地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

霧ケ峰高原

2008-12-15 06:29:03 | Weblog
1/5万の霧ケ峰高原の地形図です。
昨年の10月、コロボックル山荘に一泊して徘徊した、懐かしい高原です。
溶岩台地です。日本では珍しいアスピーデ型火山(盾状火山)といわれていますが、本来のアスピーデ型(ゆるいマグマが流れて広がって出来た台地)ではないそうですが・・・

「何故ここを霧ケ峰と呼ぶの?」「馬鹿!霧がよく立ち込めるからだよ!」
こんな他愛もない軽口をたたくkuromapですが、私どもが訪れたときは極めて好天気で、広い高原を晴れやかな気分で歩いた記憶があります。
それを裏付けるものに「霧鐘塔」があるそうです。濃霧の日には鐘を鳴らして、ハイカーたちに、方向を知らせるんだそうです。
是非、霧の立ち込めた「霧ケ峰」に行ってみたいものです。

歩いたコースは地図の赤線で、泊めて頂いたコロボックル・ヒュッテは赤丸印のところです。途中に、「男女倉」へ抜ける道がありました。これ、「オメクラ」と呼ぶのだそうです!

さてさて、霧ってどうして発生するのでしょうか?
「大気中の水分が飽和状態に達したもの」だそうです。雲と同じものですが、地表に近いのが霧で、宙に浮いているのが雲だそうです。
しかし、山ではその区別は微妙ですね。

そして、ここの霧は、諏訪湖(729m)から霧が峰高原(1,500~1,900m)へ水蒸気が急上昇して出来るんだそうです。
大体、100m上る毎に気温は0.6度低下するといわれています。すると、諏訪湖から約1000m上昇した水蒸気は6度も急に温度が下がります。そのため、水蒸気は飽和状態になり、凝結して、霧になるそうです。

霧ケ峰高原の北の端の「八島ヶ原湿原」は、尾瀬ヶ原と並ぶ日本を代表する高層湿原だそうです。
ミズゴケ類を主とした植物が腐らないで堆積し、泥炭層になって、出来たそうです。そして、ここは「湿原植物群落」として保護されています。

また、ここには、旧石器時代や縄文時代の遺跡が多く発見されています。
古くから親しまれた住みよい土地でしたのでしょう。ヤジリも多く出土しているそうですから、多分、狩猟をして暮らしていたのでしょう。

それから、
「霧ヶ峰 登りつくせば眼の前に 草野ひらけて花咲きつづく」(島木赤彦 作)
と、歌われているように、いろいろな花が見事に咲きそろうそうです。
なかでも、ニッコウキスゲがいいそうです。
また是非、訪ねてみたいですね。
風花爺さん!よろしく。


 


鹿児島県 笠野原(シラス台地)

2008-12-12 14:24:31 | Weblog
台風のシーズンが来るとよく話題になるのが鹿児島県のシラス台地です。

今回はその中でも最も規模が大きい鹿屋市の笠野原台地(南北約13km、東西約10km)を取り上げました。

シラス地質は、雨が続くと泥んこの溜まりになり、それが乾くと表面はコチコチに、そして、その下は水に流されて空洞になるという、厄介な地質です。
これは、火山のマグマに二酸化ケイ素(化学式 SiO2 ガラスや陶磁器の原料)が多く含まれているためだそうです。
土を顕微鏡で見ると、無数の気泡があり、軽くてもろく水に流されやすい性質の土だそうです。
そのため、地下水に侵食され、地下に空洞が出来、崩落して穴や窪地が出来るそうです。

地形図の中央に流れてる中山川は、「中山谷」または「ジョンソン谷」と呼ばれ,地下水が湧き出て流れ浸食されて出来た谷です。ここの谷壁が豪雨でよく崩れ、ひどい災害が起きるそうです。

上の1/5万地形図は、1914年(大正3年)、桜島噴火(大正大噴火)で、耕地が火山灰の被害を受け、これをきっかけに耕地整理事業が始まり、碁盤の目状に整然と区割された現在の姿です。

