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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

どうぞこうぞ 私にできますのは

2025年06月02日 | こんなところ訪ねて
人の話はもらさない。
かつては、ため込んだもろもろに腹ふくれる思いがあった。けれど、やはり自分が齢を重ねたのだ。誰もがゆく道と、愚痴だか悩みだかわからない話も、人生の機微に触れるような思いがして、捨て所に苦心するようなことはなくなった。

近所でもあり、M家の事情はそれとなく耳に入ってきていた。夫の脳梗塞の後遺症が進み、家で介護を担えなくなったS子さん。近くに住む娘家族と相談した結果、施設でお世話いただくことにされて、半年ほどになった。
選択が間違っていたのか。毎日が淋しいと口にする。

人生は一代、選択の連続のようだ。決断を迫られる時はある。ただその結果の是非について、私が関わり合う問題ではない。
家にこもっていたら体操教室に誘われ、行き始めたのだという。
いきなり何かを趣味にとは難しい。自分だけの興味、関心の世界は、平素から大切に積み重ねていきたいと思うことだ。

土曜日の都合を尋ねられていたが、約束は今日とした。彼女はお喋りがしたいのだ。
真如堂のボダイジュの花の様子を見に行かないかと誘ってみた。


黒々とした三重塔を右手に見ながら、ゆるやかな石畳の参道を上がっていくと正面に本堂の全容が見えてくるー 五木寛之氏は、この風景が大好きだと『百寺巡礼』で書いておられる。

本堂の前にある菩提樹の木はいっぱいの蕾をつけていたが、開花には少し早かった。



本堂に上がってお参りのあと、縁の階段の隅に腰掛けて、緑風のなかS子さんの話は続いた。
わたしたちの背後で、阿弥陀さまも一緒に聞いてくださっていた。

「花はこれからですね。満開になったころにまた来ましょうか」
少し先に楽しみごとを作っておこう。


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集う楽しみ

2025年05月31日 | 催しごと
今日は月に一度の尼講でした。ご門徒の高齢の女性たちが寺に集い、住職の読経に唱和してのち、昼のお膳を囲みます。

各自で用意してきた白米と、輪番で当たる当番組さんが炊いたお汁でいただきます。漬け物や煮豆などが持ち寄られれば小鉢に分けて並べます。いたって質素なお膳も、おくどさんで大鍋で炊くお汁の味は極上。
13人の出席がありました。


義母と一緒に、そしてあとを継いで、これまで何人もの方とお別れしてきました。会員数維持のために、ご苦労いただく役員さんの努力があって、大きく減ることもなく催しごとは続きます。

集う楽しみの生みの親は花見だそうです。
人とともにあることの安らぎ、心地よさ。
齢を重ね、出歩く機会も減って人と寄り合う機会など数少ない。喋り相手もいない。そんなとき、門徒つながりの気心知れた馴染みの人たちと、目的のないお喋りに花を咲かすひとときは、かけがえのないオタノシミごと。
喋って笑って、黒い雲が広がる空を見上げながら皆さんお帰りです。
「おおきにな、keiさん」
この言葉はなぜかいつも嬉しい。


きままに外出もできる私が、ここでの本当の楽しさの意味に気づけるのは、もっと(もう少し?)後になるのかもしれません。
 笑って暮らそ ふふふ


※5月29日は与謝野晶子の命日でした。
 『追悼の達人』に記された、歌人の弔文に見る詠嘆度、そこから言える歌壇の変遷などの視点が興味深かったので「はてなブログ」で書き残しました。
今後すこしずつ比重を移行していくつもりです。

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逞しき病人

2025年05月28日 | 訃報.追悼.文学忌
昭和28年5月28披、堀辰雄は死んだ。
辰雄は19歳のときに12歳上の室生犀星を訪ね、終生師事したという。

犀星はしわがれた声で弔辞を読みあげたそうです。
「堀君、君こそは生きて、生き抜いた人ではなかろうか。…君危しといわれてから、3年経ち、5年経ち、10年経っても、君は一種の根気と勇気をもって生きつづけて来た。…だが、やはり君は死んだ。変えがえのない作家のうつくしさを一身にあつめて、誰からも愛読されて、死んだ。 -後略」


