(日本の人口変動 1万年を振り返る)
「人口から読む日本の歴史」(鬼頭宏)によれば、
日本列島に人が住みついたのは、60万年以上前の洪積世時代。
当時は大陸と地続きでした。人は大陸からだけでなく、
南方の島などからもやってきたと考えられています。
自然環境の影響を大きく受ける生活でした。
日本は、人口規模、人口分布、人口構造など、
大きな変動を繰り返しながら現在に至りました。
チポラ(C.M.Cipolla)によれば、人類には1万年の間に2つの経済革命がありました。
それは「農業革命」と「産業革命」です。
「農業革命」とは、それまでの狩猟中心の生活から、食料生産と家畜の利用を開始したこと。
これにより食糧の確保が容易になり、養える人口が急激に増えました。
もうひとつの「産業革命」は、
化石燃料を中心とする非生物的エネルギーの利用開始のことです。
人が使えるエネルギーが一気に増えたことにより、人口増加を制限してきた、
エネルギー問題が解消しました。このことにより、人口が爆発的に増えたのです。
日本では「農業革命」は、弥生時代に当たります。
それ以前の数千年にわたる、長い縄文時代は狩猟中心の生活でひとところに固定せず、
住みやすいところを求めて、人々は移住しながら生活していました。
縄文時代野人口は、およそ26万人で停滞していました。
ところが、弥生時代に大陸から稲作が伝わると、日本の人口は60万人にまで
急激に増えました。これが、食糧の確保による人口増につながった「農業革命」です。
一気に増大した人口は、その後停滞期に入ります。
江戸時代の後期には、市場経済が発達し、流通や生活が変化し、
それに伴い再び人口が増加しました。
世界では19世紀になると「産業革命」が起こりました。
日本でも明治期以降、
人口増加を妨げていたエネルギー面の障害が除かれると、
三度、急激な人口増が起こったのです。
このように、技術や制度の革新が起こると、
社会の人口支持力が拡大し、人口を増大させます。
しかし、急激な増大はいつまで続かず、新しい上限に近づくと抑制機構が働き、
人口が停滞することを繰り返してきたのです。
グラフに描くと「S字曲線」となります。
日本の人口の変化は、二つの革命と江戸時代を境に4期に分けられます。
第1期は、「農業革命」以前の時代。
第2期は、「農業革命」から江戸時代の「市場経済発達」するまでの時代。
第3期は、「市場経済発達」後から「産業革命」以前の時代。
第4期は、「産業革命」以降の時代。
この4期の流れをグラフにすると、次のとおりです。
(ただし、縦の単位は指数なので10倍増です。)
現在の日本は、S字型の曲線を4つ積み重ね減少し始めた部分。
長い目で見れば、日本における人口の減少は初めてではありません。
日本列島の人口は、1万年の間に4回の成長と停滞を繰り返しながら、
波動的に成長してきました。
歴史人口学から見れば、人口減少という現象は
「現代文明システムがもはや成熟し新しい制度や技術発展がないかぎり
生産や人口の飛躍的な量的発展が困難になったため」におこっていると考えられます。
現代文明のあり方を根本的に見直さず、
人口だけをいくら増やそうとしてもどうにもなりません。
過去3回の人口急増局面では、
技術やエネルギー革新により人口支持力を上げてきました。
しかし現在の局面は、これまでと異なります。
それは化石燃料を消費してしまったことです。
現代の文明は数百万年かけてようやく出来る石炭や石油を、
数百万年かけて消費するのではなく、わずか100年程度で燃やしてしまったのです。
燃やした分の石炭や石油が再びできるには、数百万年の時間が必要です。
エネルギーの面からは、
人類は再生産可能な限度を遙かに超える消費をしてしまいました。
これからも現在のライフスタイルを維持するために、
放射能汚染覚悟で原子力発電を推進するのか。
それとも、環境に優しい再生産可能なエネルギーで生活できるような
思想・文化・社会の仕組みをつくっていくのか。今が分かれ道です。
スローライフやスローフードという言葉も聞かれるようになりました。
スペインでは、2時間かけて昼食を食べ、昼寝までする生活と聞きます。
グローバル競争に勝つために身も心もすり減らすような生き方もある。
一方では、自分の人生や大切な人との時間を大事にする価値観や生活スタイルもある。
アメリカインディアンは、自然を大切にし、人も環境も持続可能な社会をつくりました。
(日本の将来人口)
国立社会保障・人口問題研究所によれば、日本の人口は
2004年に1億2700万人でピークを迎え、その後低下。
2055年には高齢化率40.5%という社会になります。
仮に、2025年に出生率が人口置き換え水準の2.07に回復した場合、死
亡率を一定とすれば、日本の人口は8200万人で静止状態になります。
(人口構造と「人口モメンタム」)
少子化問題が騒がれるようになったのは最近ですが、
日本の出生率は戦後ずっと低下しています。それなのに最近まで人口が増えていたのは、
「子どもを生める年齢の女性が相対的に多かった」ためです。
それ以前に高い出生率と低い死亡率が長く続いた結果、
若い人口に蓄積された増加ポテンシャルが「プラスの人口モメンタム」であり、
これが「プラスの人口惰性」として作用していたのです。
逆に、現在の日本はすでに相当なマイナスの人口モメンタムを内蔵しており、
子どもを生める年齢の女性が少なくなっていますので、
出生率がある程度回復したとしても、
人口が長期的に減少するのはほとんど決定的です。
(かつて人口抑制が国策だった)
70年前の日本は、戦争中で「産めよ、増やせよ」が国策でした。
しかし、戦後の昭和20年代は、今では信じられないかもしれませんが
人口増加の「抑制」が政治課題でした。
当時の国策が功を奏して人口減少が始まったのが今日の日本なのです。
(人口政策の可能性と限界)
出生率回復のために人口政策、家族政策はどのくらい役立つのか。
合計特殊出生率が2.0に上昇したフランスは、
1世紀にもわたり出生促進政策を国是として行ってきました。
同じく出生率の高い北欧諸国も1930年代以来、子どもを持つ家庭への援助と、
働く女性の仕事と家庭の両立を支援する手厚い家族政策、住宅政策を実施してきました。
昨日今日になって人口・家族政策をはじめたわけではありません。
これから日本が国策で出生率を上昇させようとするならば、
効果が出るまで、人口モメンタムを考慮すればフランスのように
100年くらいかかるかもしれません。
政策として日本の出生率を本気で増やしていこうと考えるのであれば、
他の世代への税金の配分を削って、子どもや未来の子どものためにお金を回す
社会的合意を形成しなければ、出生率はけして上がらないでしょう。
すでに大人になっている世代が「今だけよければいい」、
「自分(達)だけよければいい」という考えではとても子どもは増えません。
現状では有権者である高齢者層が相対的に優遇されています。
国として子どもを増やしたいのなら、個人としても社会としても、
高齢者世代や勤労者世代の社会保障サービスを削る覚悟があるのか、
問われています。
(適正人数?)