シラス台地は水はけがよすぎるため、水路も役に立たず、農業用水は地下水を井戸で汲み上げる以外になかったようです。
そのため、昔は比較的地下水位の浅い台地南部の井戸は深さが50m程度で、なんとか人力で水をくみ上げることができたようですが、
中部では牛の力を借りないとくみ上げられないほど深かく、80m以上の井戸も掘られていたようです。
今も「土持堀の深井戸」は鹿児島県指定史跡で残っています。
さらに、北部ではもはや井戸から水をくみ上げることは難しく、川から馬で水を運んだそうです。
そんな土地ですから、水田は殆どありません。
櫻島大根、イモ焼酎の材料のイモなどが主産物です。






釈迦ケ岳 経路断面図

2008-12-09 11:25:26 | Weblog
釈迦ヶ岳は、釈迦如来を山に祀ってある山のことだそうです。

標高の高い山に登ると、仏に近づいたようなすがすがしい気分になります。
俗界の悩みごとが、皆、馬鹿に小さいことのように思われ、救われます。

しかし、山を下って、一杯飲んでいると、またまた、俗界の苦悶がむくむくと頭を出してきます。それもまた、楽しからずや。

結局、現世では仏になどなれるわけないですよね。欲望があるから・・・・

ところで、今度登るのは山梨県笛吹市(いい名前ですね)の釈迦ケ岳ですが、
同じ名前の山は全国にたくさんあるようです。
主なものを挙げてみますと
· 釈迦ヶ岳 (栃木県) 標高は1795m。
· 釈迦ヶ岳 (笛吹市) 標高1641m。 このたび登る山
· 釈迦ヶ岳 (市川三郷町) 標高1271m。
· 釈迦ヶ岳 (鈴鹿) 標高1092m。
· 釈迦ヶ岳 (奈良県) 標高は1800m。
· 釈迦ヶ岳 (福岡県) 標高844m。
· 釈迦ヶ岳 (大分県・福岡県) 標高1231m。
· 釈迦ヶ岳 (宮崎県) 標高831m。

例によって、断面図を作ってみました。
時期が時期だけに、雪に合うかもしれません。
また、北向きの山ですので、道が凍結しているかもしれません。
山頂には屏風岩もそびえているようです。
リーダーのランク付けでは、体力度は「1」ですが、技術度は「2」だとか・・・!?
アイゼンを用意していきましょう。

そして、すがすがしい気持ちで、お釈迦様におまいりしてきます。


甲府盆地(扇状地)

2008-12-04 09:08:34 | Weblog
甲府盆地は、わが国の代表的な扇状地です。
フォッサマグナに位置するため、盆地の両側が勾配のきつい断層崖になっています。
河川がこの断層から、平坦な甲府盆地に流れだすとき、土砂が堆積されアチコチに扇状地が出来ます。

上の地図は、御坂山地を後背地にした甲府盆地の一部、扇状地です。

植生を見ると、水田はごく一部で、殆ど果樹園です。多分、ブドウ畑でしょう。

スペインでは山というか、丘というか、全てがブドウ畑でした。ブドウの木も棚状になっていなくて、一本一本ゆったり間隔を置いて植えられていました。しかも、延々とブドウ畑のみで、その間に人家など見られませんでした。
今にも、丘の間から、馬に乗ったドンキホーテが、サンチョを従えて現れて来そうな、錯覚を覚えましたが・・・。

甲府ではブドウが植えられているのは、扇状地が主で、しかも、密生して、棚状に植えられていますよね。そして、果樹園の間には人家がせせこましく散在しています。

わが国は、平野が少なく、人口密度の高い国だけに、こうした土地利用は当然でしょうが・・・。





奥多摩・浅間嶺ハイキングマップ

2008-12-03 13:58:51 | Weblog
12月7日(日)に仲間と奥多摩の浅間嶺(903m)のハイキングに行きます。
ここは、桧原村という人口2800人の東京の奥座敷です。

このたびのハイキングルートは、人里(ヘンボリ)から本宿にいたる歩程約3:30の歩きやすいコースで、浅間尾根(センゲンオネ)といわれています。別名、甲州中道ともいわれています。

