水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

ユメと言の葉

2015-10-12 | 夢うつつ

 

 

おそらく他人の夢ばなし(寝てる時に見るユメのほうね)ほど退屈なものは無いから、

ここでストーリーを長々と書くのは避けますが、

ユメの中に出てきた言葉によって救われたという事が、結構あります。

 

うーん、救われたっていうと大げさか。

自分にとって、とても意味のあるものだった というほうが近いかな。

 

 

 

 

たとえば、

 

・『された事より、してくれた事を

   別れた男に未練があったわけじゃないけど、同僚だから嫌でも接点あるし、

   思い出すと腹立つわーモヤモヤするわーって頃が、昔ありました。うーん、若い若い。

   そんなとき、ユメの中に占いの母みたいなのが出てきて、告げられたのがこの言葉。

   嫌な思い出よりも、もらった幸せや嬉しかったことを思い返せば自身の成長の糧にもなるし

   きれいサッパリ忘れられるわよ~みたいな。

   (おかげで色んなごちゃごちゃがクリアできて、気にならない存在となりました。)

 

・『目の前に運命を左右する扉があるのに、行ってみないテはない

   気持ちに迷いがあったとき、ゆるキャラみたいなのが発した言葉。

   (基本的に割とスパっと決める性格ですが、この時はゆるキャラに背中を押されました。)

 

・『自分を動かすのは自分だ

   生か死かぐらいの選択を迫られていたとき、ユメで手にした本に書いてあった。

   (なんとなく迷いが吹っ切れて、前進あるのみで突っ込んだら何とかなりました。)

 

・『光が見えないの?

   先の見えない長いトンネルの中にいるような時期が続いてた頃、

   ユメに出てきた同級生に言われた言葉。

   (それからすぐ状況が好転し、平穏な日々に戻れました。)

 

・『今を一度こわして、また新しい世界をつくる

   ある年の大晦日に見たユメで、自分が口にした言葉。

   (翌年は人生の大転換期になった。)

 

・『おぅ、○○ お前の好きな稲荷寿司持って今から行くからな~

   当時とても仕事が忙しく、父方祖父の納骨に行くのはちょっと無理かなと思っていたら、

   納骨前日、ユメの中で祖父から電話があってそう告げられた。

   稲荷寿司は、酢飯がニガテな私が当時唯一食べられたお寿司。

   (もちろん納骨は行きました。ごめんね、じーちゃん。)

 

・『何度生まれ変わっても、君にたどりつく

   知らない男の人からユメで言われた言葉。

   逆光みたいになって顔はよくわからなかったけど、知らない人だと感じた。

   それから十年ほど経ってふとした縁で知り合った人いわく、

   昔ユメの中で自分が誰かに話した言葉が、それとほぼ同じだったという。

   (その人とは、一生切れない縁ができた。)

 

覚えてるのは、これくらいか。

印象に残る言葉は起床後にメモってたから、記憶にないものならもっとあるのかも。

 

 

 

 

これらは、潜在意識の中にある自分自身の感情からくるものだったり、

どこかで聞いた言葉が頭の片隅に残ってただけの事かもしれない。

でも、その頃の自分を強く動かしてくれた。

 

 

 

 

人生の岐路に立ったり、先が見えずに動けないといった事態に陥ると、

人は、迷いや不安を払拭してくれる答えやヒントが欲しくなるもので・・。

親や友人に相談するとか、誰かに話を聞いてもらうとか。

 

それで解決できなければ、自身で消化するしかない。

 

私自身は、気の強さや性格的なものもあって、何度沈んでも浮上してきたけれど、

それでも、あーもういっそ未来が見えたらいいのに・・と思う事はある。

 

霊的なもんを否定してた頃も、

他人についてなら、当事者たちの感情や未来のイメージが流れるように入ってきた。

なのに、自分の事となると主観が邪魔をするからか、当時はそういうものが全く働かなかった。

 

たとえば他人の結婚時期や相手の特徴なんかは当たるのに、

自分に関してはぜーんぜん分からんとかね。

(ただ、後々縁の出来る相手とは男女問わず、出会ったときに

『この人といずれ関わる事になるなあ・・』と本能的に感じる。)

 

そんな感じで自身のことは何も見えなかったから、

ユメでもらった言葉には随分と助けられてた気がする。

 

 

 

 

他からもらった安心感なんて一時の薬みたいなもんで、

結局は自分で経験して乗り越えて大人になっていかなきゃならないんで、

基本的には求めようと思わない。

 

そこをベースとした上で、

ときには自分じゃない何かから力を得るのも一つじゃないかな?とは思う。

 

だから占いやら宗教やらに救いを求める人が減らないのも、仕方がないのかな。

ユメの助言ですら、八方ふさがりでドン底な自分を浮上させるきっかけになったりするんだし。

 

 

 

 

最近はユメでアドバイスをもらう機会も減ったけど、

そのかわり、直感で選んだことが結果的に正しかったり、

タイミングや運が味方になってくれるといった事が、やたらと多くなった。

 

“見えない何か”的なもんを認めた頃から、特にそう。

 

そのせいでユメのアドバイスが減ったのか、それとも

年とともに嫌でも経験値が上がったせいで、自分自身がそんな助言を必要としなくなったのか、

理由はよく分からんが。

 

若さゆえの迷いや悩みが減っていく分、未来の選択肢も減るのかもしれないけれど、

そういう意味では、年を重ねるってのも良いもんかなーと思う。

 

あ、もしかしたら年取るとあんまりユメを見なくなる(覚えられない)のか!!??

 

40も半ば近くになると、色々あるのかもしれんなぁ。

 

 

 


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