地図のいろいろ

半世紀も地図作りに携わっていましたので、この辺で振り返って地図を見直してみようかな~・・・。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

画像による鳥瞰図

2008-03-31 09:39:35 | Weblog
画像による鳥瞰図
コンピュータ・マップの中で、標高データと土地利用データから、
昨日、「折り線による鳥瞰図」(土地利用情報付)を見ましたが、
今日は、②の「画像による鳥瞰図」(土地利用情報付)(上の図)を取り上げてみました。
ラスタ・データ(画像データ)です。

メッシュ上の標高データは、左上から光をあてた場合にできる陰影を、視点から見た陰影として捉え、その傾斜程度を白から黒の濃度の画像で表現します。
その上に、土地利用データを色分けした画像を重ねて作ります。

折れ線の場合と違って、標高は明確に現れませんが、高い山に邪魔されて隠れる部分が少なく、かつ、面として描かれるため、より土地利用が見やすいです。
これに、道路や鉄道、行政界それに文字など必要に応じた情報をベクタ・データで重ねることもできます。

このような、コンピュータ・マップは、このほかに、標高データのみから作られる「陰影鳥瞰図」や「陰影段彩鳥瞰図」などもあり、登山者達に喜ばれる地図です。
そして、これらの地図は、データとして遠隔地に瞬時に伝達できます。

コメント

折り線による鳥瞰図

2008-03-30 10:40:55 | Weblog
折り線による鳥瞰図
コンピュータ・マップの中で、標高データと土地利用データから、
①、 折り線による鳥瞰図(土地利用情報付)と
②、 画像による鳥瞰図(土地利用情報付)
がありますが、
今日は、①(上の図)を取り上げてみました。

視点を右下に置くことで、鳥瞰図ができます。
一寸高低を誇張するため、東西方向の縮尺に対し、高低は約3倍の縮尺にしてあります。
横並びのメッシュ上の標高点と視点とを結ぶ点を中間のスクリーン上に投影し、その点を結んでできた断面図です。
手前の断面図で見えなくなる断面は、出力されないように設定されています。
海や湖の部分も出力されないで白地になるよう設定してあります。
別途、水涯線を表示するよう設定してあります。

まt、土地利用データは、森林を緑色、農地をキミドリ色、市街地を赤色、荒地を茶色で表現してあります。標高の線が、それらの色で表現されています。
違う色の線が繋がるわけですから、精密なデータ表現ですね。
荒地を茶色にしたため、市街地の赤と見間違う恐れがあります。
富士山の頂上近くに市街地があるように見えます。
紫色あたりがよかったのでは?
XYプローターのインクゼットで出力したものです。

こうした地図を、年代順に並べて比較すると、色々な分析ができますね。成田空港や東京湾横断道路による土地利用の変化が、地図を楽しみながら、読み取れますね。

コメント

人口集中地区図

2008-03-29 12:13:53 | Weblog
人口集中地区図
昭和35年国勢調査以来、5年の国勢調査ごとに作成されています。
人口集中地区(Densely Inhabited District=DID)とは、狭義の都市としての市街地を示す指標として設けられました。
いわゆる「昭和(今回の平成)の大合併」により市町の区域が大幅に拡大し、市町の区域内に広大な農漁村的区域を抱え込むことになり、
市部=大都市・中都市、
町=小都市、
村=農漁村的地域という図式は崩れてきました。
例えば、現在の静岡市は静岡県を真っ二つにして、南アルプスのほうまで延びています。白根三山辺りから明石岳も「市」域となると施策に問題も生じやすいでしょう。
そこで昭和35年(1960年)の国勢調査から人口集中地区が設定されるようになったのです。

これは、市区町村の区域内で人口密度が4,000人/km²以上の基本単位区(国勢調査の単位区域)が互いに隣接して人口が5,000人/k㎡以上となる地区をいいます。
ただし、空港、港湾、工業地帯、公園など都市的傾向の強い基本単位区は人口密度が低くても人口集中地区に含まれることにしています。当然の措置ですね。

