白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

六本木から歌舞伎座まで

2009-04-26 | 日常、思うこと
木曜は、かの椿事のあった六本木にてパーティーであった。
六本木ヒルズにて、毛利庭園を眺め見ながらワインを飲み
芝生で裸になろうと提案したところ、ここはテレ朝だ、と
やんわりと注意された。
仕方がないので、今度はMR.BATERを演じてみせたが
これもまた、ここはテレ朝だ、とやんわりと注意された。





場所を変え、バウハウスという名のハードロックバーに入り
飛び入りでDEEP PURPLEナンバーを演奏し、
さらにバグースという名のビリヤード場に入って数ゲーム、
時計を見ると丑三つ時、これはもはや平日の行動ではない。
この時ばかりは、タクシーチケットの恩恵にあずかる。
おそらくは、バブルとはこのようなものであったのだろう。
夜毎の酒宴と、数々の娯楽を日替わりにして、
皿盛りの料理などには手をつけず、どれだけ下駄を履かせたか
紹介文句で騙したか、法外な値の酒と逸品と称されるものを
食べ切れぬほど、呑み切らぬほどに注文し、
忙しく刹那の享楽を重ねていく。





そんな宿酔の空しさも、次の夜にはもう消えて、綺麗忘れて
銀座赤坂六本木。
東京に来てひと月足らずにもかかわらず、
僕も全ての場所に足を運んで夜を過ごした。
青山、池袋でも夜を過ごした。
残るは新宿、歌舞伎町、よりは、ゴールデン街がいいかしら。
銀座のルパン、などという店にも足を運ぼうかしら。
せめて新橋、有楽町か。
向島には伝手がある。けれどまあ、神楽坂へは、難しい。





ここのところ、深酒しても半日あれば酒が抜けていたのが、
翌日の夕方終業時刻近くまで引き摺るようになり始めた。
おそらく年齢的なものが理由だろうと思う。
無茶な飲み方をしなくなったと思ったら、今度は限界酒量の
引き下げを余儀なくされそうで、
これもまた、30手前の逡巡のひとつの材料になるはずと、
悩ましいことである。
とりあえずは、質のいい酒を飲むようにしている。
安酒は味も悪いし、体にも悪い。
高い酒なら、酔いも程よく、覚めも爽やかで、体も軽い。





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金曜、仕事を終え、日本橋で軽く引っかけた後、
東京駅にて待ち合わせ、後輩を家に招き、
友川かずきを聴きながら、歓談。





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土曜は、気温10度、北西の風強く、叩きつけるような大雨、
銀座から晴海通りを東に歩き、歌舞伎座の前へ着くと、
あたりは昼の客と宵の客とが入り乱れ、無数の傘が押し合い
へし合い振り振られ、あちこちから水飛沫が降りかかって、
折角丁寧にアイロンがけを施してきたスーツも
随分濡れてしまって、全く散々なことになった。





1階5列30番に腰をおろすも、雨濡れの若干のいら立ちと、
隣席のマダムの香水の具合に我慢ならぬ不快を感じ、
数分で若干の吐き気を覚えながらハンカチで口鼻を押さえつつ
ホワイエへと歩み出た。
有形登録文化財であり、建て替えを巡る論議が盛んだという
現在の歌舞伎座の建物は、その劇場本体とは別の部分で、
廊下やロビー、階段などの共用部分の狭隘さが気にかかる。





午後4時30分、吉右衛門の「彦山権現誓助剱」に始まり、
仁左衛門・玉三郎による「廓文章・吉田屋」をはさみ、
最後に藤十郎の「曽根崎心中」という、
4時間をゆうに超える大歌舞伎であった。
そして、何とも贅沢な配役である。
六代目三遊亭圓生、八代目桂文楽の「寝床」において
主人の語ろうとする演目、いわゆる義太夫物ばかり、
上方演目が並び、義太夫と太棹の響きに身体陶然となる。





寸分の隙もない芸の前では、批評の眼も言葉もなく、
魅されて惹かれて、じいっとそこに居るより他がない。
77歳の藤十郎が演じる19歳のお初、
そこに「お前もずいぶんやつれて・・・」との台詞には
正直吹き出しそうになったものの、
死を決意した女の意気が匂い立ってくるあたりから
大阪女の健気さがいや増しにする悲しみ、激情が渦巻き
やがて、そこには本当に19歳の遊女が出現していた。





しかし、今回の白眉は「廓文章・吉田屋」での
仁左衛門と玉三郎であろう。
江戸紫と黒の紙子に、金銀糸の散らし書きを縫いつけた
衣装をまとい、
泰然としつつも邪気はなく、それでいて嫉妬深く、
愛らしく拗ねてみせる仁左衛門の華と色気もさりながら、
玉三郎演ずる遊女夕霧の出、そのあまりの美しさに、
思わず息を呑み、やがて嘆息して、凍ってしまった。
生身を鍛えた型と所作が、絢爛豪華な衣装に包まれて
そっと覗く、その先の、たった指一本の微かな動きに
観ているこちらが結晶板のごとく、全身で感応する。
身を尽くす女の、愛する男に触れようとする指から、
その情の深さが、全きかたちで伝わってくる。
玉三郎を観たあとは、「彦山権現」を忘れてしまった。
本当に、「曽根崎心中」を観ずに帰ろうとさえ思った。
「中村仲蔵」の定九郎を観た魚河岸の旦那の思いが
肌身でわかった。





終演後は、疲れと発作の気配を覚えて、銀座へ向かわず
地下鉄ですぐに帰途に就いた。
久々に、一滴の酒も飲まなかった。





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ぼんやりと起きぬけて、薫る風に揺れる白い洗濯物と、
窓下に延びる濃桃のツツジの花々を眺めて、
一杯の水を飲み、雲ひとつない碧空を呼吸してから、
涼しい朝に二度寝して、玉三郎の夢を観た。





すれ違ってしまっている時空を演者と観客がともに
飛び越えていくのが演劇だとするならば、
美は時空のきしみにも耳を傾けぬ超然であるのだろうか。







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