白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

剥がれ落ちるこころの化粧

2006-05-27 | 音について、思うこと
曇り日の朝、障子越しにぼくの目蓋をそっと
微温とともに一撫でする光の、
そのわずかの重さのせいで
ぼくの心臓はどくん、と大きく打ち震えて
巨大な破裂音が眠れる脳髄の奥に轟いた
驚いて飛び起きたぼくは即座に左手首に右手を添え
脈を取った





周期を保ち 落ち着き払っている自分の脈動を確かめてから
やっと深く息をする方法を思い出し
大きく伸びをしてゆったりと息を吸いながら
身体のこわばりをストレッチによってほぐしつつ
ゆったりと息を吐き出して
枕もとのヴォルヴィックをゆっくりと飲み
もう一度横になると
ふたたびまどろみ始めた意識のために
ヘッドホンを耳へ取り付けて
音楽を頭の中の奥深くの底の無い深淵へと注ぐように
心身の裂け目を銀砂を用いて埋めるような心持で
祈りのような、願いのような心持で
再生した





瞼を閉じていても
障子の向こう側、窓柵に這い延びる真紅七分咲きの蔓薔薇が
風に揺らぎこすれてささらと音を立てるであろうことがわかる
夜半聞こえていた雨音はせず
自動車のエンジン音と通行人の話し声が時折聞こえては過ぎ去る





消えてなくなるものばかりが耳を過ぎ去っていく
それを聴くものも 絶えず消えてなくなっているのだから
それでいいのだろう





前夜に眠りながら響いていたエンリコ・ラヴァのTati
ボボ・ステンソンのGoodbye
いつしか音はキース・ジャレットばかりとなって
Staircase
The Out of Towners
そしてStill Live





My Funny Valentine
The Song Is You





The Song Is You





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リルケのように
薔薇を摘もうとして棘で指に怪我をして
破傷風にかかって死ぬことを求めるような音
閉じた目蓋の裏へ
縦横無尽に鍵盤を撫でつける手指が映像して
音は胸の奥底に緋色に滾る泉から沸き出でて
寝台にへばりついたぼくの身体を激しく突き動かした
けれど ぼくの指は実際には決して動くことはなく
それでいて 旋律に身を削られ 
律動にこころを断ち割られるような心持にもならず
全身に設けられた水門を開くように
ゆったりと眠るように





何事も思わずとも
涙というものは不意に湧き出でてきて
枕へとぽとりとおちていく
音に眠りながら涙して
こころをととのえ
こころのかたちがくっきりとなるのを待ってから
しびれる手で薬を飲み
ピアノの前に座り
たった1音も弾けずとも
律儀に廻る時計の針を見て
恋人同士が眼を覚まし
公園では親子が遊び
飲食店では従業員がめまぐるしく動き
駅前ではタクシーが来ぬ客を待ち
休日出勤の労働者が不機嫌な顔で電車に乗り
浮浪者がアルミ缶を拾い集めているさまを思い





彼らと等価である時間を
無音のなかに座ることと
有音のなかを歩くことの
差異について思うことに費やしていく





もしも歌があなたであるならば
もしも音楽があなたならば





しかし それを拒まれるのなら?
あなたは 音楽ではない、というのならば?





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一週間前
土曜の一日を大阪駅前のホテルでの静養に費やし
なるべくよい食事と酒を
たったひとり 22階から見える夜景を見ながら摂り
念入りに指圧を受けてから
十分に睡眠を取り
日曜 Lanonymatの練習に臨んだ





音源を聴き 話し合いつつ
すこしずつアイデアを出しながら
音を出し始めた
この日 ぼくの調子は確かによかった
共演者のトランペッターも同じことを言い
My Funny Valentineなどの
スタンダードのみならず
調性を保った上での完全即興を試みた





けれど トランペッターはこうも付け加えた
ぼくから出てくる音が完成されすぎていること
それに彩を付け加えることはできるかもしれないけれど
主体的に 音楽の創造に関われているという歓びが
自分のなかにあまり持てなかったこと
自分がいてもいなくてもいいような気分になりそうにも
なったこと





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心的作用の衝突と融合、引力と斥力、
これを音という物理現象のモードによって
人間が持ち合わせた時間の概念を捻じ曲げること
言葉にし尽くせぬものに表題をつけることの愚かさを
知っていくほどに
規則・規範・審美により奪われた遊戯の不自由さを
考えていけばいくほどに
音を試すことすら出来なくなって狂おしくなる





ひとりではできないことを
ひとといっしょに行おうとしても
それがもうすでにひとりでできているのなら
ぼくは根幹から自分自身を転覆しなければいけない
では、どうやって?





その場所で好き勝手に音を遊び
時には互いの音を聴きもせずに音を出し
互いがこの先に出すであろう音を勝手に予想して
互いへの歩み寄りなど考えもせず
自分がこれがよいと信じた音を出すために
孤独のままに、無我夢中になって演奏し





その場所で、その2人が音楽を作り上げるためだけに
懸命になるなかで
いつのまにか過ぎ去っていく音が音楽となるのも
悪くは無いのだけれど





演奏しているときに
自らが試みている音にとてつもなくうれしくなるように
それを分かち合えるように
力を尽くすしかないのだけれど





たった1音も出せずに
数時間を過ごすなかで
息の仕方を忘れ
心臓が激しく打ち
視野が狭穿して暗転し
舌がもつれる





初めて楽器に触れたときの記憶があればいいのに
初めて弾いた音の記憶があればいいのに
願い、祈ることほど遠くなる
大切なものも遠くなる
こころがすさみ乾いてしまわないように
潤いが必要なのに





途方にくれて振り返ってみれば
剥がれ落ちたこころの化粧の破片が
ぽろぽろと遥か連なっている






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