地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

北方四島

2008-01-27 11:23:36 | Weblog
北方四島の中の国後島の「古釜布」(フルカマップ)の1:50,000図です。
現在、北方領土は1:50,000図で42面作られています。
現地調査の出来ない現状では実測図の1:25,000図は作れませんので、この縮尺図が、基本図になります。
この地図はどのようにして作られたか、各地図にその経緯が示されているので引用します。

「1、この図は、基図(大正11年測量平成3年資料修正5万分 1地形図)を《茶色》で印刷し、その上に地球観測衛星スポット1号による昭和63年12月1日観測の画像上で判読できた道路、建物及び飛行場を《黒色》で、大規模な改変地(地形又は植生を人工的に変化させた土地)を《墨網色》で、水面を《水色》で加刷したものである。
なお、現地調査は行っていない。
2、基図の水面と《水色》で加刷した水面との間には,基図の測量誤差、経年変化等により相違が見られる場合がある。」

よくぞ、作ってくれたという感じです。


1945年9月1日、大日本帝国に宣戦布告を行っていたソ連軍が国後島に上陸し、古釜布も占領した。既に大日本帝国はポツダム宣言の受諾を決めて無条件降伏をしていたが、調印はまだ行われておらず、法的には第二次世界大戦の戦闘状態が続いていたという状況・・・??


その後、ソ連政府は独ソ戦によって荒廃した自国の西部地域、ロシア西部やウクライナ等からの移民を送り込んで来ました。
移住者には他のソ連国内と比較して2倍以上の賃金を支給し、定住人口の移住を進めたそうです。
その際、ソ連はかつて日本人が住んでいた泊ではなく、その北にある高台地域に新たにロシア風の小都市を建設し、ユジノクリリスクと名付け、行政の中心地としました。
島内には新たに空港も造られ、港と並び、町の玄関口となりました。
気象は、寒流の影響を受け、夏でも冷涼で、霧も多く、航空便の欠航がよくあるそうです。冬は厳しく、しばしば海が大荒れになりますが、それでもオホーツク海側と比べ、流氷の影響を受けにくく、不凍港と見なされ重宝されているようです。