ベレー帽をかぶって、おとなしく、内気そうに見えて、その実自分本位で強靭な性格だと指摘されたり、人の好き嫌いは激しかったらしい。
フランス文学の猿真似の小説だ。嘘のうわ塗りの世界、嘘半分の私小説の仮想世界は、けったくそ悪い。
堀辰雄嫌い派は案外多かったことを知った。
まあ、ほめるにしろけなすにしろ、その人間も浮き彫りにされる。

「逞しい病人」と題した堀辰雄追悼は「虚構の私小説を書こうという強靭な意思が48歳まで堀辰雄を生かした…」と結ぶ(『追悼の達人』嵐山光三郎)。

驚くほどの資料を参考に考察する、膨大な努力と時間がどのページにも詰まっている。私はそれをつまみ食いしている。
「知を分けてくれる存在に対する敬意と尊敬、受け取ることに対する慎みの思い」
忘れてはならないと言われた永田和宏氏の言葉も思い起こしている。


好き派-嫌い派、小説は人におなじ読みを与えることはない。薄っぺらな読みが今ならどうだろう。『風立ちぬ』一作、読み返してみようか…。
なんてことを思ってみた辰雄忌。
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ブログ移行

2025年05月26日 | 今日も生かされて
この度、ブログを移行いたしました

昨日のことです。
取り敢えず移したという状態で、少し見た目を整えました。
作業の不慣れは言うまでもなく、書きながら覚えていくしかありません。
コメント欄はユーザーの方以外にもと開けております。
これまでと何かが変わるわけではありません。
静かに、ゆっくり書いていくつもりです。
相変わりませず、今後もご縁をいただければ嬉しく思います。  

今しばらくこちらでの投稿を続けます。
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7対3で生きる

2025年05月24日 | 講座・講演

そこはかとないユーモアが漂い、時に笑わせ、時に強く感情を込めた話しぶりで耳目を集める、信野善光寺大勧進第104世貫主栢木寛照氏の90分プラス5分に及ぶお話に聞き入った。
いくつか記憶に残った視点を残しておこう。

あらゆるものには原点がある。
「宗教心って、なにから生まれてきたのでしょうね」と問いかけられる。
大木や大岩に注連縄を張ったりしていますね。御神木や磐座として神の宿りを感じて生きていた、この自然(山岳)崇拝、ここが日本人の信仰のスタートだったのです。

仏教が伝わり、農耕文化が広がる。蓄えることに覚醒し、争いや殺し合いを生むようになった。
生きとし生けるものの命を尊べ。殺してはならない。どの部族も命の尊さに気づいているのに、戒律もあるのに、争いは絶えない。

私たちの祖先を、「私がいて、私の父と母がいて、私の父と母の父と母がいて、私の父と母の父と母の父と母がいて、…と30代さかのぼると、どれだけの人数になると思いますか」
5億3千万人です。母の筋で30代さかのぼれば、2億。。。千万。父方をさかのぼると…。
と、どこかでみんなつながってくる。
「自分がいただいた命は、何憶何千の人たちの精神をいただいているのです」

「暮らしの中に7:3で生きる思考(思念、覚悟と言っていい?)を持つと、その人の人生は必ず幸せになります」
7割は相手の幸せを願って生き、3割を自分の幸せのために生きる。7割出資しても他人から7割戻ってくる。3割の上がりで(収入、収穫)で経営できるようになっているんです。
「先祖、創設(立)者の精神や哲学を忘れたり軽んじた家や企業が、うまくいくはずがありませんよ」



自分への問いかけとして聞きとめた。
代々の女たちが継ぎ渡してきてくれた日々繰り返しの営みを、あだや疎かにしてはなるまいな。
陰日なたなく働かな、仏さんが見てはりますえ。
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異界への通路

2025年05月22日 | 今日も生かされて

「しばらく」と声をかけても、しょんぼりうつむいて黙っている。意外と無愛想だ。見とれるほどには気を引かない。

これといって美点をあげるでもなく、冴えない口ぶりでの花定めの杉本秀太郎さん。好印象の花ではないようだけれど、「ほたるぶくろ」という呼び名に、ずいぶん得をしていると言われる。
ほんのいっときにせよ、「人を詩人に変える魔法がほたるぶくろという呼び名にはひそんでいる」と。

