白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

年度替わり

2010-04-03 | 日常、思うこと
巨大な鐘が大地に蓋するような空、風の音。
千鳥ヶ淵の桜は何とか持ちこたえてはいたものの、
花の色は不健康に青ざめているようで、
あまり浮かれた花見にはならなかった。
日本橋に戻ると、東京駅から高島屋に通じている
さくら通りの辺りで、露店が並び、音曲が流れて
酔客が道端で騒いでいた。
これを傍目に、職場へと戻る。





今年は少し創造的な仕事をしようと思うのだが、
最近、知遇を得た大手商社や大手広告代理店、
映像制作会社の人から盛んに転職を薦められて、
正直、参っている。
彼ら同士は当然のこと、面識はない。
どうやら分析力とプレゼンテーション能力を高く
評価してもらっているところに、共通項がある。
曰く、今の僕の状況はもったいないらしい。
独身なのだから、身軽ではないか、とも言われた。
だが、彼らは僕の人生に責任を持てるのだろうか。





僕とて、決して転職を考えていないわけではない。
今の自分の境遇については、受け入れてもいない。
だが、と、立ち止まるのは、心身の状態を考えて
不安がどうしても拭いきれないからだ。
無論、齢30を超えた今が、最後のチャンスとも
考えられなくもないのは事実だろう。
ただし、それにはあまりに今の景況が悪すぎる。
今年の初め、大手人材派遣会社の人に転職の話を
してみたところ、
とにかく今はやめておけ、という答えだった。





考えているうちに、時間はどんどん経過していく。
どうすればいいかとうずくまっているうちに、
そうした話も、立ち消えになっていくのだろう。
今日一日、シューマンの交響曲を聴いて過ごした。
とりあえず、日々を誠実に生きようと思う。
無論、ただ生きる、という手もあるわけだから、
あとはこの一身、どう処するか。





さて、月初の人事異動後にまず行ったのは、
わざと使うのをやめていた、関西弁の解禁だった。
東京に慣れようと、東京言葉を使い続けていても、
自分の口から出てくる音や節に温度が無いような
虚ろな感じが、ずっと続いていたからである。
職場の顔ぶれに関西人が増えたのも契機だった。
やはり故郷の言葉は、しっくりくる。





今年度、おそらく身辺で起こるであろう事柄で
最も大きいものは、妹の結婚である。
知人の結婚、出産の便りを風の噂に聞くたびに、
よかったな、近い将来我が身にも、と思うのだが、
妹の入籍まであと一カ月を切っているらしいのに
親からも本人からも、相手の名前も顔も何もかも
一切知らされていないというのは、
一体どういうことなのだろうか。
全くもって、不可思議である。







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