地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

都市計画図 用途指定現況図(幡ヶ谷地区)

2008-04-30 11:50:22 | Weblog
幡ヶ谷地区の用途指定現況図
都市計画図には計画用図(1:2500)と用途指定現況図とがあります。
計画用図は1:2500ネズ色一色の白地図で、いろいろな工事計画作業用に使われます。
用途指定現況図は土地利用計画、建築指導などに使われます。
ここで採りあげた地図はこの用途指定現況図です。

用途地域図は、住居、商業、工業など市街地の土地利用の混在を防ぎ、整然とした街づくりを目的にしたもので、第一種低層住居専用地域など12種類があります。

その内容は
1. 建物の種類
・第一種低層住居専用地域 : 低層住宅地域。高さの制限は10m。
例としては、2階建て程度の戸建て住宅・アパート主体の住宅地。
・第二種低層住居専用地域 : 低層住宅地域。高さの制限は12m。
150m²までの一定条件の店舗等も建てられる。
・第一種中高層住居専用地域 : 中高層住宅地域。
500m²までの一定条件の店舗等が建てられる。中規模な公共施設、病院・大学なども建てられます。
・第二種中高層住居専用地域 : 中高層住宅の地域。
1500m²までの一定条件の店舗や事務所等が建てられます。
・第一種住居地域 : 住居地域。私の住んでいる今のマンションもこの地域です。
3、000m²までの一定条件の店舗・事務所・ホテル等や、環境影響の小さいごく小規模な工場が建てられます。
・第二種住居地域 : 主に住居地域。
10、000m²までの一定条件の店舗・事務所・ホテル・パチンコ屋・カラオケボックス等や、環境影響の小さいごく小規模な工場が建てられる。
・準住居地域 : 道路沿いの、自動車関連施設などと、住居が調和した地域。
10000m²までの一定条件の店舗・事務所・ホテル・パチンコ屋・カラオケボックス等や、小規模の映画館、車庫・倉庫、環境影響の小さいごく小規模な工場も建てられる。
・近隣商業地域 : 駅前商店街など。近隣の住民が日用品の買物をする店舗等の、業務の利便の増進を図る地域。ほとんどの商業施設・事務所のほか、住宅・店舗・ホテル・パチンコ屋・カラオケボックス等のほか、映画館、車庫・倉庫、小規模の工場も建てられる。
延べ床面積規制が無いため、場合によっては中規模以上の建築物が建つ。
・商業地域 : ほとんどの商業施設・事務所、住宅・店舗・ホテル・パチンコ屋・カラオケボックス等、映画館、車庫・倉庫、小規模の工場のほか、広義の風俗営業および性風俗関連特殊営業関係の施設も建てられる。
延べ床面積規制が無く、容積率限度も相当高いため、高層ビル群も建てられる。
・準工業地域 : 主に軽工業の工場等で、環境悪化の恐れのない工場地域。
住宅や商店も建てることができる。
ただし、危険性・環境悪化のおそれが大きい花火工場や石油コンビナートなどは建設できない。
・工業地域 : どんな工場でも建てられる。住宅・店舗は建てられる。学校・病院・ホテル等は建てられない。 例えば、大規模な工場の隣に社員寮やスーパーがあるような状態など。
・ 工業専用地域 : どんな工場でも建てられるが、住宅・物品販売店舗・飲食店・学校・病院・福祉施設・ホテル等は建てられない。住宅が建設できない唯一の用途地域でもある。
石油コンビナートや製鉄所などの環境悪化の可能性が大きい地域である。
また、花火工場などの危険性が極めて大きい工場もこの地域に建設される。
などです。
そのほかに、

 2、建ぺい率 ・・・建築面積の敷地面積に対する割合。簡単に云うと、1階部分の面積の敷地面積に対する割合です。
30%から80%に定められています。
ただし、角地の場合や、防火地域内での耐火建築物に対する緩和などで、実質的に 「制限なし」 となる場合もあります。

