京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

根強く繊細、優美にも

2016年10月24日 | 日々の暮らしの中で

「賀茂の河原も桂川の流域も、セイタカアワダチ草の強烈な黄一色に埋もれていた秋があった。今もあのすさまじい、鮮烈な風景は変わっていないだろううか」
馬場あきこさんが随筆の冒頭で記した一節だったが、出典によるとどうやら1988年に記されたものらしい。このときより以前の秋であろうし、今ではそんな鮮烈な黄一色の河原を賀茂川畔に見ることはない。
随筆の中では、能「井筒」での、「井筒」のほとりに立て添えた一叢のすすきに話が及んでいく。

ところで、「井筒」と言えば、高校時代に古典の授業で習った『伊勢物語』第23段が思い起こされる。

   筒井づの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
  女、返し、
   くらべこし振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき
   
幼い頃に井戸で背比べをした男と女(在原業平と紀有恒の娘)は、歌を詠み交わし続けて、かねてからの望み通り夫婦になったものの、男は通ってこなくなってしまい、女は頼みにしないものの恋しく思いながら日を過ごしている。
久しぶりに岩波の古典文学大系を開き、懐かしい物語の一段の原文に触れた。学生時代に購入したものだから、少し古臭い本のにおいがする。


久しぶりのウォーキングに出た。というのも…。
「7キロとちょっと、歩ける?」と聞けば、
「私を誰だと思っているの。5キロを走ったんだよ」と孫娘Jessieは威勢がいい。
「靴はトレッキングシューズというのを履いて、雨が降っても歩くんだわよ」
「行きたい!」というやる気満々の返事。

紅葉を愛でながら孫と一緒にハイキングが楽しめるように、今日から少しだけ真剣に歩いてみることにしよう。…と言い聞かせたのでした。
賀茂川の流れに映えて銀いろのすすきは、「もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。」(『銀河鉄道の夜』)


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2 コメント

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すすき (ryo)
2016-10-25 11:36:39
こんにちは!
すすきが秋の陽に映えて
美しいですね。
目的があるウオーキングは楽しいですね〜
最近は、何のために、いつまで歩くんだろう〜
などと自問自答しています。
返信する
目的…、ryoさん (kei)
2016-10-25 22:58:01
こんばんは。
すすきは日本の秋によく似合いますね。

歩くことは健康に良いとわかっていても、なぜかいつも長続きしないで困ります。
固まった身体が解放されるような日もありますから、
歩くことの良さは実感しているのですけど…。
目の前に何か目的がほしいタイプなのでしょうか。
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