白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

ブルーノート東京、8月20日

2009-08-21 | 日常、思うこと
僕のすぐそばの席で、この写真の左側ふたりが
ライブを見ていたのだけれど、
このうつくしいひとはいったい誰だったっけ。






君は僕を忘れるから。
そう記してから2年と3か月が経った。
概ね、そのとおりになったかな、という実感がある。
今日、ブルーノート東京のセカンドステージで、
矢野顕子が「すばらしい日々」(ユニコーン)を歌った。
僕は大学から療養の時期にかけて、
深夜、よくこの映像を観ていた。

この曲について、僕は過去にこう書いている。





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(以下、2007.5.27 再録)


死にかけて一ヶ月ほどたった2003年の秋頃だろうか、
休職をいいことに、社員寮で毎夜のごとく酒浸りとなる
生活を送っていた頃、午前3時を過ぎると
よくNHKの深夜映像を眺め観ていた。
東京下町、早稲田近辺を包む暖色のふわりとした柔らかな
麦色の陽射しの景色に重ねられていたのが、
矢野顕子の歌う「すばらしい日々」だった。





大学時代、Yに呼び出されて箕面市牧落のTAROコーヒーで
ケーキとキリマンジャロとピースミディアムを喫して
数時間を過ごした後、
阪急箕面線沿いにではなく、いったん桜ヶ丘へと上って
豪壮な家屋敷並ぶ界隈を、5月の鮮やかな碧青の空の下に
阪急桜井駅まで居並んで歩いた。
紅葉橋の下にさざめく水音と道へせり出した木々の枝越しに
道を揺する木漏れ日の中を、
いつか溶けてしまう大切な氷を、大切にしようとして思わず
抱きしめてしまうような愚かしい切ないこころで歩いていた。





3年半前、矢野顕子の歌は、その気持ちを見透かすように
夜半の僕を風に巻いた。
Yのために砕いた心や消費したエネルギーばかりでなく、
Yに2度と会うことがないだろうことを納得させてくれた。
Yは今も相変わらず元気に過ごしているようだ。





この曲の入ったCDは人にあげてしまって、
この2年ほどは聴く機会も無かった。
金曜、勤めからの帰途、ブックオフに立ち寄って
この音盤をみつけ、購った。
大学4年の頃、毎晩のように酒を酌み交わしながら
他愛も無い、けれど確実に刻印された会話が
繰り返されていた箕面市瀬川のデザイナーズマンションに
絶えず流れていた、MONDO GROSSO feat. birdのLIFEと
合わせて、2200円ほどを耳に注ぐ。
今も、この曲を聴いて浮かぶ景色は、箕面の山の手の
きらきらとした坂道で、変わらない。





矢野顕子は飄々と、しかし諦観を湛えながらも現状を受忍する
ユニコーンの原曲を丁寧になぞり、
一通り歌い上げたあと、Gm,Cm,F7,B♭,E♭,Cm,D7 という
コードを情念を込めて弾き進め、
「君は僕を忘れるから」というフレーズを繰り返す。
奥田民生がちょうど僕の今の年齢の頃に書いたこの曲は、
いまは僕に近しすぎる。





「僕らは離ればなれ たまに会っても話題がない
 いっしょにいたいけれど とにかく時間がたりない
 人がいないとこに行こう 休みがとれたら
 いつの間にか僕らも 若いつもりが年をとった
 暗い話にばかり やたらくわしくなったもんだ
 それぞれ二人忙しく汗かいて

 すばらしい日々だ 力あふれ すべてを捨てて僕は生きてる
 君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける

 なつかしい歌も笑い顔も すべてを捨てて僕は生きてる
 それでも君を思い出せば そんな時は何もせずに眠る眠る
 朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える
 君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける」


(引用 了)


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あの秋の明け方に眺めていた映像のなかの街、景色に
いま僕は息吹いている。
往来の一点景、輪郭はぼやけているかもしれないが、
それでも、こころなく無関心なものにはなりきれずに。




仕事終えて、日本橋から本郷に戻り、休憩してから
表参道まで、丸ノ内線、半蔵門線、
骨董通りを進んでいくと、ブルーノートの前の歩道は
もうすでに人であふれている。
受付の手続き後に渡された円盤記載の番号は74番、
もはやよい席は望めない。
ホワイエには数多くのひとびとが集っていた。
編集者、ミュージシャン、モデル、芸能人といった
僕でも顔を知っている顔も、ちらほらいる。





10代の大学生から40代のサラリーマン、
60代のマダムといったひとびとに交じって、
僕はひとり、案内の順番を呼ぶ声を待っていた。
うろうろしていて、あ、とぶつかりそうになった
その相手は糸井重里氏だった。
あまりの混雑ゆえか、僕のあてがわれた席は
ピアノのちょうど対角線あたり、
ラブリーカップルと相席。
頼んだギネスは開演までには届かなかった。





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くるり、ラスカルズ、ユニコーンなどのカバー、
自身のニューアルバムの曲、まったくの新曲、
過去の有名曲などでしめられた選曲、アレンジは
ウィル・リーの圧倒的なグルーブと技術、
時折交じる魅力的なヴォーカル・口笛、
独創でありながら楽曲構造を破壊しないラインに
新たな魅力を加えられていたものの、
アンソニー・ジャクソン&クリフ・アーモンドの
前衛的かつ柔軟な音に馴染み過ぎたゆえか、
音を運んでいく世界観やその展開の仕方において
若干一本調子に聴こえた。
その傾向は特にドラムに顕著だったように感じる。
ダイナミクスの幅の狭さと微妙な意思疎通の齟齬が
あちらこちらに散見されたように思う。
楽曲に対する理解度の問題である。
バンドとしてはいまだ発展途上のように思われた。





しかしそれとて、敢えて指摘すれば、という程度の
ことであって、
圧倒的な技術に支えられたグルーブは、シンプルな
リフの繰り返しでも、こちらの身を揺らした。
まるでスティーリー・ダンを聴いているような錯覚。
そして、矢野顕子のピアノと声、歌に、
「すばらしい日々」に、ぐしゃぐしゃにされたあと
揺り戻されて、
すべてが今初めて生まれてきたようなもののように
感じられるような音楽との関係を取り結べた僕は
きっと、幸せだったのだと思う。





君は、僕を忘れますか。
表参道駅、23時15分。






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