地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

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カンティーノの世界地図

2009-05-30 21:45:43 | Weblog
カンティーノ世界地図(1502年)
「カンティーノ」とは、15世紀の大航海時代に、航海用の地図を盗むため、イタリアのフェラーラ公爵がポルトガルへ潜入させたスパイの名前だそうです。”アルベルト・カンティーノという名前だけで、謎の人物です。それがこんなに後世に残るとは・・・

彼は1502年にポルトガルからイタリアへ、最新の世界地図を持ち出すことに成功し、その地図に、彼の名を冠して”カンティーノ世界図”と通称されています。

この地図により、インド航路がハッキリし、アフリカの形もだいぶ正しくなりました。
そして、インド半島のほかに、マレー半島、スマトラ島も描かれています。

新大陸では、コロンブスの発見による西インド諸島のほか,ブラジルが記載され、「オウムの土地」と呼ばれ、3羽のオウムが描かれています。
しかしまだ、北アメリカは混沌としていますが。

この地図の左下隅には、「インディアスの諸地方で近年発見された島々への航海のための海図」と書かれているそうです。
当時の、インデアスとは、スペイン人が探索、征服、入植した地域で、現在の西インド諸島、南アメリカ、北アメリカの一部のほかフィリピン諸島も含んでいます。つまりは、スペインの王は19世紀に植民地が独立するまで、この名の下に植民地を広げてきたわけです。まさに、探検は富の根源であり、そのための航海図は貴重な秘密の“たからもの”だったのでしょう。トルデシーリアス条約など無視か?

カンティーノによる盗写期間は、1502年9月中旬から10月中旬までの1ヶ月間と推定されています。秘密裏に描いたわけですから、大変苦労もしたのでしょう。そして、その年中にイタリイに持ち出されたそうです。

1755年にポルトガルのリスボンを襲った大地震と大火によって、ポルトガル王室秘匿の地図類はすべて灰燼に帰しましたが、皮肉にもこの盗写図だけはイタリアに現存していたのです。

したがって、現存する世界図としては,このカンティーノ図がポルトガル最古の地図ということになり、重宝され、しばしば切手にも使われているわけです。
ここに、掲げた地図は、その一例です。

この地図の解説に、「実証的態度」を褒めた記事があります。すなわち、根拠なきものの排除~確認不明ないし根拠なき個所は空白のまま残す=無用な装飾・充填の排除・・・
まさに、地図作成の根本です。私も、永年地図製作に携わってきましたが、この「疑わしきは、記載せず」を大切にしてきました。いや、しようと勤めてきました。(トーンダウン)





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霧降高原ハイキング・マップ

2009-05-21 10:42:00 | Weblog
6月下旬、仲間たちと、霧降高原にハイキングに行く予定です。
ニッコウキスゲが盛りのようです。冬場のスキーリフトを使って、ゆったりと自然を味わってきます。つつじもいろいろ咲いてるようで、楽しみです。
「霧降」というだけあって、多分、雨も困るが、霧深く、牛乳瓶の中でさまようようなことのないように祈っていますが・・・、しかし、名前の通り、霧には必ずあうでしょう。それもまた、楽しからずや。一番こまるのは雷ですね。

ハイキングの地図をまとめてみました。カシミールという優れもので、コース図とコース断面図を作り、イラストレーターでまとめてみました。
パソコンが世の中に出て、素人でもこうして作図して楽しめるので、後期高齢者も老後ヒマ無で楽しいですね。
やはり、この分では100歳まで楽しく生きれそう。他人様に迷惑をかけないことが大切ですが・・・???

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シェーナーの世界地図

2009-05-07 07:55:07 | Weblog
シェーナーの世界地図

マゼランの世界周航は1519~1522年ですから、その翌年に作られたのがこの地図です。
マゼランの就航航路も描かれています。大西洋からマゼラン海峡を経て、広大な太平洋に驚きながら喜望峰を回ってスペインに帰り着いたのです。
3年に亘る大探検旅行です。マゼランは企画者だから取り組むのはいいとして、他の乗組員たちは良くぞ同行したものです。多分、囚われの身の人たちで編成されていたはずです。今は思い出せませんが、何かの本で読んだことがあります。

さて、この地図も1507年のミューラーの地図と同じく地球儀に張るための展開図です。木版刷りだそうです。貼る都合からでしょうか、三船ずつ分かれて短冊が作られています。

マゼランにより、地球が中世の円盤状から、一回り就航できる球体であることを明らかにしたことから、地球儀の制作が盛んになったのではないかと思います。
ベハイムの地球儀が現存する最古の地球儀だそうですが、これはコロンブスのアメリカ大陸発見と年を同じくしています。1492年作です。

当時は、地球の大探検時代だったのでしょう。

この地図にも、もちろんオーストラリアやニュージーランドは書かれていません。
アメリカ大陸はミューラーの頃から比べ大分大きく、メキシコ湾を中心に形を成してきています。

しかし、その分、日本(チパング)を中心にするアジアが狭くなっています。航路から推して、日本海を通り朝鮮半島からヒィリピンを経過したのでしょうか。
マゼラン海峡がイヤに狭く描かれているのが気になりますが、現在よりも南極の氷は北にせり出していたようですね。相当寒かったのかも。

しかし、混迷した中世から、急に活気付いた大航海時代の活き活きした世情がうかがえます。

そして、赤道や南北回帰線の位置、アジアを除く地域、特にヨーロッパやアフリカの経緯度分割が大変正確であるのに驚きます。多分、航海により培われた天体観測の結果でしょう。

近日中に、スイフトのガリバーの旅行記を読み返して見ましょう。

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ミューラーの世界地図

2009-05-06 15:22:07 | Weblog
ミューラーの世界地図

1507年作といわれています。木版刷です。新大陸を「アメリカ」と記載した最初の地図です。
しかし、その大陸がコロンブスがアメリカ大陸を発見した後だけに、イヤに淋しい、頼りない姿ですね。
それからの探検で、だんだん太った、大きな大陸に変わってきますが・・・。

プトレマイオスの世界像を基に作られたようです。
そして、このような世界像を頭に描いて、マゼランの世界周航(1519~1522)が計画されたらしい。

マゼランはポルトガル人ですが、1492年コロンブスが大西洋を探検して以来、各国の王は探検に金をつぎ込むようになり、彼もスペインの王を説得して金を出させたそうです。(当時、ポルトガルとスペインは航海路を西と東に別けていました。)

マゼランの計画は、西回りのアジヤ航路を見つけようという当時のスペインの野望と一致したので、王が後ろ盾になったのですが、マゼラン海峡を発見し、太平洋を横切るのは想像以上だったようです。

1519年、出発のときは5隻、280人から成る大部隊でしたが、1522年にセビリヤに着いたときは1隻、35人だけだったそうです。
マゼランも途中、原住民とのトラブルで殺されました。

多分、当時のアメリカ大陸と太平洋の概略は1507年ミューラーの作った上の世界地図の概念だったでしょう。

マゼランの航海によって、地球が丸くて就航できる球体であることがはっきり証明されたわけです。

これは、現代の月旅行や、「満地球」(満月でなく)の画像を見るのと同じくらい、いやもっと巨大な驚きだったでしょう。


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