カテゴリーの『縁あるところ』の、“縁”ですが
大まかに分けると、
・土地の縁
・家系の縁
の二種類です。
土地の縁は、産土神社や氏神さま、かつて住んでた地域の神社。
それから、祖父母の家の近くにある神社だったり。
家系の縁は、父方母方のルーツにまつわるもの。だいたい愛知・岐阜あたりがそう。
それ以外の地域は、直系の先祖に係るものです。
神社めぐりの数年前から自分のルーツ調べに興味をもちはじめ、
除籍簿のさかのぼりから始まって、
お寺の過去帳、宗門人別改帳、古文書、
さらに図書館の縦断検索を利用して、土地の郷土史、村誌、町誌
・・と、可能なかぎりの資料を読み尽くしました。
素人にも出来る先祖探しの第一歩は、
役所で除籍簿を取ることです。
上へ行く分には、直系なら幾らでもさかのぼれるので、
父の母の母の母の・・とか、母の父の妻の母の・・とか、
(記録さえ残っていれば)どこまでも広がっていきます。
具体的な方法としては、
①まず自分の戸籍を取る。
②父親の本籍地の役所で、「遡れるだけ遡って下さい」と告げて
除籍簿を交付してもらう。(遠方なら郵送も可。)
③母方祖父の本籍地の役所でも、同様に交付してもらう。
→ 除籍簿には、父方・母方の直系先祖がズラズラ載っているので、
この時点で、直系5~6代前までは判明します。
(戦災で焼けたとか、廃棄処分などが無ければ。)
直系をまっすぐさかのぼれたら、次は傍系。
祖父・曾祖父・高祖父などの妻の欄には、
『○○村の磯野波平・フネの長女サザエ、○○へ嫁ぐ』
・・と、実家情報が書いてあります。
なので、かつての村名や町名から、現在の住所表記を割り出して、
④妻の実家住所を管轄する役所で「先祖の妻の両親から上へ、遡れるだけ遡って」
除籍簿を交付してもらう。
以後、これを可能な限り延々と繰り返していく。
まるで逆アミダくじです。(笑)
ついでに、昔は戸主が長となって一族を養ってたりするんで、
たとえば「曾祖父の両親/祖父母/子/孫・兄弟姉妹やその配偶者/子/孫」が、
ひとつの戸籍にまとまって載ってたりします。
兄弟関係の身内を役所経由で追うのはムリですが、
例えばネットで名前を検索すると、
戦国期の家老○○の子孫としてHITしたりとかして、
先祖を探す手掛かりになる事もあります。
戸籍や郷土史、ネットでのさかのぼりが一段落したら、
あとは行動あるのみ。
私の場合、並行してやっていた電凸がかなりの成果につながりました。
おそらく遠い親戚であろうと思われるお宅を、地図でみつけてお電話したり、
地域の教育委員会に問い合わせて、地元に詳しい郷土史家の方を紹介していただいたり。
同じ苗字があつまっている土地なんかは古くからお住まいの場合が多いので、
数軒お電話するとだいたい歴史がわかったりする。
それこそ何軒TELしたかわからないぐらいだけど、
不審者扱いとかガチャ切りされたとか、幸い一度もなかったです。
それどころか、
「あーそれなら△番地の○○さんが詳しいよ。あそこ本家だし。」とか
「○○さんちに電話しとくから、あとで掛けて聞いてみてごらん。」とか
「住職に過去帳見せてもらえるよう頼んでおくよ」とか。
紹介に次ぐ紹介で、新たな電話番号まで教えていただき、
どんどん電凸先が広がっていくわ、
檀家でもない自分が、お寺で本家の過去帳見せてもらえるわ・・。
ある日突然電話してきた見ず知らずの相手に、
皆さま本当に親身になっていろいろ教えて下さいました。
もうね、ここまで来ると単なるルーツ探しじゃなくて、
先祖を通した、人との出会いと言っても過言ではない。
お宅に呼んで下さった方。
家系図や写真を送って下さった方や、古文書を訳して下さった方。
交通の便が悪いからとわざわざ車で駅まで送って下さったお寺のご住職。
ある教育委員会の遺跡発掘担当の方は、遠方で動くのが容易でない私にかわって
わざわざ地元の関係者に聞き取り調査をして下さったっけ・・。
なんで皆さんこんなに親切なのだろうと。
感謝してもしきれない。
おかげでそれが縁になって先祖の土地の方々と数年にわたり交流を持てたりして、
さまざまな形で遠い先祖とかかわることが出来ました。
最終的に、判明した御先祖は、
父方母方の直系傍系あわせて計200人ほど。
あっちにもこっちにも神職がいました。(笑)
平均して1500年代・・室町時代の後期(戦国時代)あたりまでは容易につながりましたが
ここまで来ると、さらに古くまで記録がのこっている系統もちらほら出てくる。
幸いにして直系とその周辺が記紀の記述あたりまで食い込んでくれたので、
それが今の神社めぐりにつながっている。
もうひとつ、
戸籍を見ていて垣間見えたのが、ご先祖さんの人生の一端です。
流行り病で次々と子を亡くした先祖。
14歳で嫁いで15歳で一子を産んで、16歳で亡くなった先祖。
子がなかったために、嫁ぎ先で妾にその座を譲ったのであろう先祖。
絶家再興のため兄の家系を継いだ先祖。
自分の村と民を守るために斬首となった先祖・・。
楽しく和やかな時間もあれば、死ぬほどつらい時もあったでしょう。
直系傍系あわせれば膨大な数のドラマがみえてきます。
もちろん7代も遡れば生物的には血のつながりはほぼゼロになるんだけど、
重要なのはそこじゃなくて、
太古の昔から、脈々と受け継がれてきた命は
こんなにも多くの人たちの人生をつなぐことで、守られてきたんだなあと。
親が子を守り育て、
子がまた子を産み、
そうやって無数の先祖が生きてきた結果が、
今の私。
何百、何千といる御先祖たちのうち、
たった一人でも欠けていたら今の自分は無いわけで。
それって本当に奇跡にちかい。
尾張、美濃、三河という土地柄、
ご先祖たちも戦国時代の血なまぐさい出来事をいくつか背負ってますが、
だからって、いまさら敵も味方もないですしね。
もうとっくにミックスされちゃってるでしょう。
『さかのぼれば敵同士』な家系の男女が結ばれて、自分の先祖となる・・。
武家VS武家でも、村VS村でもそう。
時代を経て、いつしか争った相手とも混ざっていく。
かつて壮絶に殺し合ったからって、それで恨んだり家系を祟ったりしたら、
放った矢が自分の子孫に当たってしまうわよ。
そしたら我が家も今ごろ全滅してる。
なので、そういった歴史の残る場所に行っても、
先祖の業が~とか、なにやら相手方の怨念が~とかいう経験はしたことありません。
で、そこから派生して日本の歴史や古代史にも意識が向き、今に至るわけですが、
興味本位ではじめたことが、こんなに自分の世界を広げることになるとは
当時は思いもしなかった。
そして、先祖探しで得た結果もさることながら、
ルーツを追う過程で紡がれた、沢山の人たちとのご縁は、
まさに一生の宝ものとなりました。
過去とつながるだけじゃない。
今この時代に誰かと出会い、
新たなつながりが出来ていく。
これもご先祖さんのおかげですね。
若い頃は寺社にもルーツにも全く興味がなかったのに、
やはり、人間年を取ると感じ方も変わるんでしょうか。
でもおかげでこんなに多くの宝物が出来たので、
だとしたら、年齢を重ねるのも悪くないかなと思いました。(*・ω・*)