京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

過剰に恐れた?

2020年12月17日 | 日々の暮らしの中で

ためらいがチャンスを逃した。
コロナ禍にあって「正しく恐れる」という言葉を耳にする。…のだけれど、その判断は時に難しい気がする。

『まほろばの疾風』(熊谷達也)を読み終えたのは9月半ばだった。薄っぺらい、にわか関心で恥ずかしくもあるが、読後、潜在的に意識が向けられ続けたのか、半月ばかりの間に次から次とアイヌ民族に関する新聞記事に目が留まった。
その一つ、大きなものでは大阪民族博物館准教授・斎藤礼子さんによる「博物館が伝える先住民文化」があった。そしてそこで、各地の先住民が大切にしてきた有形、無形のものを通し、多様な価値観に触れてほしいという趣旨で、特別展「先住民の宝」が12月15日まで開催されていることを知ったのだった。斎藤さんは、先住民とは何か、ということにも触れていた。

アイヌのサケ捕獲は先住民族が持つ権利・先住権だとして訴訟が起こされた。そんな小さな記事にも目がいった。アイヌ語音声をAIで文字化するのに京大グループが成功した記事。現代のアイヌ民族への差別にも踏み込んだ『アコロコタン』を出版した成田英雄さんを紹介する記事もあった。また、『問いかけるアイヌアート』の書評を読んだ。アイヌ料理店を営みながら居場所づくりにかかわる女性が取り上げられていた。11月に入ると、写真入りで民博での特別展が「先住民の誇りと素顔」として大きく紹介されもした。11月29日、テレビ番組の日曜美術館で「アイヌ民族の秘密 カムイの里を行く」を観た。

偶然というより、何か流れのある出会いであった。そこを立て続けに拾った。
娘宅を訪ねた折に、ぜひ特別展に足を運びたいと思っていたのだ。しかし、よし、行こう!という勢いがなかった。コロナを過剰に恐れて、逃したチャンスだったような気もしてくる。残念。

 年が明けたら、みみっちいなあと思いながら10月16日に手に入れた『熱源』(川越宗一)を読むのだ。
コメント (6)
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