白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

金剛輪寺参詣

2008-10-19 | 日常、思うこと
近傍隣家のリフォーム及び催し事の太鼓隊列から
発される騒音と家庭内の錯乱に嫌気がさして、
不調のボルボを駆って名神高速、彦根で降りて
ひこにゃんに会いに行こうとするも気が萎えて
多賀方面に走り、行きつけの蕎麦屋に入り、
眼の前の席に座る、仲睦まじいカップルの姿を
雑誌「東京人」アウトロー特集のページ越しに
ひとり眺め見ながら、三色盛り850円、美味。





食後、多賀大社へと歩いて、二礼二拍手一礼、
厄除及び良縁祈願。
境内広く秋の碧空高く赤蜻蛉群れ飛んで
一面の白玉砂利一層映える。
拝殿内での祈祷は一万円、本殿前での祈祷は二万円、
願い事一つ増すごとに千円割増料金、とのことで
イザナギイザナミ両命には申し訳なくも賽銭箱に百円。
日柄良く大安吉日。ひとの結婚する様子を眺め見て
場違いなりと覚えて、いたたまれず足早に辞去。





引き続きボルボを駆って湖東三山、金剛輪寺参詣。
書院の庭園こじんまり、紅葉薄らかに空染める。
あと二週間ほどで境内の樹木、血染めという。
水流れて木漏れ日が揺曳する石畳の細長く続く参道や
往時の僧房跡の平場を、
水子供養の地蔵が埋めている。
俗に千体地蔵というがその数、おそらくは数千に及ぶ。
供えられた数千の風車、光浴びて、
目覚ましい緑の地面の杉苔を背にして紅黄に回る。





息切れてようやく本堂を仰ぐ場に至ると、
鎌倉時代の国宝天台仏堂、七間四方の大建築にて
全容仰ぎ見ること叶わず。
堂内に入り、慈恵大師、四天王、阿弥陀、不動明王、等
諸々の如来菩薩観音混淆配置されており
殊に阿弥陀の姿が美しくあった。





本尊聖観音は秘仏、伝承によれば行基菩薩が一刀三礼で
彫り進めたところ、木肌から一筋の生血が流れ落ちたため
魂が宿った証として粗彫りのまま祀られたという。
厨子に覆われた本尊を前立ち観音越しに祈ると
身を峻厳な涼風で寒からしめられるごとく身震いした。
縮みあがるような恐れが過ぎ、祓われたような清冽さに
鎮められたか、安寧に祈り終えて、
ここにはほんとうの仏様がおられると感じた。





下山の折、過ぎるひとに多く声を掛けられた。
道を聞くひと、挨拶をするひとと見知らぬままに声交わし
過ぎ去る。
ひとの一生もこういうものかと思う。
むかしからひとに道を聞かれることが多い身である。
教えられる道などないが、進めばどこかに着くと答える。
折口信夫の旅を思う。





車を駆って日野、土山、鈴鹿峠を抜けて
高速道路にて帰着。





信心の運ばれる道すじというものが少々わかっても
平気の平左で肉と酒を食らって夜更ける。
バッハシャコンヌを聴いてこころ千々に乱れ走る。
願わくば錯乱と狂気消えて安寧のなかに共にあれかし。
錯乱と狂気消えて安寧のなかに共にあれかし。






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