白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

fake

2008-10-26 | 日常、思うこと
私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命そうなピエロがひとり棲んでいて、
それは、紗の服かなんかを着込んで、
そして、月光を浴びているのでした。



ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、ついぞ通じたためしはなく、
あわれげな、思いをさせるばっかりでした。



手真似につれては、唇も動かしているのでしたが、
古い影絵でも見ているよう―
音はちっともしないのですし、
何を云ってるのかは 分りませんでした。



しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしそうなのでした。

               (中原中也 「幻影」)





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贋作者の眼をして
茫、とこの世を観る。
時折笑みを浮かべている。





・・・と、言いかけて、やめた。
俺はもう既に贋作者ではなく、
りっぱな贋作、それ自身なのだから、
贋作の眼で、というべきだった。





伝わるはず、のことばを偽造して
伝わるはず、として偽証した。
伝わるはず、のものは、
書物や芸術や顔や声から盗んできた。
それらを材料にして、ひとや音との関係を
かくあるべきものとして、
都合がいいように、贋作した。





ほら、そこらへんを歩いただけで
足跡にメッキが剥がれて貼りついている。
この鉄面皮をさもうすっぺらな化粧のつもりで扱って
さも自然に、繊細を装って、
光と影がほんとうは相補うのを隠蔽し、
世は闇ばかりと吠えたてていれば、
詐術がいつしかほんとうのことにさえ思われてくる。





贋作者は、真実とやらの弱点をいつも指摘して、
これを棄損したあと、じぶんの泥で穴埋めをする。
詐術が見破られた呪術師は風化して消し飛ぶのみ。
もしくは、重ねた詐術にいつしか自ら呪われて、
身のうちがわから、夥しい呪いの蟲に喰われるのみ。
愚かなり、贋作者はみずからの贋作に励むあまりに
けっして贋作され得ぬ事実のいっさいを見損なった。





そうして、つくりだした「作品」のいっさいを
失ったあと、
贋作者、もとい、贋作はひとり、アトリエの隅で、
じっと動かぬまま、笑っている。





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こころとは、おそらくは、
世界がこうあって欲しいという願いを材料に、
めいめいが贋作したものにすぎぬのではないか。
信頼と裏切りがそれについて回ったとて、
では、信頼なるものにどれほどの真実があろうか。
外は雨が降って、庭の紅葉がうっすらと橙に
色づいているが、
この贋作の眼に映るものは、どれほど美しくとも
贋作の眼に映る限り、おそらくはすべて偽物であろう。





対話のなかで、何とかして意を同じくしたいと願い、
そして実際に、それを確かめておきたいと願うとき、
必ずしも正しいこととして成り立たずとも、
受け入れてくれるひとがたったのひとりでもいるならば、
そのひととのあいだに往還することばなど、
きっと互いに誤読に次ぐ誤読を許してしまうことだろう。
誤読によって築き上げられた美しい友愛のすがたさえ、
友愛のなかに歌い交わすものたちには
それが真実として偽造されたものとは絶対に思われまい。





さんざっぱら贋作ばかりしつづけてきた今頃になって、
真実とは何ぞや、という問いになど、
ほんとうは思い至るはずもないのだ。
友愛を求めてそれが叶わぬと知った場合に、
どうすれば友愛を得られることができるだろうと思い、
それならば相手の期待や意図に屈し、そのようにして
ふるまおうとして、じぶんを偽造すること、
思い至って実行に移すのはおそらくこの程度にとどまる。
そこには真実性に対する倫理的な問いなど最初からない。






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幼い頃、ヒルに血を吸われたことがある。
泥人形が乾いたような顔をした土地の古老に

「おめえ山蛭に卵でも産み付けられたな」

と、笑われた。





きっと体内で山蛭が孵化して這い廻っているのだ。
この眼で見たことは一度もないが、
ひと肌や鍵盤に触れようとでもしようものなら、
指先にきっと、山蛭の口がゆっくりと開くのだ。
脂性で、手垢がべとべととあちこちに付着したり
足先の付いたフローリングの黒床が白化するのだと
そう思っていた。
違う。





この四肢末端のねばねばは脂ではなく粘液だ。
山蛭が喰いついた皮膚を溶かして血液の凝固を
遅らせるための粘液だ。
この指はもはや山蛭なのだ。
去っていったひとたちは、
この指先に、血を求める口がちいさく開くのを
きっと、見てしまったのに違いない。





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みずからを、ひとが好むように贋作しているうちに、
ひとが好まないものに対する意識が先立ちはじめる。
それを取り除こうとするあいだにも生きているから、
ひとが好まないものとしてのみずからが、
どうにも先立っておもてにあらわれはじめる。
交友を失くしたものに、じぶんを映すための鏡はなく、
贋作しつくした先のみずからの姿は、
かつてじぶんが最も忌み嫌い、なりたくなかったもの、
そのものとなることだろう。
それはもはやいっさいを失って、ただ通過されている、
ものの姿に相違あるまい。





そのものの眼付を、やさしいと、やさしそうだと、
ことばをつかう詩人は、いまここに現れようか。
贋作のなれの果てが笑っているのに足を止めてまで。






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