奈良の唐招提寺の鑑真和上座像が45年ぶりに上洛。凝然国師没後700年 特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」が開催中の、京都国立博物館平成知新館に行ってきた。
5度の失敗を経て天平勝宝5(753)年に来日した鑑真は、中国正統の戒律 、〈釈迦が定めたとされる仏教徒の道徳規範(生活習慣に関連した心構え)であるべき「戒」、僧侶が守るべき規則の「律」〉を伝えた。
鎮護国家的仏教(奈良仏教)から貴族の現世利益的仏教、個人救済的仏教へと変化もあるように、最澄は厳しい戒律を守るのは無理だと考えて大乗戒を定め、南都とは異なる立場を取った。仏教も風土や時代の中で変化しながら空海、法然、親鸞らに引き継がれ、日本仏教の基礎になっていった。と、歴史などで習った程度の知識は少々ながら持ち合わせてはいるが…。
第一章 戒律のふるさとー南山大師道宣に至る道
第二章 鑑真和上来日-鑑真の生涯と唐招提寺の創建
第三章 日本における戒律思想の転換点ー最澄と空海
第四章 日本における戒律運動の最盛期ー鎌倉新仏教と社会運動
第五章 近世における律の復興
展示品の解説をいちいちしっかり読んだ。目を凝らし、書かれたことを読み取ろうとしてか頭もいっぱいいっぱい。足腰も疲れたこと。
その結果、「鑑真以来の千数百年の仏教思想が根付いている素晴らしさを目と心で楽しみ、日本仏教史を捉え直す」など程遠い思いで終わった。
日本の名僧たちの中には、何かの折に目にした名前もあるが、まあ、すべてガラスケースに貼られた短い解説を頼りに読んでいくしかなく、素人でもある程度変遷を追える、わかりやすい解説の工夫が欲しいと思う。
時代的には孝謙天皇による仏教色が強まる中、「徳、孤ならず」と大学寮で道徳を重視する儒学が叩き込まれ、個々が信じるもののために命をなげうって戦いに挑む者たちがいた『孤鷹の天』。『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』での仏教感。光明皇后が書写をさせ、大仏開眼供養(752)に読誦させた由緒正しいものだと展示されていた、根本説一切有部戒経、摩訶僧祇律。また遣唐使船や商船が安全に大陸と往来できる海の道を作ろうと挑む話もある『秋萩の散る』。戒律の流れなど無縁のところで、頭の片隅に一連の澤田瞳子の作品世界が浮かんでくる。
難しいこと、知らなくてもどうということはない。…のかもしれない。でもなあ、とも思うのだ。
帰宅後、『天平の甍』(井上靖)を引っ張り出した。初めて読んだのは高校時代で、課題図書だったのを記憶している。久しぶりに栄叡、普照といった懐かしい名前に触れている。
5度の失敗を経て天平勝宝5(753)年に来日した鑑真は、中国正統の戒律 、〈釈迦が定めたとされる仏教徒の道徳規範(生活習慣に関連した心構え)であるべき「戒」、僧侶が守るべき規則の「律」〉を伝えた。
鎮護国家的仏教(奈良仏教)から貴族の現世利益的仏教、個人救済的仏教へと変化もあるように、最澄は厳しい戒律を守るのは無理だと考えて大乗戒を定め、南都とは異なる立場を取った。仏教も風土や時代の中で変化しながら空海、法然、親鸞らに引き継がれ、日本仏教の基礎になっていった。と、歴史などで習った程度の知識は少々ながら持ち合わせてはいるが…。
第一章 戒律のふるさとー南山大師道宣に至る道
第二章 鑑真和上来日-鑑真の生涯と唐招提寺の創建
第三章 日本における戒律思想の転換点ー最澄と空海
第四章 日本における戒律運動の最盛期ー鎌倉新仏教と社会運動
第五章 近世における律の復興
展示品の解説をいちいちしっかり読んだ。目を凝らし、書かれたことを読み取ろうとしてか頭もいっぱいいっぱい。足腰も疲れたこと。
その結果、「鑑真以来の千数百年の仏教思想が根付いている素晴らしさを目と心で楽しみ、日本仏教史を捉え直す」など程遠い思いで終わった。
日本の名僧たちの中には、何かの折に目にした名前もあるが、まあ、すべてガラスケースに貼られた短い解説を頼りに読んでいくしかなく、素人でもある程度変遷を追える、わかりやすい解説の工夫が欲しいと思う。
時代的には孝謙天皇による仏教色が強まる中、「徳、孤ならず」と大学寮で道徳を重視する儒学が叩き込まれ、個々が信じるもののために命をなげうって戦いに挑む者たちがいた『孤鷹の天』。『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』での仏教感。光明皇后が書写をさせ、大仏開眼供養(752)に読誦させた由緒正しいものだと展示されていた、根本説一切有部戒経、摩訶僧祇律。また遣唐使船や商船が安全に大陸と往来できる海の道を作ろうと挑む話もある『秋萩の散る』。戒律の流れなど無縁のところで、頭の片隅に一連の澤田瞳子の作品世界が浮かんでくる。
難しいこと、知らなくてもどうということはない。…のかもしれない。でもなあ、とも思うのだ。
帰宅後、『天平の甍』(井上靖)を引っ張り出した。初めて読んだのは高校時代で、課題図書だったのを記憶している。久しぶりに栄叡、普照といった懐かしい名前に触れている。
私も鑑真のことはアチコチで読んでますが(;^_^A
確かに、ああいう展示の説明にはわかりにくいものがありますね。
コムロさんの文書も!なおわかりにくい(脱線)
人さまのことより私自身も反省しなきゃで、自分のブログは自分にわかる言葉が基本です(;^_^A
けれど、いい展示をご覧になられ良かったですね♡
順路に沿って入っていきますと、入り口には概要が記されていますよね。読みます。時にメモして。
でも展示品の説明を読むのに精いっぱいになると、全体像を置き忘れることがあります。
自分の知識、理解度が不足なのでしょうがね。
諸寺院の名宝。文書などは理解不能ですが、そのものの素晴らしさはじっくり拝見しました。
澤田瞳子さんの「与楽の飯」を読み始めたのですが、見慣れない
(和語の?)漢字がたくさん出てきて、何度も戻って読み方を頭に叩
き込んで進むも、なかなか覚えきれず難航しています。
でも奈良時代の東大寺大仏(これだって正式呼び名があるんですよね)
造営の大工事、当時の日本人の英知(すごさ)など分かって
きて誇らしく感じます。
澤田瞳子、宮沢賢治、宇江佐真理の全く色合いの違う著者の3冊を
読み進めるものだからタイヘン^^
あります! 何度も戻って読み方を確かめること、澤田さんの作品では結構多いです。
そこがクリアーされてくる頃、作品の中に入っていけるようになって(笑)
労役に携わった者たちの胸の内の誇りに心熱くなりました。
与楽の飯を共に味わったような。
作事場の喧騒の中で共に怒り哀しみながら彼らの息遣いを聞いていたような…(笑)
酔いながら読み終わりました。
色合いの異なる作風のものを並行させて読むなど、私は絶対にしませんよ~。できません。
すごいですね。
でも考えるともったいなくないですか?(笑)