天皇陛下が誕生日を前にして、「もう還暦ではなく、まだ還暦」とお気持ちを示されていた。先場所初優勝した徳勝龍関も「もう33歳ではなく、まだ33歳」の気持ちでこれからも精進したいと言われた。
マイナスの言葉を用いると気持ちも下がってしまう(下がることはまあ時々?よく?あることだけれど)。
今、花のいのちはけっこう長くて、老いをいかに楽しく生きていくかということは本当に切実な問題。ああ~あ、な~んもすることない、の日々だったらどうだろう。一日が長くて長くて閉口するかもしれない。やはり楽しい毎日は自分で作りたい。
親鸞聖人は教えてくださっている。〈明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは〉、と。桜だけではない。何にしてもチャンスは逃さないようになさい、と。ためらいの習慣は幸運を逃し、一歩踏み出す力を鈍らせる…。
「若いときから元気がなくてくたびれていたから、老人暮らしになっても落差があまりない」
こう言われたのは、今は亡き数学者・森毅さん。
「元気で長生きしてって言われるけど、これだけ長生きしたんだから元気がないくらいガマンしてよ」
「正しさはなかなか拡がらないけれど、楽しさは伝染するものだ。老人の楽しさを伝染させて、死に向かってくたびれながら楽しさを宣伝しよう。
残る平均寿命を考えると、一事に集中しては目的が達成できない。だから、関心を分散させて、さまざまの状況を楽しもうとするのがいい」
そして、森さんは、過去にこだわらずにゆったり生きるおばあさんに感心されて、「もう自分が男であることにこだわる必要はあまりないのだから、おばあさんのように生きよう」と言われた。思い出すといつもクスリとさせられる。(でしょ!?)
(木に目が!?)
できるだけ人と交わり、人の目、視線を受けることも案外刺激になると思うのだけれど…。
ちょっと恐い感じもします。
森毅さん>長生きなさったのですね。
私ももう88歳でなく、まだ88歳と思いましょう。
そして、長く生きたのですから
疲れるのも、足が重いのも当然と思わなければいけませんね。
森毅先生のいいお話聞かせて頂きました。
何度か耳にしてきましたが、時にこうして思い出させて頂くと、ふと我に返る思いがしますね。
同じ生きるのなら、数値など気にせず、今を楽しく、出来るなら仲間を呼んでともに楽しく。
楽しさは伝染するのですね。身の回りにある小さなことも楽しさに変えられる知恵を授かりたいです。
木の肌に目を見つけ、一人何かを想像してクスリ。この姿勢が、いつまでも気持ちを楽しくさせるコツなのかしら。
人と交わり、人の視線を意識する。忘れたくない言葉をいただきました。
コブもできていませんし空洞もなく、老木ではないと思いますが。
飄々とした物言い。直球でもなく、へ理屈でもなくで、
やわらかな思考が好感持てます。
義母は90歳を過ぎても書や俳画に親しんでいました。
足腰は弱り、歩けば杖をついても息が上がるようでしたが、同好の仲間がいて楽しみだったようです。
私はあまり群れることを好まないほうですが、いつまでもそういう楽しみごとは持ち続けたいと思います。
ただ、私はシニア元気集団みたいな、群れではしゃぐことが苦手な方です。
群れずにいて、孤でもなく人と交わり、過ごしていきたいなと思っています。
木に目がありますね(笑) いくつもあります。
気付いて驚きましたが、目ですよね。どうしてこういうのができるのでしょう。
じーっと見てくるんです、なんでしょうね、変な感じです。
二本並べた木の目が人の顔に見えました。
木の節でしょうか! 傑作ですね。
前向きに何事も楽しむ・・良いっことだと思います。
気にしながらも結構楽しく毎日を送っています。
チョッと喜怒哀楽が激しいところもありますが・・・
何故だろう・・何故だろう!? が いちばん気になることです。
病など結果がはっきりすればそれなりに受け入れられるかな?
と・・思っているのですがその時になって見ないとぉ~~
きました。
私は来週の入院とコロナウイルスとに
負けそうですよ。
喜寿になりましたが、とうてい、
まだ喜寿..と思えない自分がいます。
この憂鬱と懸命に葛藤している自分が
いるのですが..。
生活に張りをもたらすためには希望や楽しみごと、人との交流など大切にしたいですね。
趣味を通して様々な方とつながり、話したり聞いたりしてお暮しで、
とても健康的なテイタイムryoさんです。
森毅さんの「くたびれながら」には、あるがままの姿を思い起こさせてくれて安堵するほどです。
あまりガンバラナイ、怠け者の私には気が楽になります。
不安もおありでしょうが、予定されていたこと…。
今のこの騒ぎに心を乱されることなく、ご自身の体調管理専一に、向き合ってくださいね。
「心こそ心迷わす心なれ、心に心、心許すな」。
厄介な代物だけど、魅惑的な「心」を、どう深化し、どう味わい、どう表現していくかは人生の醍醐味だ、
と玄侑氏が言われてましたこと、私は時に触れ思い起こしています。
私は還暦を迎えたとき、かなりの憂鬱に悩まされましたが、逃げることも飛び越えることもできないのですよね。
してはいけないのでしょうかね。そういうもの、ときってあるんですよね…。
お帰りを楽しみにお待ちします!!