3、容積率 ・・・敷地面積に対する建築延べ床面積の割合で、
50%から1300%の間です。
私のマンションは300%のようですが・・・
4、高さ制限・・・第一種低層住居は10m、第二種低層住居は12m
5、前面道路幅員別容積率制限(道路幅員に乗ずる数値)
6、 道路斜線制限
7、 隣地斜線制限
8、日影規制 ・・・日影規制時間 
冬至日に於いて建築物が8時から16時までに発生する日影の時間を制限する。
具体的には敷地境界から、5m、10mの測定ラインを設定してそのラインを越えて一定以上の日影を生じさせないように建築物を制限しています。○下段の左が5mラインの規制時間で、右が10mラインのそれです。

このほかに、防火・準防火地域、特別工業地域、文教地区、風致地区、ごみ焼却場、火葬場、公園地区など
更に、都市計画道路などなど・・・、

地方行政も大変な作業ですし、住宅等建築にも大変な工夫がいるようですね。
私は故郷は別にして、都会生活は殆どマンション暮らしで、その辺の苦労はしていませんが・・・


美の山ハイキングマップ

2008-04-28 11:00:28 | Weblog
4/27(日) 埼玉県秩父市の「美の山公園」へ渋谷山歩会の人たちとハイキングに行ってきました。桜の名所ですが、さすがに時期遅れで桜は散ってしまっていました・・・と、ばかりは云えない・・・山頂の光景でした。
八重桜が充分に我々を楽しませてくれました。
時期はずれのため、日曜日というのに人出も比較的少なく、満開の八重桜の下で、青空を背景にピンク色のぼってりした八重桜をゆっくり楽しみました。
「美の山公園」は、蓑山(標高586.9m)の山を中心にした桜公園で、秩父市と皆野町が約10,000本の桜を植栽し、昭和54年4月に開園しました。山頂は平坦地が結構広く、まさに市民憩いの場所にふさわしいところでした。
その地図を、例のごとく Illustlator でまとめてみましたが、実は小生、知ったかぶりをしてリーダーの選択した道を変更させ、元来た道へ誘導してしまいました。大失策です。失礼しました。
そのため「くろや駅」近くの和銅遺跡へ寄ることが出来なくなりました。反省!
本来のコースは赤線、間違えた帰りのコースは緑線です。
間違えたポイントは★印の駐車場のところ。面目ございませんでした。

理由を他に転嫁したくはないのですが、道路案内標識にも苦言を呈したいと思います。
案内標識の地名の選択です。
山道で度々感じることですが、国の基本図である1:25,000地形図や、1:50,000地形図にない地名、多分地元の人は馴染みの地名なのでしょうが・・・、が書かれていることです。
誰のための案内標識なのでしょうか。
比較的よく解っている地元の人のための道案内より、初めてきて、その土地を観光し、金を落としてくれる人たちのための案内標識にすべきではないのでしょうか。
このたび、地形図の整飾(地図の外に書かれた情報のこと)のなかの、「到達注記」の選択基準を調べてみたのですが、ハッキリした規定が見つかりませんでした。
「道路・鉄道の到達注記」の規定があるはずですから、機会を見て掲載します。
でも、天気よし、仲間よし、八重桜最高!いい一日でした。幹事さんありがとうございました。そして、ご迷惑お掛けした段、重々お詫び申し上げます。

ミュンスターの世界地図

2008-04-26 17:18:30 | Weblog
ミュンスターの世界地図
1540年の世界地図です。
ヨーロッパ中心の世界地図です。
南北アメリカ大陸が描かれ始めました。
なんとも奇妙な形の大陸ですね。
これが16世紀半ばの世界観です。

喜望峰の先はいつも海が荒れてるようで、怪獣のような、鯨のような魚が泳いでいます。
北アメリカは小さく細長く書かれています。
そして、北アメリカの直ぐとなりに日本がチパンゴという名前で書かれているそうです。
小さな複製図でよく見えませんが・・・。
ついでに申しますと、地図の中に書いてある吹き出しの説明文が読めるといいのですが、それらの解説や凡例の説明が省略されていて残念です。
機会があれば、読んでみたいと思います。