江戸時代、この花は提灯花と呼ばれていた。あるいは釣鐘草の呼び名もあった。そして「ほたるぶくろ」と呼び出す人がいた。
呼び名はこじつけであったり、目の付け所の面白さからであったりしても、古くから親しまれてきた花のようだ。

  
  亡き母と蛍袋の中で会ふ
     三十七回忌終へし野辺にて

これは地元紙の歌壇「実作教室」の欄で、ある投稿者の歌を選者のお一人が添削歌として示されたもので、それを控えていた。
10年を超えて私が温めているのもおかしいようだが、ここには自分の内なる思いを見いだすことができる。
ちょうど時を同じくして、「花は異界への通路」という言葉に出会っていたことも、思いを強くした。
亡き弟を偲ぶよすがの一つだったアサガオの花とともに。

袋の中に入り込んで、亡き人へとつながる道を進んでみたいと思うとき、「花は異界への通路」が心にリフレインしてくる。
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スーとしちゃうんです

2025年05月20日 | 今日も生かされて
葉山椒は家の裏手に十分な大きさの木があるのですが、実山椒は時機を逸しないよう注意しながら店頭に並ぶのを購入しています。

前回と今日と2回に分けて、計500gほどの実を下茹でして冷凍保存することができた。
小枝から実を傷つけないように外す手間に案外な時間を要し、左手親指と人差し指の先っぽがなんだか痛む。
朝も早くから昼までかけて、2回。この頑張りが一年の楽しみの支えとなるのだから厭うことはない。けど、親指の爪が痛い。
もう100gほど欲しいところなんだけど、まだよい実は手に入りそうかしらねぇ。

なんとも言えない清涼な香りが家中に広がる。
「いい匂いをかぐと、香浴、薫浴、といいますが、こころのもやもやがスーとしちゃうんです。ハッピーになるの。」

おっしゃる通りです、聖子さん。
家人もどこかの部屋にいて鼻先に感づいているだろうけど、まあ私の特権、ほぼ独り占めだから幾度となく深呼吸。


たのまれ物の買い出しに車を出した。
沿道に続くツバナの銀白の穂が、前の車が走り過ぎる風圧で一斉に踊り狂う。その様がかわいらしくてならない。
ついでに立ち寄って、柿の花の様子うかがいをしてきた。
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プラス思考で

2025年05月18日 | 今日も生かされて

〈随筆の根本は、古今東西の本をたくさん読んで、その中からいい言葉を見つけ出して、
それを引用することにあるという基本を頭に置いておかないといけない。
『枕草子』、『徒然草』、『奥の細道』然り。『源氏物語』でさえも。
私の評論やエッセイは、ほかの人が書いた文章からの引用をなるべく多くするようにしている。引用によって文章を作ろうとしている〉

引用のないエッセイはエッセイではないとまで、川本三郎氏がある文学講座で話されていたのを心に留めて、かれこれ10年になる。
乏しい読書量のなかからでも、影響を受けた言葉、心に残した文章の数々は書き抜き、メモを取るなどして収めどころを作ってある。
ブログにも意識して残してきた。後日エッセイを書く時に利用したいからでもあった。

ブログの移行を前に過去の記事を振り返る機会を持ち、改めて本とともに過ごした多くの時間があり、自分がいるのに気づかされた。
削除した記事もあるし、編集で手も入れた。そうしているうちに、“同じこと”を何度も書いていることにも気づいた。

おそらくそれは、物忘れというものではなく、折々に何かに触発されては身の内にある言葉や思いが繰り出され、より深く心にとどめようとする自然発露の成り行きなのではないかしら。
本当の意味で自分のものとするために、血肉としていくために。
「本も人の中で眠るうちに育つ」と古井由吉さんが言っておられたが、言葉も、温めているうちに近づけることはあるかも知れませんね。

こうした積み重なりが私を作ってきた。けれどまだその途上。
時間をかけてゆっくり自分のものとにしていけばいいのでしょう。繰り返しを恐れることはないのですね。

閉じられたいくつもの部屋の開け方、使い勝手など新居に慣れるには時間もかかる。
荷物の運び込みの時期をどう判断しましょ。
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生きているんだ

2025年05月16日 | 今日も生かされて
みんなみんな生きているんだ
  ともだちなんだ~

これってカメムシの一種かしら?

