
今年も川沿いを歩いていて変わり映えはしないけれど、「また来たよ、よろしくねっ」て感じで、オニグルミの冬芽を見つめていくことになりそうだ。
琵琶湖北部のウォーキングツアーに参加していた折に、ガイド氏から「これはクルミの木」だと教わったのが最初だった。気の遠くなる年月を知らずにいて、ただ、名前を知るとあら不思議、アンテナが張られるのか、出会いが訪れる。


このかたい冬芽が、奇妙なとしか言いようがないほどけ方を見せてくれる。その様は、さなぎから蝶への変身にも似たフシギな美しさに思えている。くるくるまかれた葉が少しずつほぐれ、長細い形を成していく。赤い花穂がかわいく伸びて、実を結ぶのだ。クルミが生る。
この裸ん坊が、5月には緑美しく、豊かな葉を茂らせる。歩きに出る楽しみの一つとなって数年たった。
’21年4月


「人々の心の奥底を動かすものは、却って人が毎日いやといふ程見てゐるもの、おそらくは人々称(よ)んで退屈となす所のものの中にある」
中原中也の言葉を引いて、佐伯一麦さんは『散歩歳時記』の前書きに「『人々称んで退屈となす』日常生活の中で、…拾い集めた季節の風物の記録」と記されているが、この言葉は、
「人は自然のなすものにひょいと出会えればいいのである」という前登志夫氏の言葉が重なる。
心身の凝りをほぐすためにも、なんなりと楽しみごとを見つけて外へ出るとしよう。