栗太郎のブログ

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「土佐源氏」坂本長利 一人芝居 @ 佐野・ギャラリー小楢

2010-02-27 23:21:40 | 見聞記 栃木編
小汚い身なりの盲目の老人が、一本のロウソクの明かりのなかで語り始める。

「あんた、よっぽど酔狂者じゃ。乞食の話を聞きに来るとはのう・・・」

冒頭、こう切り出し、一人語りで終始するこの芝居。
高名な民俗学者・宮本常一が、高知の梼原で聞き取ってきた話である。
高貴な公家の世界が「光源氏」なのに対して、田舎の馬喰(ばくろう)の色恋は「土佐源氏」というわけらしい。
はじめて土佐源氏と聞いたとき、てっきり土佐の山奥に隠れ住んだ源氏の残党かと思ったものだった。
この話は、光源氏のような優雅さはもちろんなくて、とても下賎で薄汚い印象で始まる。知的社会とは無縁の人々の世界。
筆おろしの話から、馴染みになった後家さんとの話と続き、老人の女性遍歴を披露する。
しかし、どこか嫌悪を感じないのは、終始、彼が女性をダマしていないからだろうか。
カラダだけでなくココロも重ねながら、わが身のことのように一生懸命なのである。

そして、庄屋のお方さまとも懇ろになるのだが、その思い出語りでこう言う。
「女ちゅうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになって可愛がってくれる者がめったにないけえのう。」

いやらしさよりも悲しさが伝わってきた。
お方さまとして何不自由ない暮らしをしてても、女の幸せは味わえていなかった。

強い風が吹いてきて老人は飛ばされように去っていき、舞台は終わる。
吹けば飛ぶような、しがない老人の話というわけだ。



作者宮本常一が全国を歩いた昭和のはじめ頃までは、地方に行けばまだまだ江戸時代の空気が残ってた。
都会でさえ、銭湯は混浴で、近所の奥さんの裸を見ることはよくあったという時代なのだ。
田舎に行けば、若い嫁さんが胸をはだけながら洗濯してる姿とか、田んぼの隅っこで百姓夫婦が片袖めくってちょちょいと用をすましたりとか、そういう光景も日常だったと思う。

性というものが、お天道様の下でも堂々としてて、おおらかなで明るかった。
だけどもう今では、劇中に出てきた「若衆」「夜這い」なんて言葉さえも死語となっている。
かろうじて農村部の消防団がその役割を果たしていたようにも思えるけど、その組織の結束も今やほつれている現代である。
いま、宮本常一の残した仕事をなぞろうとしても、その実態は今の日本にはもう残ってはいないのだろうね。
このとき、宮本常一が訪ね歩いた意義は大きいと、つくづく思い知らされる。


帰り道、本屋に立ち寄り、宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)を買った。
読み直してみた「土佐源氏」は、まさに坂本長利一人芝居の世界だった。
オトコとオンナの色事しか書かれていないのだけど、方言のままでぶっきらぼうな飾りのない文章が、どうにもじんわりと染み込んでくるようで、うっすらと幸せを感じるような気分になった。


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