白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

身捨つるほどの

2010-05-05 | 日常、思うこと
ひとたび得た病が癒えるには、日めくり5枚では足りない。
新幹線の出発時刻が迫っても、
腹痛と頭痛がどうしても治まらず、布団に横になったまま
動くに動けないという状態だったから、
とうとう仕方なくタクシーを雇って、東京駅へ向かった。
ほぼ水しか口に出来ない状況で3日を過ごすと、
いとも簡単に、真っすぐ歩けなくなり、足もともふらつき
どうにもならない状態になるのがよくわかる。
名古屋駅で、いわゆる「振る舞い酒」を購った。
長野の「真澄 純米大吟醸 夢殿」と、
三重の「宮の雪 純米大吟醸」の2本、奮発した。





実家に帰り、初めにしたことは、
祖母の認知症の診断依頼と、公団住宅の入居条件の説明、
そして、妹夫婦の出迎えだった。
妹はもう苗字を変えてしまっていた。
新しい弟は、市川亀次郎似で、僕よりも年齢は一つ下、
国立大学の薬学部を出た好青年だった。
聞けば、レスポールやテレキャスターをかき鳴らした
時期もあったらしい。





一晩、ふたりで泊っていくことになっていたので、
近くの神社に参詣したり、墓参りに出かけたり、
結構、行事が頻繁にあった。
父方・母方の墓の両方の骨納めに、ミツバチが巣を作り
暴れてくれるのには難儀をした。
日当たりが良く、円筒型の花入であり、墓地の南西側に
立地しているという条件が、不思議にも一致する。
いずれにせよ、骨壷は蜜壷になっていることだろう。





ピアノを聴きたい、という要望に応えて即興したり
酒を酌み交わしたりして一晩を過ごしたのだが、
僕にとってはどうにも所在無げな時間だった。
決して楽しくなかったというわけではない。
南こうせつの唄のような気分も若干は感じつつも、
身の置き場所の無さを感じるほうが切実だった。
後輩達や同級生たちに訪れている幸福とよばれるものが
眼の前にあることに戸惑うばかりで、
こちらがいったいどうすればよいのかが皆目わからない。
ここは自分のいるべき場所ではなく、彼らにとって
自分がここにいることは悪でしかないと思って暴れ、
絶縁を繰り返してきた記憶がよみがえってもくる。





彼らをドライブがてら米原の駅まで送り、そのまま
ぼんやりと車を琵琶湖に向けた。
黄金の湖面が煌々として、光が網膜の世界を壊した。





妹夫婦は西宮北口に住んでいる。
西宮七園の閑静な住宅街で、僕がいつか住みたかった
場所でもある。
幸福を祈る気持ちは純真であると思う。
ただし、自分自身の問題として、わが身の現在に対する
ある種の悔しさや憤りをどうにも否定しきれない。
僕の知らないうちに、親が親戚連中に僕の縁談を依頼し
廻っているという事実を知ったので、
すぐに、やめてくれ、と頼んだ。






ようやく長い患いも癒えて、遅い時間の新幹線で
東京に戻ると、おもわず、ほ、っと溜息が出た。
とりあえず、11連休の半分が病臥であったから、
妹夫婦のもてなしもそれに加わって、休んだようで、
まったく休めていないのである。





帰る場所、戻る場所は、失われていくからこそ、
皆、作ろうとするのかもしれない。
正直にいえば、僕にはいま戻れる場所はないように
思っている。
この本郷とて、仮の宿でしかないのだ。

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