐい飲みを
捜し歩いた。
予定外に諭吉が消えたけれども、坂本繁二郎の
絵画のような釉薬の色の出た、景色のよい器を
購うことができた。





帰宅して、一献。

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