また、人口集中地区と同様、人口密度の高い基本単位区等が市区町村の境域内で互いに隣接しているが、その人口規模が「人口集中地区」の基準に満たずこれに準ずるとみなされる(人口が3,000人以上5,000人未満/ k㎡)場合、これを「準人口集中地区」としています。
ところで、ここにいう「基本単位区」とは、
街区又は道路、河川、水路、鉄道及び軌道の線路その他恒久的な施設等によって区画した地域です。調査ごとに区域を変えなくていいようにした配慮です。
となると、第3次メッシュ、又は更に細分化したメッシュ毎の調査のほうがいいのでは?他のデータとの整合性から、多分、近いうちに、そのように変わるのでは・・・


コメント

地域メッシュ別他市区町村通勤通学率

2008-03-28 09:36:14 | Weblog
地域メッシュ別他市区町村(への)通勤通学率
国土実態総合統計地図のなかのひとコマです。
昭和45年(1970)、総理府統計局 発表
縮尺 1:300,000  第3次メッシュ・データです。
約1km四方の中の人口に占める、15歳以上の他市区町村への通勤・通学者数の比率をメッシュの色分けで示してあります。
紫色から薄桃色まで5段階に分けて表しています。住宅地と商業地、山間部などが明確に読み取れます。
反対に、地域メッシュ別他市区町村からの通勤・通学率(受容れ)を示した地図が見れると、なお一層、細かい分析ができるのでは?
例えば、遊園地などは、そこから他へ出る人は少ないでしょうが、他からそこへ来る人は多いはず。そのような土地が、他にはどこにあるか、季節によっての変動もつかめれば、いろいろ施策上、役立つ分析ができるのでは。
また、経年変化を見るのも大切な分析結果が得られます。
さて、この3次メッシュは「基準地域メッシュ」とも呼ばれ、国勢調査にも採用されています。国勢調査表を提示することで、貴方たちの住んでいるメッシュ・コードが自動的に確定しているわけです。これを基にすれば、人口分布図や、人口密度図などは機械的にたちどころに作成して見ることができます。
ただし、行政界はアメーバのように蛇行していますので、直線状のメッシュ線とは相容れません。そこで、メッシュの中心点の属する行政に丸めることにしています。
これも、標高については、中心でなく各メッシュの左下交点の標高を採用することとしています。
これとて、3次メッシュでは、全国600万個もあるそうですから、人手でいちいち記録していたら大変なことになります。スキャナにより自動的に読み取る方法が考案されているようです。
等高線一本一本の標高データと、メッシュ格子のデータから、レーザ光線により読み取るようです。細かすぎれば、拡大して読み取ればいいのです。

これら、メッシュ方式のいいところは、大地震などで、天変地異がおきない限り、メッシュ区画は変わらないことです。合併などで行政区画が変わっても不変です。
また、標高データなどは、一度データ化すれば、ほぼ永遠にそのデータは使えることです。
人間の知恵は、無限ですね~。




コメント

ホンディオスの世界地図

2008-03-26 10:36:17 | Weblog
ヤンソニオス・ホンディオスの世界地図
1641年の世界地図。地図の四隅に、過去に世界地図の作成に貢献した人たちが世代順に描かれています。
ケイサル(1世紀頃、左上)、プトレマイオス(2世紀頃、右上)、メルカトル(16世紀、左下)、ホンティオス(17世紀、右下)です。
これで見ても、2世紀頃のプトレマイオスの世界地図から、16世紀頃の大航海時代まで、世界の概念はあまり変わっていないのが伺えます。いまだ、プトレマイオスはこの業界で、一目置かれていたようです。
この地図の、北半球は北アメリカが混沌としています。日本やその周辺も曖昧模糊としています。
南半球は、オーストラリアやニュージーランドが極めてあいまいな時代です。
それなのに、地球全体の構図はほぼ纏まってきているようです。
赤道をはじめ、経緯度はほぼ正しく描かれています。

ガリバーの旅行記は1726年イギリスで出版されたようですが、その中には、オーストラリアやアジア、特に日本らしい国の様子も、たくましい想像力を生かして語られています。

現在の火星探検、月世界探索のようなものでしょう。
当時は、好奇心の他に、黄金の国、ジパングを求めていたようですが、現在も科学者達の好奇心、探究心が、貴重な資源発見!となると、各国が競って発掘に向かうことでしょう。

今、温暖化で、北極の氷が解け始め、新航路の開発とともに、資源の調査にしのぎを削り始めているとか・・・
国連さん、頑張ってね!


