蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

もうひとつの「千の風」

2011年05月04日 | 安曇野とその周辺
先月22日の碌山忌
コンサート会場で聞いた三浦久さんの「千の風」

新井満氏の曲を多くの歌手が歌っている。
そして世に広く紹介された
聴きなれた「千の風になって」より納得のゆく響きだった。
東日本大震災、亡くなられた方や今なお行方不明の方々の「鎮魂歌」としてご紹介します


原詩者不詳
訳詩&補作詞・曲:三浦久

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は風、千の風
大空を吹き渡る
まえがどこにいようとも
おまえのそばにいるよ

春は名のみの風の中に
夏の緑の木漏れ日に
金色に揺れる稲穂の波の中に
きらめき踊る風花にも
私は風、千の風
大空を吹き渡る
おまえがどこにいようとも
おまえのそばにいるよ

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は光、千の光
いつもお前のそばにいるよ
どんなに暗い道を行こうと
おまえを照らしているよ

私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません
私は鳥、千の鳥
いつもおまえのそばにいるよ
耳を澄ませば聞こえるでしょう
おまえを呼ぶ声が

だから、私の墓の前に立ち
涙流さないで
私はその石の下に
眠ってはいません


「千の風」ノートから転載

「あの鳥が来なくなったわね」と妻が言った。母が亡くなってから数日が経っていた。母が亡くなる一週間ほど前、朝飯を食べていると、見たことのないきれいな鳥がサンデッキの塀にとまった。そして、こちらに顔を向け、家の中をのぞきこむような仕草をした。その鳥はそれから毎朝ほぼ同じ時間にきて、同じ場所にとまり、同じ仕草をした。妻のいうとおりだった。いつの間にか来なくなっていた。火葬の日に庭の柿の木にとまっているのを見たのが最後だった。

人の魂は鳥になって天に向かうという。母は痴呆で入院していた。今思えば、あのとき母は最後の別れを告げるためにやってきたのだろうか。食卓にすわり、あの鳥を見たときの穏やかな気持ちを思い出す。2003年11月12日、母は92年の生涯を終えた。波乱に満ちた一生だったが、母の最期の寝顔は穏やかで美しかった。

「千の風」は明らかに母が書かせてくれた歌である。その数年前から作者不詳の A Thousand Winds というイギリスの詩をもとにことばを書き、曲をつけようとしたが、上手くいかなかった。何とか2番までは書けたが、あとが続かない。母の死後、3番の歌詞が自然と出てきた。1番は風、2番は光。3番は、鳥以外には考えられなかった。


三浦さんの活動拠点、長野県辰野町オーリアッド
このサイトから「千の風」が視聴できます。

「碌山」「次郎」とともに↓このCDに収録されています(全4曲1000円)


CDのお求めはオーリアッド 電話:0266-41-3611 
安曇野市内なら碌山美術館のショップ 電話:0263-82-2094
穂高駅前ひつじ屋さん 電話:0263-82-3888
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2 コメント

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鳥になりたい (はぐれ雲)
2011-05-05 20:44:52
聞きました。こちらもいい歌ですね。
詩がいい。
自分も死んだら鳥になって大空を飛び回りたいです。
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Unknown (蔵くら)
2011-05-05 20:59:49
はぐれ雲さん、ありがとうございます。
三浦さんのことは、よく知らなかったのですが、アメリカの大学で宗教学を、京都大学大学院で仏教学を学び、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンの訳詩も手がけておられました。
サイトで視聴できるのはライブ演奏ですが、CDで聞くとまた格別の感触です。

海や川で泳いでいます・・・というわけにはゆきませんね。
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