京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「安心を得てお幸せ」

2019年04月04日 | こんなところ訪ねて
うらうらの春日のどかな一日になりました。

三千院の桜はまだつぼみ。とすれば、京北町も状況は大差ないことと思ったうえで常照皇寺へ。

 
「朝廷が南北に分かれた頃、吉野後醍醐統と京都光厳(こうごん)上皇統が、武権足利を後ろ盾に六十年余りも乱争しました」(パンフレットより)。光厳法皇が皇位を去り、各地巡礼を重ねた暮らしの末に、この寺で安住の境地を得た。こんな淋しい地でかわいそう、どころか、やっと安心(あんじん)を得て、とてもお幸せであったようだ。終の棲家として一生を終えた。禅宗寺院。開け放たれた方丈の間。

小学生ぐらいの男の子と父親らしき一組。しきりにお喋りしながらそれぞれがカメラを向けていた。バイクのお兄さん、方丈前の石段に腰を下ろし上を見上げている。あとは私の4人だけ。何とぜいたくな空間。蕾はまだまだ硬くて、満開はまだ先のこと。まったくもって穏やかな静けさに包まれている。「歴史を知っていれば、どこに行っても、どんなのっぺらぼうな風景を見ても退屈しない」と宮城t谷正光氏が語っておられたが、歴史は人を豊かにしてくれるもののようだ。



国の天然記念物、樹齢600年とかの「九重桜」、御所から株分けしたと言われる「左近の桜」、一枝に一重と八重が咲く「御車返しの桜」の三名桜木がある。「妖艶そのものだったが、今は見る影もない」と地元民が言われる九重桜も、二代目が育っている。
満開を想像させる今日の姿を満足しよう。

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4 コメント

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歴史は人を豊かに。 (yo-サン)
2019-04-05 00:53:58
いつもながら羨ましいです。少し歩を進めますと、静かな佇まいの中にも、
長い長い歴史のあれこれが息づいていますね。若狭へ通ずるところだったでしょうか・・・。

よく「妖艶な桜」と言われますが、どのようなのかしらと想像致します。
ゆっくりと花見などもせずの来し方、妖艶な桜も清楚なそれも知らずに至りました。

keiさまの博識とフットワークの軽やかさに肖って、私も少しは歴史を知り、退屈
しない残生を送りたいものです。

春の女神は足踏みなさっているような、北陸路の昨日今日ですが、遠からじと思いつつ
過ごす日々です。いつか、色々とお話しできますことを、とても楽しみに思うております。
もう、日付が変わっていました。失礼致しました。
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ありがとうございます、yo-サンさん (kei)
2019-04-05 07:47:45
おはようございます。
緩急のカーブが多いですが小一時間ほどドライブを楽しむように進んで常照皇寺です。
若狭のはしのほうへ出るようですね。
桜って、幹もなかなか魅力ある姿を見せてくれますね?

今日はこれから文章仲間との会合に参加し、そのあと娘宅に参ります。
旅の続きを心待ちにしております~。
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洛北 (Rei)
2019-04-12 15:10:45
洛北、私の勝手な感想ですが、
何か言葉の響きが哀しげに思えます。
洛南もありますが、
北に比し聞かれることも少ないようですが?
歴史の跡は洛北に多いのですか?
樹齢600年、さすが京都です。
歴史は人を豊かにしてくれるもののようだ>
私の関心の対象はもっと下がった時代ですが、
いつの日かこの時代にも関心を持ちたいと思います。
色々教えてくださいね。
返信する
歴史、Reiさん (kei)
2019-04-12 22:12:32
洛南には伏見に代表される観光地も多くありますが、
少し広げれば城南宮、宇治へとも見どころ多いですね…。

常照皇寺付近には、長く天皇家の直轄領だった山国・黒田地域がありまして、戊辰戦争で官軍にはせ参じた
農兵の組織「山国隊」を輩出しています。
「勤王の村」と呼ばれるようですが、実際は自分たちの利益を守るために、つながりを利用する民衆の力があったとか。
無私で参じた「勤王」ではなかったようです。
帰り道でしたので、戦士、戦病死者7人の碑がある山国護国神社と山国神社に立ち寄ってみました。

このお寺は周山街道をそれてちょっとの所です。
そろそろ桜も見ごろかと思います。蕾も少なくなったようです。
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