京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

まあいいか?

2023年07月28日 | 日々の暮らしの中で
本代より高くなる電車賃をかけて、わざわざ交換を申しでに行くか否か。

一週間前、映画を見たあと近くの書店に入った。いつもならパラパラパラパラッと前から後ろから、埃も飛ばせとページを繰るのにしなかった。
120ページほどの薄い文庫本、ペラペラッとめくって見落としたみたいだ。


私は本のページを折ることはしない。それだけに気分が悪い。新刊本だし尚更だ。

私の書架には一冊、〈福耳〉を切り落とした文庫本が収まっている。

あるページだけ紙面の左下の端が大きくて、小口をはみ出した部分が折りたたまれていたことがあった。新刊だったがそれを開いて、ハサミで切りそろえたことがある。
これは「傷」どころか、古本屋用語では「福耳」というもので縁起物だと知ったのは、出久根達郎氏が『人様の迷惑』の中で書いていたのを読んだときだから、すでに何年も経ったあとのことだった。


【人生の大切な問いのさまざまに、『これ』という答えなど実はない。どのように向き合えばよいのか。南直哉さんが『老人と少年』で用意した答えは、繊細で深い含蓄に富んでいる。 - 茂木健一郎】
【老師のおっしゃることはすぐに理解できることではないかもしれないが、(中略)よく考えて生きなければ虚しくて堪えられない。 - みうらじゅん】

珍しくこうした本を手にしたと思ったら…。この暑い中をメンドクサイな。

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