栗太郎のブログ

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坂東三十三観音 午歳特別結縁巡礼で、西明寺へ

2014-09-13 07:11:34 | 見聞記 栃木編

すっかり忘れていた。
今年は午歳。
かつて源頼朝が、西国霊場を模範として発願したのをはじまりとする坂東三十三観音札所の「午歳特別結縁巡礼」の年で、各寺でご本尊のご開帳をしているのだった。
観音さまの住まう補陀落浄土は南の方角。十二支で言えば、午。
それにあわせて、12年に一度の午歳に、特別にご開帳をしているというわけ。
遠出は無理でも、せめて近所の札所のご開帳くらい拝んでおかねば、ホトケさん好きを公言できない。
(そもそもそれ以前に、このこと自体を失念している時点で、ホトケさん好き失格なのだが)

そこで、どこに行こうか、ということになる。
坂東三十三観音札所のうち、四寺が栃木県内にある。
栃木市の出流山満願寺、日光の日光山中禅寺、宇都宮の天開山大谷寺、そして益子の独鈷山西明寺
中禅寺の立木観音さまと、大谷寺の石窟仏の観音さまには、いつでも会える。
満願寺の鍾乳石でできた観音さまは、写真でだったら何度も拝見した。
お姿の記憶がないのが、西明寺の観音さまだった。
それもそのはず、ここのご本尊は秘仏なので、いままで何度か訪ねているが一度もお会いしたことがなかったのだ。
そこで、ひと月ぶりの休みだった先日の土曜日に、いそいそと出掛けてきたのでした。

寺伝によれば、天平9年(737)行基菩薩の草創。天平11年(739)紀有麻呂によって堂宇が建立、とされる。
その後、時の権力者、宇都宮氏、北条氏、益子氏などに庇護を受けながら、兵火と荒廃と再興を繰り返してきた歴史を持つ。
現在の寺観が整うのは江戸時代になってからで、12年に一度のご開帳はその頃かららしい。

右手に納経所。左手には、前回の訪問時にはなかった新しい建物。
壁にかけられた「輪違い紋」は、長谷寺(桜井市)を総本山とする真言宗豊山派の宗紋。




その建物をのぞくと、正面奥には、ふだんは本堂の内陣にいらっしゃる、11体のホトケさんのうちの1体である千手観音さまが出張っておられた。
これだけの存在感がありながら、この寺の主役ではないというのだから、ご本尊とのご対面の期待が高まるというもの。




楼門まで石段を上る。




石段ももう少し。
顔をあげると、重厚な茅葺き屋根の楼門に並んで、三重塔。
たくさんの葉を繁られた大木の枝と一緒になって、上から覆いかぶさってくるような迫力。




楼門をくぐると、正面に本堂。




右手には閻魔堂。




やはりここに来たならば、以前の日記でも紹介した、笑う閻魔さまにご挨拶。
わずかばかりのお賽銭に、「いやいや、これはご丁寧にどうも。がはは」と豪快に破顔一笑。




ちょっと喉を潤して。弘法大師の無盡水(聖水)だそうです。




本堂前に立てられた回向柱から、ご本尊へとつながる五色の布が結ばれていた。
柱の正面には、「南無遍照金剛 平成二十六年甲牛歳元旦開白 當山主雅博敬白」とあり、




うしろには、「奉開扉十一面尊為 坂東牛歳特別結縁巡礼」とある。




本堂回廊には、なで仏のお賓頭盧(おびんづる)さまのような、お地蔵様のような老夫婦の木彫仏。




木戸を抜け本堂の中へ。
柱や天井に至るまで貼られた千社札。




内陣へ入るにはもうひとつの木戸を抜ける。ここから先は拝観料300円。
10数年前に修理を施したホトケさんが、ずらりと並ぶ。
だけど、係りの人が誰もいないので、行動は自由。
おまけにほかの拝観者も来ないので、僕は壁にもたれてのんびりとホトケさん鑑賞三昧。




このホトケさんの真ん中の厨子の中に、ご本尊の十一面観音さまがいる。
普段でもこの内陣までは、拝観料を払えば入れるそうだが、ご本尊は秘仏。
こうしてご対面できるのも、牛歳ならではということ。



回向柱からつながっていた五色の布が厨子まで届き、細い婁に代わって、観音さまの指に結ばれている。





ご本尊は、年数経過をそのお身体で表すかのように、木肌は欠けて、削げて、彩色はあったかどうかも定かではない。
僕は、この朽ちていくに任せたままのようなお姿をした観音さまを目の当たりにして、とても好感をもった。
ご本尊にくらべると、その周りに集う10体ほどのホトケさんは、修理が行われたあとがはっきりしていて、綺麗ではあるけれど、どうも全身整形をしてしまったような印象が強い。
傷みや虫食いを防ぐのは必要な措置だと思うけれど、無くなってしまった腕や持物を新調し、すっかりめかしこんでしまうのは、どうも身近な存在ではなくなってしまったかのように思える。
老人が、筋肉隆々であったり、美肌でつやつやであったりしては違和感があるように、白髪が混じり、シワシミがあるくらいのほうがいい。

ホトケさんのそばにはありがたいことに、平成7年度から行われた修復作業をまとめた報告書、『益子西明寺の伝わる木彫群』(佛教造形研究所)が配置されていた。
その中の文章から察するに、1990年の坂東札所八百年祭を思念したご開帳の頃までは、ここのホトケさんたちは堂内で野放図にされていたらしい。
イラストをまじえた作業手順、銘札を頼りにそれぞれのホトケさんの由来、などなど、誠実で丁寧な仕事ぶりが伺える内容だった。
修理して綺麗になってしまうのはどうか、と言いながらも、激しく損傷していたホトケさんたちを憂いて奔走した方々の努力には感服する次第。
時代時代で、そういう人がいて、これから先ずっと牛歳ご開帳が滞りなく行われますように。



 御朱印です。「牛歳結縁」の判子があります。



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