ガスタルディの北アメリカ図

2008-04-25 06:00:58 | Weblog
ガスタルディの北アメリカ図

北アメリカとアジアは連続しているという従来の見解に対して、イタリアの地図製作者ジャコモ・ガスタルディ(Giacomo Gastald)は、1562年にアジアと北アメリカとの間には、アニアン海峡(Straits Anian)という海峡があると仮想し、かつそう主張して、地図を作ったようです。
それが上の地図です。

また、北アメリカとアジアの間のマンギ(=MARE DE MANGI)海にはジャパン(GIAPAN 日本)島が描かれています。北アメリカとアジアのほぼ中央です。

この想像上の海峡は、アジアとヨーロッパを結ぶ北西航路で、南アメリカを迂回しなくてもアジアに行き来できる最短航路となるため、多くの探検家がこの海峡の存在を信じて、北大西洋のラブラドル海側と北太平洋のカリフォルニア側からの探検を行ったそうです。

彼らの探検の結果、カナダ北部やアラスカなどの姿も解ってきました。
しかし北極海は夏でも融けない流氷・海氷や氷山があり、船が氷に閉じ込められ押しつぶされることもあるなど、多くの探検家が犠牲となり、20世紀まで横断航海に成功した者はいなかったそうです。

そして、最初に北西航路を船で横断したのは、南極点到達でも有名なロアール・アムンセンです。
ガスタルディの仮想地図から約440年の後です。北西航路の探検が如何に危険で困難なものであったかが伺えます。
彼は1903年から1906年にかけて小さな船で大西洋から太平洋へと抜け出る航海に成功しました。
パナマ運河完成の約10年前のことです。









経路断面図(滝子山)

2008-04-24 05:51:09 | Weblog
先日の滝子山の経路断面図をカシミールで作ってみました。
このソフトも優れものですね。
登山情報には、もってこいです。操作も簡単、お値段も安いし・・・
登山者には是非お奨めします。

花咲か爺さんからのコメントによると
「・・・暇な折に辿ったルートの断面図を作ってみてもらえませんか。
累積標高差が正確にはどれくらいの値になったか知りたいのです。
等高線を仔細に見れば算出できるのですが、目が疲れちゃって・・・。」

ウソー!老いたりといえども、まだそんな歳には見えませんが・・・

この断面図は、先日のルートすべてではなく、「すみ沢」の登山口からの往復ルートのみを図化しました。

その図によると、画面では読めませんので、左下の主なデータを抜書きしますと

距離:5.948km・・・地図上の平面距離でしょうか
沿面距離:6.211km・・・実際の登山距離
標高差:3m・・・始・終点が同じですから0mになるはず。誤差ですね
推定時間:2:47:54・・・前後の登山時間と昼食時間を入れると、ほぼいいのでしょうか?  約 2.2km/h(←沿面距離/推定時間)
累積標高(+):757m
累積標高(-):-754m・・・この差が上の標高差




滝子山・登山地図

2008-04-22 14:55:31 | Weblog
一昨日、4/20(日)山梨県大月市の滝子山(1630m)へ、仲間7人で登ってきました。
例によって、私の好きなIllustlator で地図を纏めてみました。
今回のリーダーは山のベテランで、それだけにコース設定も、舵取りも素晴らしかったです。

先ず、コースですが、単に山道を歩くのではなく、獣道のようなヴァリエーション・ルートを経験させてくれました。地図の緑のルートです。
地形図上には破線道路(幅員1.5m未満の道路)としても記載されていない、何も道のないルートです。私一人では到底選びません。
ブッシュにはなっていないので歩き難いとまでは言えませんが、慣れたリーダーがいないと道を間違えるでしょう。

それから、道順です。今回の逆ルートを取っていたら、最初ダラダラ・・・後半、真っ青!
危険だし、相当に疲れただろうと思いました。
特に、岩肌の出て、濡れた急斜面のガレ場は・・・?

