1972年9月。
田中角栄首相を乗せた特別機は
北京空港に着陸した。
日本の首相として戦後初の訪中。
戦争終結問題。賠償や両岸問題。
多くの難問を抱えての旅だった。

人民大会堂での歓迎会で、周恩来首相は
「小異を残して大同を求める」と挨拶。
これに対して田中首相は
「中国国民に多大なご迷惑をおかけした」
と返礼した。
これに中国が激怒した。
これは「多大な迷惑」が「添了麻煩」と
通訳されたことが原因だ。
「麻煩」はごく軽い感じのお詫びの言葉。
認識の軽さを中国側は感じたのだった。

毛沢東首席は、その後の会談で両首脳に
「もうケンカは済みましたか?」と問いかける。
誤解は解け、日中国交正常化は実現した。
通訳でニュアンスはがらりと変わる。
言葉を発する側と
言葉を受け取る側とでは
その認識に必ずズレがあるものだ。
それは同国人同士でも。
日本語同士でも。kyokukenzo
田中角栄首相を乗せた特別機は
北京空港に着陸した。
日本の首相として戦後初の訪中。
戦争終結問題。賠償や両岸問題。
多くの難問を抱えての旅だった。

人民大会堂での歓迎会で、周恩来首相は
「小異を残して大同を求める」と挨拶。
これに対して田中首相は
「中国国民に多大なご迷惑をおかけした」
と返礼した。
これに中国が激怒した。
これは「多大な迷惑」が「添了麻煩」と
通訳されたことが原因だ。
「麻煩」はごく軽い感じのお詫びの言葉。
認識の軽さを中国側は感じたのだった。

毛沢東首席は、その後の会談で両首脳に
「もうケンカは済みましたか?」と問いかける。
誤解は解け、日中国交正常化は実現した。
通訳でニュアンスはがらりと変わる。
言葉を発する側と
言葉を受け取る側とでは
その認識に必ずズレがあるものだ。
それは同国人同士でも。
日本語同士でも。kyokukenzo