 

花はまだかなと見に行って発見したのは、青々と茂る柿の葉の裏に身を潜めた1センチそこそこ(2センチ弱はあったかも)の虫でした。
薄茶っぽいか緑色をしたカメムシしか見たことがなく、柄的には珍しく、やけに角ばった体つきをしている。この御仁は何者?


なんにでも興味深げにキョロキョロ目をやっていると、思いがけない出会いが待っているものです。
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悠々不休

2025年05月14日 | 今日も生かされて
どちらを向いても若葉。
「若葉の樹々は全身をもっていのちを歌いあげている」とどなたかが書いていたが、そのエネルギーたるやすごい力だなと感心しきり。


常緑樹のクスノキは古葉を落として新葉を茂らせているので、その色合いがまさに「新緑」、うすい黄緑色をしている。
平安時代からみられる若苗色(わかなえいろ)という伝統色があるようだ。稲作文化の日本らしい色名で、早苗の色をあらわすと。

一口に「緑」と言っても微妙な違いがあって色名がある。
これも次第に色味を濃くしていくのだろうが、総身に黄緑色の小さな花をつけている。


明日の葵祭の行列を迎え入れる上賀茂神社では、ナンジャモンジャの大木が総身まっ白にけむる花盛りだ。




今日は、沢村貞子さんが『わたしの脇役人生』で書いおられて、長く忘れてしまっていた
「悠々不休(不求・不急)」の言葉と出会い直した。

〈人間は誰しももって生まれた運がある。下町言葉で福分という。
その運に振り回されるだけでは寂しすぎる。せっかく生きているのだから、それぞれの居場所で手軽に張り合いをみつけ、一生懸命やろうじゃないか〉
なんてことも言われていた。

「悠々不休(不求・不急)」
それぞれの居場所で、求めず、急がず、怠ることなく一日一日を大切に暮らす。
悠々不休の言葉をどのように受け止めていこうか。考え考え生きることで、人生いろいろな味付けが待っていると思えてくる。
「一日をゆっくり見つめ ゆっくり歩いて ゆっくり書いて ゆっくり生きて」


木陰で腰を掛け、川の流れを見つめながら29度にもなる現実を忘れていた。
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善光寺参りはしてないが

2025年05月12日 | 今日も生かされて
小雨が降り出すなかを、イチハツの花咲く得浄明院を訪れたのは4月28日だった。

得浄明院には、信州善光寺の本尊を模して一光三尊阿弥陀如来が安置されている。
中尊の阿弥陀如来、両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩の3体とも立像で、三尊全体の背後を大きな1枚の舟形光背がおおっていることから「一光三尊」と呼ばれる。

この日は失念していたが、この23日に、信濃善光寺大勧進 第104世貫主 栢木寛照氏のお話をうかがう講座が予定されている。
ご自身のラジオ番組をお持ちだとか、テレビ・ラジオへの出演回数は3500回にもなるのだとか知って、知らないことを恥じなくてはならないほどの有名人?を知らなかった。
滋賀県の出身。比叡山無動寺で出家されている。大津の山慈光院住職を兼務とのこと。

善光寺に参拝したことなく、おそらく今後も機会はないだろう。
善光寺参詣で得られるのは現世利益ではなく、死後の極楽往生だった。身分も男女も善悪も問わず、どんな人でも必ず極楽往生できるというのが善光寺の特色だとか。全国から人々をひきつけるわけが、ここにありそうだ。

「いのちを育てる知恵に学ぶ」をテーマに〈原点を見る〉と題して、氏はどのようなお話をしてくださるのか。
ちょっとネットを開けばどこかに関連して書いてある、といったものではないことを期待する。


得浄明院を訪れた日、白川沿いからほんの少し東に入ったところに小さなお堂があって、「龍神路地」の名が見えた。
辻子・図子(ずし)は細い抜け道になっているので、道から道へ突き抜けられる。でも路地はどん突きがあり、先は行きどまりだ。