小生は、多分皆さんに迷惑を掛けていたことでしょう。
今回のルートでさえも、その場をはずして、急遽、巻き道をとったくらいですから。
リーダーの判断と、勇気ある決断には、感服しました。


お陰様で、飽きのこない、のんびり楽しい登山を経験でき感謝しています。
楽しい登山の要素に、やはり欠かせないのが、やや年を重ねてはいますが、二人の異性の同行です。華やかで、賑やかでいいですね。私ばかりの感想ではなさそうで、皆さん、和やかな登山でした。ありがとうございました。

今回の滝子山の三角点ですが、「二等三角点」の文字が南を向いていました。
南アルプスの黒法師岳のも南向きで、これは作業者の設置ミスのようです。
三角点標石の文字は北に向けて立てるのが原則のようです。それは苔類の侵蝕から文字を保護するためだそうです。全国でも数少ない例の一つですが・・・

それからもう一つ。これは地図屋の私の初耳で、恥じ入っておりますが、地形図上の標高数字に小数点以下の表記のないものは、単に測量成果の記載のみで、そこには標石はないのだそうです。いわゆる誤差の許容が大きいわけです。
0.5m以内の誤差は許容の範囲とした標高数字のようです。
ありがとうございました。
m(-_-)m



クックの業績

2008-04-19 14:32:53 | Weblog
クックが貴重な人であったことは、彼が船も操れた上に、海図も作れたことです。
大抵の船長は海図作りは人任せにしていました。

7年戦争※1)が終わり、戦勝国のイギリスは地図を作る必要な土地を多く獲得していた。
その際に活躍したのがクックです。

※1) 七年戦争は、1756から1763年の7年間にわたるヨーロッパ内部の戦いで、イギリスの財政支援を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・スウェーデン・スペイン及びドイツ諸侯との間の戦いです。
並行して、イギリスとフランスの間では北アメリカ、インド、各大洋上で陸海に渡る戦いも繰り広げられました。

当時のイギリスは七つの海の海上権を確保することは国家的要請であるとして、未知の南方大陸と太平洋の探検は国家的事業であった。そういう背景の下で、クックは探検と地図作りにまい進したのです。

中でも、ニューファンドランドの海図は、そこが北米への玄関口であっただけに重要で、かつ9600kmもあるという凸凹した海岸線の測量だけに困難を伴いました。
クックは1763から1767年にかけてこの測量をおこないました。その成果が上の地図です。
経緯度線も入り、画期的な地図です。
縮尺は1マイル=1インチだそうですが
彼が30歳後半のころです。

彼は伝統的な海洋測量の方法に、陸地の三角測量を加え、その相互の位置関係から正確な海上の位置と、そこの水深を測量しました。
以前は、「・・・方位コンパッスを使って海岸で最も突出し、あるいはくぼんでいる地点の方位角を測る。その角度をメモし、海岸の大まかな形をスケッチする。・・・次に、船は(その地点に向かって)直線コースを取るが、これは測距器などで、1マイル、2マイル、3マイルと慎重に図らねばならない。」・・・

海岸に近づくに従って、船からに位置と方位角も変わり、入り江だと思っていたのが島だったり、島だと思っていたのが岬だったりで、海上からだけの測量では正確さを欠く地図になる可能性がありました。

クックはそのてんを妥協せず、徹底的に調べて地図化したようです。
彼は、伝統的な沖合いからの測量技術に、陸地での平板測量の技術を結びつけました。

陸地での基線の端に旗を立て、四分儀※2) でその位置の緯度を確定しました。
※2) 円の4分の1の扇形をした目盛りのついた定規に望遠鏡がつき、天体を観測しながら現在地の緯度を割りだす器械。

その旗を中心に三角測量で要所、要所の角度を測量し、三角網を作りました。そして、自分達の船のマストに経緯儀を向け船と陸地との関係を測量し、同時にその船の位置の水深を測りました。水深は、尋(ヒロ)単位です。
太平洋から北米西海岸を測量する頃には、クロノメーター※3) も発明され、緯度だけでなく経度も簡単に測定できるようになりました。