コメント (1)

甲斐国絵図

2008-03-25 12:07:55 | Weblog
甲斐国絵図
江戸時代末期のものです。東西南北がきちんと記入されていて、かつ北が上になっています。
国境の山は、イラスト化され、特に富士山は特別のスペースを設けてかかれています。
北の八ヶ岳、金峰山辺りの山々、西は南アルプスの北岳、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ヶ岳、駒ケ岳それに多分、鳳凰三山らしき姿も見られます。
富士五湖は富士山から眺めた形でしょうか、やや縦長に変形していますが、配置と大きさの差がほぼ捉えられています。
現在の山梨県と地域は変わらないようです。
山梨殿、巨摩殿、八代殿、都留殿、他国の部として色分けした集落が記されています。更に、墨の実線でそれら集落の中の支配領分が確り分けられています。
管理体制はハッキリしていて、領分の争いは明確になっていたようですね。
こうした藩の重鎮達の名は、その後、郡名や市町村名として残っていましたが、平成の大合併でどうなりましたやら? 
道路と河川は明確に記されています。特に河川は詳細ですね。
河川は交通を遮断する重要な障害物でもあり、同時に農業には欠かせない資源でもあったからでしょう。

ところで、こうした国絵図は、各地方自治体が結構力を入れて保存しているようです。いずれ実物にお目にかかって、地図屋の目で見た当時の地図造りのノウハウに接してみたいものです。

コメント

プトレマイオスの世界地図

2008-03-24 11:06:17 | Weblog
プトレマイオスの世界地図
クラウディオス・プトレマイオス(127-160年頃)は、エジプトの天文・地理学者です。
天文書「アルマゲスト」(地理学提要)を著し、世界で最初の地図帳「アトラス」を作成し、その後16世紀頃までの世界観を作り出した人です。
内容は、世界全図1枚と、部分図数枚(?)からなっているそうですが・・・。

プトレマイオス自身の原図は存在せず、掲載の図は写本で、ナポリ国立図書館にあるそうです。

この地図には、まだ、全世界の1/4しか記載されていませんが、大航海時代前、2世紀頃では当然でしょう。
あとは未知の世界で、まわりに12個の風神を置き、風を送って地球を支えているという想定でごまかしています。
それでも、地球が宇宙の中心にあり、太陽やその他の惑星が地球の周りを回るという「天動説」を唱えていた人です。
多分、アリストテレスらによる世界は球体という節は既に確信していたようです。
アリストテレスは月蝕のときの地球の影から、地球は球形であると確信したようです。
また、球形を平面に描くために円錐図法の考えが取り入れられていたことです。頭脳明晰な人たちですね~!
そして、古代地図としては珍しく、推測や神話を出来るだけ排除して真実のみを描こうとしています。
そのため、地図に約8,000個の経緯度を置き、地図を描いています。画期的な発想です。


この地図の個々の内容ですが、
日本を含む東方が未知のためか、アジアが著しく東方へ伸びています。
アフリカ大陸には大きな山脈と湖が描かれており、そこを源にナイル河が流れている様を捉えています。
混沌としてよく解らない東シナ海は内海となっています。
インド半島は小さく書かれているが、セイロン島は異常に大きく描かれています。
インド洋貿易圏の重要な島として認識されていたのが伺えます。
ガンジス川のミャンマーの所には「金の国」「銀の国」と書かれているそうですし、
マレー半島は黄金半島として書かれているそうです 。
この辺は、文字が解読できないので、よく解りません。
中国や西域の内陸部は、シルクロードや紅海を通して伝えられた情報にもとずいて描かれたようです。