家が向かい合わせに建ち、写真の奥を左に曲がると突き当りが目に入った。餌にでもありついていたのか、いっせいに飛び立った雀の数に仰天したが、人の往来もない安全地帯にいきなりの侵入者なのだから、驚いたのは彼らかもしれない。

ふたたび善光寺さんとのご縁にあずかれることを喜びながら、風通しの良い楽しいお話だといいのになと思っている。
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必ず実は結びます

2025年05月10日 | 今日も生かされて
周囲がとりどりの若葉の緑に染まるこの時季、ヤマボウシのまっ白な花は際立って見える。
4枚の白く花のように見えるのは苞で、中心の黄緑色の玉のように見えるのが花なのだという。秋には赤い実を結ぶ。


白は色が無いようであって、その実、極めて自己主張も強く周囲をハッとさせるものを身に添えている。
上品な自己主張は好ましい。


今日は昼から文章仲間が集った。
連休明けで作品の提出は少なかったが、浮かれた世と一線を画すかのように地道に書き続けた参加者の作品は、評価された。

書き上げて合評の場に出せば、あとは仲間の評価に委ねられる。
自分が思うほどの評価は得られず、諸々の指摘を受けた。
提出する以上は何度も書き直し、推敲する時間もたっぷりとったつもりなのだけれどね。
一生懸命向き合っての結果。ここからは本人のカイショとなりそうだ。
失敗が結んでくれた実に気づいて、次に生かせばよいのだな。

「出来不出来はあっても、必ず実は結びます」
はい、ありがとう。一喜一憂しないでおこうっと。

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笑って暮らしてほしいから

2025年05月07日 | こんなところ訪ねて
門前で休館日とわかって落胆したのはこれで2回目。しかもなんと2回とも同じ場所である。

リニューアルされた泉屋博古館。
行ったことがないという友人の要望もあって10日以上前から約束していた。通常は月曜日が休館だが5日はGW中で開館され、その代休ともいう日にあたるのだった。アタマまわらんかったよー。

当てが外れて「まあ、どうしよう?」と閉まったままの門扉の前で二人…。哲学の道を歩きたいという彼女の希望に沿って歩きだした。
途中、大豊神社、

法然院と立ち寄り、

銀閣寺へ。
彼女、銀閣寺は知らないという。法然院も初めてだった。もちろん神社も。
大阪N市で育ち、大学時代は京都で過ごしたというのに? 金閣寺も行ったことないと聞いて二重に驚いた。
20年を超えるお付き合いがあるのに、知らないことはあるものだ。ちょっとおかしくもあった。

その彼女が「銀閣寺に寄って行こう」と言う。
「あまりオモシロクナイヨー」と私は引き気味だった。
「でもせっかくここまで来たんだから」「そうだね、私も久しぶりだから入ろうか」
「えっ!? お金いるの」ときたわ。しばし考えたのか、外国人ばかりが目立つ列に並んだ。

ひっきりなしに賞賛の言葉をつぶやき、東側の小高くなった月待山の石段をハア、ハアと口にして登っていく。
中腹からの眺めは西に向かってひらけている。
「あれは吉田山でしょ。今年節分のときに来たのよ」


眼下には白砂を平面に盛った銀紗灘(ぎんしゃだん)のある小さな境内と、銀閣が見える。
金閣に倣って、もし銀箔が貼られていたら、今とは異なる趣だったろう。良かったねえと、銀箔のない漆塗りを讃えていた。

「義政もここに立ち、西の空を朱に染めながら沈んでいく夕日の輝きのなかに浄土を見ていたのだろうか」(『百時巡礼 京都Ⅰ』五木寛之)
 銀閣寺を訪ねた折の文章はこう結ばれている。 


この2カ月、97歳の実母、夫、姪っ子と次々と思わぬ事故、入院ごとが続き、気力体力限界近くをこらえてきたのを知っている。
ストレス太りだと嘆きつつもランチをおいしく味えたようだし、楽しい散策になったと喜ばれた。気分転換になったら何よりと思う。
休館でよかったのかもしれない。
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荷物の収めどころ

2025年05月05日 | こんな本も読んでみた
満目の緑に初夏の陽射しが映えて、よき子どもの日となりました。
水を掛け合って、喧嘩しいしいの兄弟もいれば、父子で釣りに興ずる姿もありました。


