1409の最後の日が近づきつつあったある日、今から10年前に入手したファンのシンガーの特典CDに1コーラスだけ収録されていた曲が頭をかすめた。その曲はCD音源になることなく今にいたっているもの。いつかのライヴではフルコーラス歌われたらしいが私はそのライヴには行っていないので解らない。
そんな終わりを告げる日が来る間際になって、何でそんな曲を――と私は思う。『自分自身の為に』と言う意味を英語化したものがその曲のタイトル。新しい土地に移り住んだ時の気持ちを形にしたような内容の曲で、私は気に入っている。新しい土地に移り住んでそれが終る時に始まりの歌はないよな、と思うが何度も言っているが望まぬ苦渋の選択によるものであり、それは他ならない私が原因によるもの――とどんなに語り尽くしてもそんな風に片つけられてしまうから哀しいもの。
自分自身の為に、何をしても効果は一時期的で、一時的の繰り返しの限界と私は言いたいのだが、それは誇張しただけの表現でしかない。他方で自分自身の為になにかをすることは必ずも容易くはない事があることを今ごろになって気付く愚かな私である。
これから先の日々、自分自身の為に出来ることはあるにしても、もう、何のかんのの自分自身を慰める言葉や奮い立たせるような言葉には辟易としていて、絶望も希望もそこにはない。このまま流れていくよりほか今はないようだ。
“For Oneself”の完全版をいつの日か――と思うが、その歌が出た時分の雰囲気は時間経過と言う4文字の風化してしまったけれど、「自分自身の為に」と言う希望は私には消えてしまった。
そんな終わりを告げる日が来る間際になって、何でそんな曲を――と私は思う。『自分自身の為に』と言う意味を英語化したものがその曲のタイトル。新しい土地に移り住んだ時の気持ちを形にしたような内容の曲で、私は気に入っている。新しい土地に移り住んでそれが終る時に始まりの歌はないよな、と思うが何度も言っているが望まぬ苦渋の選択によるものであり、それは他ならない私が原因によるもの――とどんなに語り尽くしてもそんな風に片つけられてしまうから哀しいもの。
自分自身の為に、何をしても効果は一時期的で、一時的の繰り返しの限界と私は言いたいのだが、それは誇張しただけの表現でしかない。他方で自分自身の為になにかをすることは必ずも容易くはない事があることを今ごろになって気付く愚かな私である。
これから先の日々、自分自身の為に出来ることはあるにしても、もう、何のかんのの自分自身を慰める言葉や奮い立たせるような言葉には辟易としていて、絶望も希望もそこにはない。このまま流れていくよりほか今はないようだ。
“For Oneself”の完全版をいつの日か――と思うが、その歌が出た時分の雰囲気は時間経過と言う4文字の風化してしまったけれど、「自分自身の為に」と言う希望は私には消えてしまった。