いずれにしても、この地図からは、欲の絡んだ探検思考が支配した時代背景をうかがい知ることができます。

 

コメント

秀吉所持扇面図

2008-03-23 11:06:40 | Weblog
「秀吉所持扇面図」です。
秀吉が愛用していたといわれる扇の地図です。
左半分が中国、まんなかに朝鮮半島が突き出し、右に、日本列島が、まるでエビがはねたようなかたち、行基図の体裁で書かれています。
扇面の図ですから、多分にデザイン的な仕上がりになるのは当然ですが、日本全図は、行基図の体裁が当たり前でしたのですね。
しかし、日本、朝鮮、中国の位置関係や大きさが、ほぼ正しく描かれているのが、伺えます。
また、海岸線の他、河川は確り把握していたようです。戦略的にも、その認識は不可欠ですからね。
また、ソウル、ペキン、ナンキンのほか、中国の主な都市がちりばめられています。
既に、当時は相互の地理的な認識は正しくなっていたようですね。

なのに、文禄(1592)・慶長(1598)の役を企てるとは、第二次大戦と同じような、日本人のおごりの感覚ではないでしょうか。

南蛮渡来の世界地図を屏風にするといった、世界認識と雄大な趣味も、この時代にみることができます。信長、秀吉の海外への関心度が伺えてほほえましいですね。


コメント

荘園図

2008-03-22 15:33:19 | Weblog
「坂井郡高串村東大寺大修多羅供分田地図」
天平神護2年(766)の荘園図です。
高串荘は東大寺の学問僧の大修多羅衆の費用をまかなうための荘園。
サイズ 56×114cm 紙地図で4枚張り合わせたもの。麻布地図ではありません。
奈良国立博物館蔵

今日、「東大寺開田地図」と総称される8世紀の古代荘園図は20数面現存しているそうですが、そのうちの一枚です。貴重品ですね。

 この荘園図は、北を上にして、郡単位の統一的な条里制を取り入れて作られています。
この地図のグリッド線は、条・里・坪(坊=町)の方格線で、1区画は1町で、約109m四方の面積です。
また「町」は長さの単位でもあり、109mを1町と呼んでいたようです。
そして、6町4方が里で、何条(タテ)何里(ヨコ)の何という名称で記されています。
基本単位である「町」(=坪)を6x6に並べた区画 (つまり6町四方の正方形) は「里」と呼ばれた。

また、「町」の方格線内には、「坪」の番付表示(1~36)と田・畠・野・薮・宅地などの土地利用や面積なども記入されています。
一方、方格線の外側には、山・丘・川・沼の形とその名称や、道・溝・建物および荘園の境界線などが絵画的に描かれています。
荘園の所在地や景観を知るうえで重要な資料です。

奈良時代の、貴族や寺社の人たちは、荘園からの上がりで、豊かに暮らしていたようですが、百姓達は、公民の名の下でいいようにこき使われていたようです。






コメント

開田図

2008-03-21 22:58:17 | Weblog
越中国射水郡須加野地の[開田図」です。
「開田図」を眺めてみましよう。

天平勝宝元年(749)に、諸大寺の墾田私有が認められた時に、東大寺が開墾して私有田にした田地の地図です。
「墾田永年私財法」により確保した東大寺領は越中国だけで10か所あり、その墾田地の地図が正倉院その他に17枚残っているそうです。
「東大寺開田図」といわれ、麻布に描かれています。
地図には、田地の面積、所領地の四方の境、開発状況等がくわしく記入されています。
山裾のため池と、それからの水路が示されています。
水田経営にとって、水流は死活問題ですからね。
また、古代の土地所有権を知る貴重な手がかりになっています。

それらの文字が全部読めるといいんですが、今の私には無理。
いずれ、その道の達人に解説してもらいましょう。
この部分が非常に大切な部分ですから。







コメント