甲州街道が八王子、高尾から小仏峠を越えて相模湖方面へ抜けていたのに対し、甲州中道は途中、日野から滝山街道を北上し、秋川丘陵に入り、丘陵の尾根道を辿って、檜原の本宿に至り、そこからこの度の浅間尾根を通って、小河内に入り、そのまま大菩薩峠を経て甲府へと向った古道です。
江戸時代は、大八車や牛馬を曳いて五日市へ薪炭を運び、帰路は生活物資を持ち帰った生活道路のようです。
小仏トンネルや笹子トンネルが出来、交通網が発達した現代では考えられない生活の道です。
その辺を味わいながらハイキングしてみましょう。

このルートの途中に、観光名所として知られる、払沢の滝があります。「日本の滝100選」の一つだそうです。
4つの段を合わせると、全長は60メートル、約50メートルの奥行を流れ落ちているそうです。

さて、思い出の記念品ですが、檜原窯 、人里窯 がいいかな。徳利でも買っておくと、いつまでも思い出深くお酒が味わえます。

地名に、「人里」と書いて「ヘンボリ」と読む場所があります。また、「仏沢の滝」と書いて「ホッサワ・・・」と呼ばれる滝もあります。
どうも、本来のわが国の読みとは違うようです。
そこで、すぐ朝鮮渡来系の言葉ではと考えられますが、朝鮮語では「人」を「ヘン」、「里」を「ホリ」とはいわないそうです。
「人」は「サーラム」、「里」は「マウル」だそうです。
なぞに包まれた地名ですね。








胆沢平野(扇状地)-2

2008-12-02 15:36:28 | Weblog
1/5万地形図で胆沢平野(胆沢扇状地)を取り上げてみました。

わが国における最大級の扇状地なのと同時に、6層の河岸段丘を持つ複雑な扇状地です。
北部の胆沢川沿いは標高100m前後ですが、南部の高位部は150m前後あります。
20m間隔の等高線の1/5万地形図ではその実態はつかめませんが。

この胆沢平野(扇状地)を豊かな穀倉地帯にするには、先人たちの大変な苦闘があったようです。
それは、一番低いところを流れる胆沢川の水を段丘の高位部にいかに導くかです。
扇状地は河川が伏流し、時には水無川になります。その上、ここは南北に50m~60mの高低差を持つ6層の河岸段丘が並んでいます。
そこに、地図に見られるように、扇頂部から扇の骨のような用水路が作らています。
古いのには、茂井羅北堰、茂井羅中堰、茂井羅南堰があります。中ほどに、角塚古墳があるように、この地では古墳時代から農作業が営まれたようです。
南部の用水路ほど胆沢川上流から引かれています。寿安上堰、寿安下堰、がそうです。
これはキリシタンたちによって築かれたとか(命名のごとく)・・・
さらに高地部には、今なお多くの用水留池が散らばっているように、導水をあきらめて、雨水や湧水に頼ったようです。そして、水田よりも畑作や桑畑や果樹園が多く広がっています。

用水のほかに、この地帯の特徴にエグネ(居久根)と呼ばれ防風林に囲まれた農家があります。1/5万地形図に緑色で着色してみました。
地形図の凡例には「樹木に囲まれた住居地」とあります。
これは、防風林を主な目的にしていますが、他に、日陰作りや防寒、防雪、肥料(落ち葉)、燃料(薪)、薬などなど・・・に便利に活用されていたようです。しかし、今の時代にはそぐわなくなってきたようですが・・・。
同じような景観は、砺波平野(富山県)や出雲平野(島根県)にも見られます。
私も、今から約半世紀前、出張で鳥取、島根に行った際、大山の近くで農家の見られない田園風景に遭遇したことがあります。それは、西に向かう車窓からは防風林で農家が隠されていたからです。
鍵の手に背の高い木が農家を囲っていました。一寸、異様な景観でした。

地名にも、この辺りが穀倉地帯であることを思わせる地名が多いですね。
「○○田」「○○谷地」「○○刈田」「○○田中」「○○堰田」、南側には「○○畑」「○○柴山」・・・
そして「荒屋敷」「八幡屋敷」「作屋敷」「萩屋敷」など農作業のための大家族の住んでいたらしい「屋敷」の付いた地名など・・・

地形図を眺めていると、只でいろんな景観が想像できて、楽しいですね。
同時に、現地に行ってみたくもなりますが。