※3) クロノメーター:彼が最初に活用したと伝えられています。振り子でないゼンマイの時計で経度も測れる機械です。海上ではゆれて振り子時計では役に立たないのです。

彼は測量が終わると、イギリス本土に帰り、地図作りをしていたそうです。
大変地図に愛着を持っていた人なのですね。
「実測」 を地図作りの原点にしていた点、見習わなくっちゃね・・・



ドュールベルグのオーストラリア図

2008-04-18 11:17:14 | Weblog
ドュールベルグのオーストラリア図
3回にわたり探検を繰り返したクックは、1770年、ニュージーランドからオーストラリア東海岸に到着してオーストラリア大陸を発見、永く南方大陸の存在を仮想していた地図概念を覆し、オーストラリア大陸、太平洋、ハワイ諸島の存在を明確にした。

その成果がこの地図です。
ULIMAROA(ウリマロア)とはマリオ語(ハワイ語)で、オーストラリアを意味します。

ジェームズ・クック(James Cook, - 1779年)は、イギリスの海軍士官、海洋探検家であると同時に、優秀な測量と海図製作者でもあります。
庶民の出身で、石炭運搬船の乗組員から身を起こし、イギリス海軍の大佐 (ポスト・キャプテン) に昇りつめ、太平洋に3回の航海を行った人です。

次回は、彼の海図作りのノウハウを調べてみましょう。


バレンティンのオーストラリア図

2008-04-17 14:24:51 | Weblog
バレンティンのオーストラリア図
1726年のバレンテェンの地図はタスマンの探検の結果を示しています。
タスマンの2回目の航海から約80年後の地図です。

世界でもっとも遅く探検された地域です。混沌とした地理認識が伺えます。
そのくせ赤道や南回帰線らしき線が描かれています。
不可解な部分が多いですね。ゆっくり、こつこつ調べてみましょう。

さて、オランダ人 アベル・タスマン (Abel Tasman) は1642年、南半球の偏西風にそって、インド洋を東に進み、タスマニア島に到着、その後、さらに東に航行してニュージーランドを発見。
彼は最初それが南米大陸の陸続きの先端だと考えたそうです。

その際、オーストラリア本島に沿って東に進んでいたはずですが、本島は発見されていなかったのですかね。大分南の偏西風に乗っていたのでしょうか。

その後、2回目の航海は1644年に行われ、今度はニューギニアとオーストラリアの間のトレス海峡を周り、オーストラリア北海岸に沿って航海したそうですが、海賊行為としての有益なものは発見できず、その後、約100年間は活発な探検は行われなかったようです。
その際も、地図にあるようにニューギニアとオーストラリアは陸続きとみなされていたようです。すなわち、ニューギニアはオーストラリアの一部だと認識されていたようです。

時代は下り1777年、イギリスはジェームズ・クック (James Cook) がオーストラリア東海岸・シドニーの南方ボタニー湾に上陸し、本島を確認しました。
大航海時代に、100年もの間、探検が行われていなかったわけではないでしょうから、何か別の深いわけがありそうですね。


地形図の新規格

2008-04-16 04:30:13 | Weblog
平成15年11月から、2万5千分の1地形図の規格が変わりました。
実は、私もつい最近知りました。不勉強でした。
一度には変更できないので、逐次変えていくそうです。
現在6~7割り程度変更されています。

m(-_-)m

その変更の内容は、

「1、経緯度の基準が、世界測地系になった。
2、隣接図と重複部を持たせ、地形図1枚の区画を大きくした。
 また、隣接図の区画位置及び従来の日本測地系による地形図の区画位置が分かるように三角形の印(オレンジが日本測地系、青が世界測地系の図郭)を表示した。
3、居住地名等の文字を見やすくするために書体を全てゴシック体とした。
4、博物館、図書館の記号を新たに設けた。」
ということです。

