白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

アンドロメダ忌

2007-02-19 | 日常、思うこと
埴谷雄高、没。享年87。
2007年2月19日で、没後10年となった。




1995年1月、NHKでの5夜連続特集を視聴して
埴谷の存在を知った僕は、
この日の夕刊記事で訃報に接した。
「死霊」の未完に、青臭く生意気な感慨を抱いたことを
覚えている。




高校時代をシンセサイザーの打ち込みと受験勉強と
ドストエフスキーで過ごした僕が本格的に埴谷を読んだのは
浪人中のことで、「闇の中の黒い馬」であったと思う。
その後、幾つかの対論集、評論等を読みはしたのだが、
「死霊」には曰く近寄りがたい名状しがたい漆黒の冷暗を
感じていたせいで、大学時代にもついに「死霊」を
読むことはなかった。




はじめて「死霊」を読んだのは2003年、病によって
3ヶ月の休職を余儀なくされた折のことである。
当初学術文庫版で読んでいたのが、質感が物足りず、
全集版に買い換えて読み進めた。
その後、一昨年に再読している。




日曜には、僕と埴谷を結びつけたNHK番組を書籍化した
モノローグを読み、
埴谷を「馬鹿」と断じた蓮實重彦や浅田彰の言説を
あながち否定しきれぬ僕の意識に気付きもしたが、
その極北の孤独を思うと、底知れなさに身震いもする。




僕が埴谷から学んだことは、引き受ける、ということだ。
安易な日常を引き受けるのではない。
暗部を知り尽くしていても、盲目であるかのようにして。




埴谷の生に感謝し、黙祷。

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