大徳寺山門・金毛閣の北側にあって平素は非公開の方丈は、玄関、廊下、庫裏や仏殿などと合わせて2026年完了予定で半解体修理が進んでいる。
方丈は住宅に近い形式の建物だそうで、本来住持の住まいとして用いられるものだったのが、のちには接待や行事の場としても使用されてきている。平面は前後4室の八間取形式で、内部はほとんど畳敷きとされている(そうだ)。
その方丈の修理現場の南東隅の屋根裏で、軒先の板と上の部材に挟まれた形で400年前の大工道具のノミが見つかった。
今日、明日と修理現場の無料公開があり、ノミも展示されるというので、ぜひ一見と足を運んだ。
こうした現場を見ることは過去に機会はあったが初めてのことで、この壮観な、入り組んだ部材の構造に息をのんだ。美しいではないの。すごいものだ。
ノミはこのあたり、
吊り上げられた部材に押し付けられ、下の板にめり込んでいた。
上の部材は江戸初期1635年に方丈が建てられた当初から外されていないので、この時に残置されたノミだと判断された。
「これだけしっかり部材を設置するときに、気づかなかったとは思えない」
とは言え、
「当時の大工道具はとても高価。ノミは使い込まれており、愛用の品をあえて置くだろうか」
…と現場主任さんもいぶかしむ様子が紙上に記されていた。ノミを磨き直すことは考えていないと話す方が現場においでだった。
見あげれば、
日本最古の、つまり建立当時から使われ続けている畳の裏面や天井板に、墨書きの文字が残されて。
軒桁に柱がめり込み、「く」の字に折れてしまっていたようで、大きく傾いた柱の欠陥の修理もあるという。
そこかしこで私見を披露される方もおられ、耳にするのも楽しいことだった。
詳しいことなどようわからんけど、こっそり?聞き入った。みんな興奮してる?
多くの人がかかわって、この建物ができる。鉋屑を箒とちり取りを持って掃き集め、技術を盗む駆け出しの職人さん。ノミを研ぐ職人の汗。優れた匠の技。補修、修復にあたる人間の英知。継がれる伝統。今回の修復は未来何百年か先の職人たちによって目に触れ評価もされるのだろう。
どれをとってもやはり興奮するほど素晴らしいこと!と、素人はただただ感動です。
大工道具も建築技術も素晴らしかったのですね。
私にはわかりませんが、貴重な現場をご覧になりましたね
大徳寺と聞きますと、利休山門事件の大徳寺と思いますが?
時代歴史小説で何度も読みました。
修理のために足場も多く組まれ、スッキリ全容がわかるわけではありませんが、
素人目には十分感動?してきました。
江州三井寺住人
たこ乃浦打出見れば
白たへのふしのたかねに
ゆきはふりつゝ
など、天井板に墨書されていたのが写真で展示され、最古の畳は実物が。
行列し、ヘルメットをかぶって現場へ。
『金剛の塔』を読んだあとでしたので少し関心も増したようです。