3,4は解るとして、「世界測地系・・・」((08-01-20))はよく解りませんね。

今日はそのことを少し調べてみましょう。


地球の形は,山や谷や海があり,基準面としては複雑です。
そこで,できるだけ地球の形に近く,そのうえで,できるだけシンプルな形の基準面を決める必要があります。
地球の形をもっともよく代表するモデルの一つは、ジオイド※1) ですが、ジオイドも複雑な起伏があるので基準面としては不適切なようです。

※1) ジオイド:地球表面の7割は海洋で覆われており、測地学では世界の海面の平均位置にもっとも近い「重力の等ポテンシャル面」を「ジオイド」と定め、これを地球の形状としています。日本では、東京湾平均海面を「ジオイド」と定め、標高の基準としています(離島を除く)。したがって、標高は「ジオイド」から測った高さになります。

そこで、ジオイドに極めてよく似るように決められた回転楕円体を考え、地球の形を代表するものとします。これを地球楕円体と言っています。
今まで、我が国は、いわゆるベッセル楕円体※2) を位置の基準としており、この測地基準系が日本測地系です。明治初期に決定しました。一寸早すぎたのですかね・・・

※2) ベッセル楕円体 :  ベッセルはドイツ人数学者で1841年プロシアの測量の際、設定した地球回転体です。赤道半径 6,377,397.155m 扁平率の逆数 299.152813.

一方、世界測地系は、電波星を利用したVLBI※3) 観測や人工衛星観測により、現代の科学的知識に基づいて設定された、世界共通の測地基準です。

※3) VLBI : 数十億光年の彼方にある電波星から届く電波を電波望遠鏡で受信して、数千kmもの長距離を誤差数mmの範囲の高精度で測ることのできる技術だそうです。要するに距離測定がきわめて正確だということですか・・・

世界測地系の楕円体の中心は、地球の重心と一致するように設定されていますが、日本測地系の楕円体の中心とは一致していません。ずれています。
そのため、GPS観測の経緯度とずれが生じます。
また、そのため日本測地系を世界測地系に変換するのは単純計算ではなさそうです。

例えば、米軍のGPSと日本測地系の緯度・経度では、東京付近の地表面で400m程度のずれがあります。
また、明治時代の測量機器や測量技術による制約と過去100年間の日本列島の地殻変動の影響等で基準点網にひずみも生じています。
例えば、東京から見て札幌の位置が西へ約9m、福岡の位置が南へ約4mずれていることが分かっています。
これらの「ずれ」や「ゆがみ」は、日本国内向けに1:25,000の地形図を利用するのには問題ないが、国際利用や、精密な位置情報にもとづくGISデータの整備などには障害になります。

今や、GPS(全地球測位システム)及びGIS(地理情報システム)というコンピュ-タシステムを無視するわけにはいかなくなりました。
両技術に対応する基準として、世界測地系に基づいた、高精度な測地基準点成果及び地図成果が求められています。
今その変革をやっておかないと、後になるほどその変革は大変な量になります。
その変革が、平成15年11月以降の、日本測地系から世界測地系への、経緯度情報の変更です。

一度にできないので、逐次変更します。そうなると、変更された地形図と旧来の地形図との接合が出来なくなりますので、重複部分を設けたわけです。
多分、総ての変更が完了しても、この重複部分の表記は継続するでしょう。地形図使用上便利です。ただし、偏っていますがね・・・?


さらに、国土地理院は、地形図の経緯度表記だけの変更でなく、その精度を高めるため、「測地成果2000」という計画を実施しています。
これは、
新基準点網の骨格となる新しいタイプの基準点である「電子基準点」(08-01-10)の整備に着手したことです。新しい三角点です。
これを基に従来の三角点の経度・緯度の確認を行うのです。

電子基準点は、GPS信号を24時間連続的に受信する観測施設です。
観測データは、電話回線を通じて、茨城県つくば市の国土地理院測地観測センターに集められ、日本列島の地殻の日々の動きが捉えられるようになっています。
そのため、地震が起きると、瞬時に位置のズレが捉えられます。
電子基準点は、これまでに全国に約1000点が整備されています。

大分、地震大国“日本”らしく なってきましたね。
事後処理だけは・・・?