京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 あら不思議~

2015年03月25日 | 日々の暮らしの中で

「密教」「密教の言語観」「曼荼羅」とは…。追いつけず、途中からは切り抜くだけで重ねるままだった新聞記事。
神仏習合、この世の極楽浄土、何でもありのようなこの高野山の姿はなんなんだろう、など余りに素朴な?思いを今回の高野山行きで改めて抱いたのがきっかけになったか。玄侑氏と五木寛之氏の対談の書の中で「宗派の垣根は消えつつある」「自力の限界に他力の風が吹く」「禅と念仏の融合」といったことばに触れてもいたのだったが…。高野山から帰ってから、高村薫さんの連載記事「21世紀の空海」を興味深く読み進めている。

「言語宇宙支える身体体験」 「密教は何より儀礼の宗教である。金色に輝く法具を駆使し、不可思議な真言を唱え」「荘厳の極み」
「高僧、かつ社会事業家」 「東寺を根本道場に、高野を往復」 「念仏持ち込み、荒廃救う」 「密教道場が変貌、安寧の霊場に」 
「四国霊場巡礼、つつむ高揚と多幸感」 「山は漠とした祈りの対象」 「大師も信心の一隅の存在に」 「時代に追い越された密教」

「歴代の高野山座主は浄土信仰を持っており、山岳霊場の高野浄土は次第に『阿弥陀の極楽浄土』あるいは『弥勒の浄土』になっていった」「中世の祈り」
高野聖が念仏を持ち込んだことで浄土信仰が根を下ろし、その浄土を、「弘法大師は高野の御山にまだおはします」と言う信仰がありがたいものにしていった。高野山開創以来初の最高権力者、藤原道長の高野山登拝。道長が臨んだ法要が天台僧による法華会、法華経によるものだったことは「浄土信仰の霊場と化した姿」で「天台宗と真言宗の格の違いが垣間見える」

最終回、「比類のない密教の体系を築き上げ、一人でそれを体現したうえに、入定後は弘法大師に姿を変えて1200年生き続けているのは、間違いなく人間離れした存在だと断言したい」とある。
難しい漢語や法語、教義にあふれる中で、掬い上げることができた部分を追うしかない理解だけれど、今だけは気持ちが向かっているからあら不思議~。

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4 コメント

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な~んとなく、崇徳院さん (kei )
2015-03-27 17:07:23
国家鎮護、無病息災、五穀豊穣を願って天皇や貴族を相手講説を続けた空海の名声も、
死後は早い時期に下火になったのではと。
高野山での法会が密教の教義よりも法華経でとは。
聖徳太子以来最も親しまれた経典で、道長の頃にはすでに浄土信仰の霊場に…。
そうなんかそうなんか~と連載を読んでいます。
くみとれるところだけで読みとって。これでは本当の理解とも言えないのでしょうけれど。
なんとなくわかった気になるようです。
現代の高野山は特定の宗派にこだわらない「日本人の祈りの山」と言われています。そうか~、ですね。

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ちょっと難しくて・・・ (崇徳院)
2015-03-27 07:20:34
「歴代の高野山座主は浄土信仰を持っており、・・・ 」ということには大きな興味を覚えます。
とはいっても、「な~んとなく・・・」というのが正直なところです。
代々浄土真宗の家ですが、それさえ奥行きのある話に触れる機会もなく過ごしてきました。
というか、最初から「解りにくい」という先入観で不覚を知ろうとしてこなかったようです。
こういった機会に、日本仏教の変遷などの歴史に目を向けさせて頂くきっかけになれば、と思うのは思うのですが、さてどうなることでしょう。
いずれにしても、高野山という聖域のお姿が、少し身近に感じられるようになった気がしています。
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ご縁ですね、Reiさん (kei )
2015-03-26 23:23:48
きんきらきんの荘厳。曼荼羅の世界についても夏季大学でお話を聞きました。
その時は耳に入るのですがすーっと消えてしまって。

浄土信仰が高野山にもたらされていると納得できて、少し目の前が明るくなりました。
今この機会を大事にして、テリトリ-を広げられないものかと…。
実際難しいです。だから尚更わかりたいと思う一面もあります。

どんなお話が聞けるのでしょうね。そうしたお話を聞けるのもご縁ですね。
Reiさんのように好奇心のツボをつつく、私も積極的に真似ていきます。
こうして縁はまたつながるのでしょうか。
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密教 (Rei)
2015-03-26 22:33:27
一応検索してみましたが、
むつかしくてよくわかりませんでした。
Keiさんの今日のブログも同じくです。、
密教は何か秘密めいて、ひそやかで・・・
日本語の語感から言えば、そうなってしまいます。
すみません!幼稚極まりないコメントで。

キリスト教は亡夫の関係もあり、少しは齧りましたが仏教はさっぱりです。
なので中日文化センターで一回だけの仏教の特別講座を受けてみることに致しました。
内容で選んだのではなくて、私の行ける日だったからです。
私に理解できますかどうか怪しいですが、
これもKeiさんとのご縁でしょうか?
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