舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

レフアナニ佐竹先生の思い出

2013-10-14 03:28:32 | ダンス話&スタジオM
只今午前3時半。
四代目(2歳7ヶ月)、絶好調覚醒中です。



なんなんでしょう、この睡眠時間のきょくたんに少ない2歳児は。
理想的な時間帯に寝かすためには(※理想というより妥協だな、なんたってヤツの就寝時刻はどんなに早くても日付変更線以降だから)、昼寝なしで頑張らんといけないのですが、今日彼女は一般的な2歳児が就寝するような時間帯にウッカリ昼寝してしまったため、期待も空しく1時間ほどで起き上がり、以来恐怖の夜の部が続いております。


もちろん、恐怖の夜の部に付き添うのは私。マミちゃんは就寝中です。
こうなったらもうブログ書くしか無いじゃん。
そうだ、タイミングを逃してなかなか書けなかった、あの事を書こう。


というわけで、本日はマミちゃんがハワイ留学時代にとてもお世話になった、レフアナニ佐竹先生のお話です。


佐竹先生はつい最近まで現役でご活躍していらっしゃいましたが、悲しい事に今年4月、天国へ旅立たれました。
マミちゃんの受けたご恩はいくらお礼を申し上げても足りないほどで、もっと早くお会いしておけば良かったと悔やまれます。

最後にお会いしたのはもう20年も前、オアフ島のあるクムのお教室で、レッスンを終えてお帰りになる先生と偶然鉢合わせした時でした。
日本のフラ界のパイオニアのお一人であり、生徒さんも大勢いらっしゃるにもかかわらず、どれほどキャリアを重ねてもご自身の勉強を続けていらっしゃる、指導者の鑑と呼ぶべき方でした。

その後、アラモアナのメイシーズ2階のパイナップルルーム(当時はおそらくまだリバティハウスであり、レストランも違うお店でした)へ移動し、ランチをご一緒させていただいた事が記憶に残っています。
あれが最後になってしまったなんて、先生との直接の面識が殆ど無い私も、残念でなりません。


今日は先生への哀悼の気持を込めて、母マミちゃんが佐竹先生にお世話になった思い出を綴ろうと思います。


マミちゃんは中学生の頃、出来たばかりの常磐ハワイアンセンター(現ハワイアンズ、あっそこで年数を数えないで)へ赴き、そこでフラを教えておられた佐竹先生と早川先生に出会いました。
先生方にフラを教えていただきたいと願ったのですが、あいにく当時はお二人ともお教室を開いてはいらっしゃらなかったため、ハワイアンセンターの初期ダンシングチームの皆さんと一緒にレッスンを受けさせていただいたりしたのち、十代でハワイに留学しました。


ちょうど時を同じくして、佐竹先生も日系人男性とのご結婚を機にハワイへ。
普通のサラリーマン家庭の娘でありながら$1が360円時代のハワイに留学したマミちゃんは、ただただダンス愛と行動力ばかり溢れているだけで絶望的にお金が無く、ついでに料理も出来ないなど生活力も無く(笑)、佐竹先生ご夫妻の存在無くしては生きていく事もままならなかったであろう事は、伝聞でしか知らない私でさえ容易に想像できます。

佐竹先生は恩人として先輩として、マミちゃんに様々な事を教えてくださいました。
ご自身の母校でもあるイリマフラスタジオをご紹介くださったばかりでなく、当時のハワイの最先端の一流ダンサーやミュージシャンのショーに連れていってくださり、あのニイハウシェルの事を「今後どんどん値段が上がるから、今のうちに買っておいた方が良いわよ」とアドバイスしてくださったのも先生だったそうです。
もっとも、ニイハウシェルは当時すでに10代のド貧乏留学生に買えるものではなかったため、アドバイスに従う事は出来なかった上、今では先生の予言通り思いっきり価格がつり上がり、やっぱり手の届かぬ代物です(笑)。
先生のご主人もとても優しい方で、先生とご一緒に何かと母の面倒を見てくださいました。


数年の留学を経てマミちゃんが帰国した後、日本で早川先生のお教室の発表会が開かれました。
マミちゃんはもちろん、引き続きハワイにお住まいだった佐竹先生も日本に駆けつけました。
しかし、佐竹先生の日本ご滞在中に、ご主人が突然亡くなってしまったのです。
そのため、佐竹先生もハワイを去り、日本に戻っていらっしゃいました。