引っ越しをしようというのに、先方の家のデザインも知らずに17年間過ごした荷物をポイと放り込めるものだろうか…。
家の体裁を整えるにはどうするのかな。表札出して、カーテンもかけて? 
この先も静かに丁寧に暮らしたいという思いは、小さな家であっても使い勝手をあらかじめ見知っておきたくなります。初下見でした。
ブログ名は仮のまま、記事もないまま、居場所は作りました。いつ荷物を運び込もうか、考えます。




このところミステリー系の作品を楽しんでいた。

  

米澤穂信の名を知ったのは『黒牢城』でだったが、作品を読むのはこの『本と鍵の季節』が初めてになる。この続編はすでに刊行されているが、間もなく文庫で発売かという情報もあって、待つことにした。
6編の連作短編集。主人公は高校2年生の図書委員二人。二人の距離感がいい。16歳なりの経験、生活基盤、読書体験を通して謎解きは展開する。1作目は大崎梢さんの作品を思い出させた。
この味絶品。
日本語として語順が整っているからこその文章の美しさ。読み手に与えてくれる心地よさ。文体はとても好みだ。

『慈雨』では、警察官を退職した主人公は妻と一緒に西国八十八か所霊場を歩き遍路に出ていた。当初、巡礼と殺人事件の組み合わせはよい気分ではなかったが、何か秘められたことを予感させられながら引っ張られ、結局物語の構成力に参った。

シリーズ12作目になる『野火、奔る』。前回から1年、小間物問屋遠野屋の主・清さんのそれからがやっぱり気にかかる。心の闇、人の世の裏表。心理戦。
そろそろ読み止めにと思ったが、負けました。

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穴太の盛安寺という寺で

2025年05月03日 | こんなところ訪ねて

天智天皇が近江に都を作ったときの鎮護の寺・崇福寺(すふくじ)は、かつて15大寺の一つに数えられたらしいが、変遷を経て火災や地震で壊滅してしまった。
その崇福寺伝来の十一面観音菩薩像が盛安寺で守り伝えられていて、今日は公開日でもあり拝観してきた。
初めて訪ねた2022年11月の折はご住職不在で、本堂も参拝ままならずあとにしたのだった。

白洲正子さんの『十一面観音巡礼』の中で写真が掲載され、
「先年、近江を廻っていた時、穴太(あのう)の盛安寺という寺で、美しい十一面観音にお目にかかった。」と始まるエッセイが収められている。

京阪電車石山坂本線の穴太(あノお - 「ノ」にアクセントが置かれるアナウンスだ)の駅を降りると、付近から琵琶湖がむこうに望める。


山門を囲む、野面積みという穴太衆による石組みは、威圧感さえある構えだが、それもまた美しい門前だ。かつて穴太に住んだ石工集団・穴太衆を主人公にした小説、『塞翁の楯』(今村翔吾)がある。

鉄壁とか堅固さなどとは反して、雰囲気のある本堂内の気配だった。


安置されたご本尊の阿弥陀如来像のお顔は穏やかで見惚れる。片袖の阿弥陀さま(袈裟を右肩につける姿からの呼称で、良いお顔だちだ。説法印を結ぶというのが珍しいと。右手小指は第二関節から欠けていた)がおいでだし、聖観音立像、地蔵菩薩立像のお姿も、忘れず持ったメガネのおかげでじっくり拝見できた。
すっきりとして、おだやかな優美さには親しみが生まれる。そんな心安らぐものが漂う、良い空間だった。

大きな目当てでもあった十一面さんは、ガラス戸越しではなく一部が開けられているので仕切りなし。素で、しかも3mあるかないかのところに、180.5センチの生身のお姿を目にする。

 

平安初期のもので、十一面で四臂という珍しさに、錫杖を持つ。杖をついて「どこをどういう風にして穴太まで辿りついたのか」と白洲さん。

観音さま、お立ちの場所から目線を挙げればはるか真向かいに、琵琶湖対岸の近江富士が見えるのではないかしら。
朱印帳のかわりに数珠を持って結縁。
名残を惜しみ、余韻をとどめつつ、もひとつ、聖林寺(奈良県)の十一面観音像に今度は是非お堂でお会いしたいものと願いを新たにした。

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