お戻りになったきっかけは非常に悲しい出来事でしたが、その後の日本での佐竹先生のご活躍はすでに多くの方に知られているところであり、先生が日本のフラ界にもたらした発展、進歩は並大抵のものではありません。
にもかかわらず、先生は決してご自分のみに賞賛が集まる事をよしとなさらない、心の広いお方でもありました。


佐竹先生が寛大なお方なのをいいことに、言いたい放題言っている卒業生を目にする事もあり、そういうヤカラを目撃しますと、おそらく心の広い先生ご自身はお怒りにならないのかもしれませんが、ほぼ赤の他人である私がアタマに来る事が時々あります(笑)。

たとえば、誰とは言いませんがまあまあ知名度の高い(といっても佐竹先生をはじめとした大御所の先生方よりはだいぶ新参の)先生が「イリマフラスタジオのルカ&ルイス・カレイキの伝統を受け継いでる!!」とか自称してて、「おいおいマジかよ、マミちゃんはこんな人ぁ見た事も聞いた事も無いっつってるぜ」と眉に唾をつけながら調べていったら何の事は無い、ルカ&ルイスに直接指導を受けた事など一度も無く、下手すりゃ年単位でハワイにダンス留学した事すら無く、佐竹先生だけに師事したという人でした。
だったらまず真っ先に佐竹先生のお名前をプロフィールに書けよ~~~

他にも、最初の師であった佐竹先生がいらっしゃったからこそハワイの某クムにも出会えた訳なのに、今じゃチャッカリそのクムんとこの日本校だとか名乗っちゃってる人(私はそこを彼女らの芸風から「痴女軍団」と呼んでいる…ってソレ書くと賢明な方にバレちまいますねwww)とか、なんかもう私が月に…じゃなかった佐竹先生に代わっておしおきよ!レベルなんですけど。
たとえていうならコレ、ウチが佐竹先生や早川先生を差し置いて、イリマフラスタジオの日本校を名乗っちゃうくらい厚かましい話ですよ(笑)。

まあ、イリマフラスタジオは全盛期を築いたアンティ・ルカ&ルイスがいらっしゃらなくなってすでに久しい訳ですから、ウチが(というかお二人の直接指導を受けた母が)勝手に日本校を名乗るなんて事は常識として有り得ないので、どのみちケースが違いますけどね。
中にはそのクムにたしょう習っているくらいで「○○の日本校!」と喧伝しているとことか、そのハワイのお教室のメリモの団体部門どころかミスアロハフラの入賞歴まで自分の業績みたいに書いちゃってるとことかありますから、もう名乗ったモン勝ちの世界なのかもしれないですけど、ウチはそういう恥も外聞も無いのはちょっと……(笑)。


来年で設立33年目のウチ風情でさえ長い歴史を背負ってるって自負があるから、それ以上に長い歴史をお持ちの先生方に対しては、母が直接お世話になった佐竹先生と早川先生以外の方々にも等しく敬意を持っていますし、今フラに携わっている日本人は、たとえその先生方との関わりはなくとも、その方々こそが日本にフラをもたらしてくださったということを忘れるべきではないと私は思っているのであります。


今になって急に「ハーラウどこどこ」だの「だれそれの日本校」だの名乗るところが雨後のタケノコ状態で増えてますが、日本のフラ界がこうなるまでの間、数十年単位の長い時間をかけて何も無かった更地をタケノコが実るほど豊かにし、地道に恵みの雨を降らせ続けてくださった先達に、感謝の念を忘れてはなりません。
言っとくけど、すっかり豊かになった土壌ににょきにょき生えて来て、「あたし本物よっ!」とか言ってるタケノコの方がずっとラクなんだからね(笑)。

ウチは土壌でも雨でもなく、ちょっと昔にそれらの恵みをいただいて生えたタケノコからだいぶ太く成長した竹の一本に過ぎませんが、とりあえず目と手の届く範囲の土壌を綺麗にし、竹やタケノコが腐るのを防ぎ、腐り切ったタケノコやタケノコのフリした毒キノコは引っこ抜いて(笑)今後も頑張って行こうと思います。

10月13日(日)のつぶやき

2013-10-14 02:55:32 | 徒然話

「福田真澄のエレガント・フラ」@読売新聞 goo.gl/1cG0tK


「フラを見る目」を養おう!【衣装・実践編】 goo.gl/Zjcd4Q


今日のちびまる子は運動会ネタかぁ。自分の黒歴史がイロイロ蘇る~(笑)とりあえず我が子には「悲劇しか待っていない事が明白な時は逃げていい、それは人間として当然の権利だ」って事を教えとこうと思います。まあヤツは私と違って肉体派だから、能書き担当が気ィ揉む事もなかろう。



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