私は、人口が無限に増え続けことは良いことではないし、不可能だと考えています。
もし無限に人が増えれば、海へあふれ落ちてしまいます。
そもそも、人は社会保障制度の維持や、GDPを増やすために
生まれてくるのではありません。
歴史人口学者の鬼頭宏さんは、
日本の人口は今後100年で3分の1に激減すると推計しています。
労働者人口も減りますし、高齢者の割合も高くなります。
今行政がやっている業務のかなりの部分は、今のやり方のままでは継続不可能です。
社会全体のありかたや価値観、生活スタイルなど相当変えていく必要があるでしょう。
大きな変革期なのです。
人口の年齢構成も激変し、
かつては11名の勤労世代で1名の高齢者を支える「おみこし」型の社会でしたが、
現在では、2~3人で一人の高齢者を支える「騎馬戦」型。
そして40年後には、なんと一人で一人をかつぐ「肩車」型。
これほど担ぎ手が激減するのに、昔ながらの負担率や給付率が通用するはずがありません。
国の借金のことは無視しても、今の労働者が3倍くらいの負担をしなければ、
高齢者を支えられません。40年後はとてつもない未来ではなく、あっという間。
それまでに日本の社会保障制度と、それを支える税制を整えなければ間に合いません。
日本は時間との戦いなのです。
(どうやって食べていくか)
いくら人口を増やしたいといっても、日々の生活もままならないような
最貧層の国民が1億人増えたとしても、幸せな国とは言えません。
すべての人に仕事があって、生活していくのに十分な収入が必要です。
適切な人口を考えるには、日本という国が「どうやって食べていくのか」を
考慮しなければなりません。
生産年齢人口を、非生産年齢人口で割った「生産人口比」は、
その国の長期的な経済成長力に大きな影響を与えます。
平和が続き、医療が発展するとベビーブームが起きます。
そして平均余命が伸び始めるとその国の生産人口比が上昇して労働力と消費者が増え
経済成長が高まる「人口学的贈り物(「人口ボーナス」)」という状態になります。
逆に、今の日本のように寿命が十分に長くなり、少子化が進むと
生産人口比が低下してその国の経済成長力が低くなります。
これが「人口学的重荷(「人口オーナス」)」状態です。
生産人口比の上昇と下落は、複数の国の経済バブルの生成・崩壊と同調しています。
先進国ではまず日本が90年代に、アメリカは05年ごろ、
ユーロ圏は10年頃人口ボーナスから、人口オーナスの時代に転換しました。
これからアジアの新興国でもこのような転換が起きるはずです。
(豊かになる前に人口オーナス?)
中国社会科学院・人口・労働経済問題研究所長ツァイファンさんによれば、
今の国は13億4千万人の人口大国。世界最大の市場であり、
安い労働力を生かした「世界の工場」。
しかし1970年代末にはじめた一人っ子政策により働き手が減少し賃上げが続いています。
国連は2030年ごろ中国の人口は14億に近づきピークを迎えると予測。
これまでの中国は、
少子化のペースが高齢化のペースより速かったので、
養わなければならない子どもとお年寄りを合わせた比率が低い
「人口ボーナス」の時代でした。
しかし今後は高齢化と少子化が進みますので生産人口比が低下し、
経済成長力が低くなる「人口オーナス」の時代を迎えます。
先進国では豊かになったあとに、人口構造の成熟期として人口オーナス状態となりました。
しかし中国では一人当たりGDPは5千ドル。日本の9分の1しかありません。
このままでは豊かになる前に社会負担が重い高齢化社会に突入します。
(製造業の時代は終わってる)
日本がバブル後不景気時期、アメリカ経済は比較的好調でした。
当時、産能大学教授の増田辰弘さんは次のように指摘しました。
「現在の日本経済の苦境はどうも日本政府、日本企業における
総合演出力の決定的な不足のような気がする。
逆に、この総合演出力が特別秀でているのはアメリカである。
まさに、この10年彼らは演出力のみで経済を保たせてきた感がある。
考えてみればこれは仕方のないことである。
製造業が峠を越えれば、総合演出力で行くしかないのである。
(中略)
製造業で国の経済を引っ張る経済の形はすでに終わったのである。
大変厳しいことだが、我々はまずこのことを認めねばならない。
日本経済をピッチャーにたとえれば、ストレート(製造業)が遅くなれば
フォークやスライダーを組み合わせなんとか試合を作っていくしかない。
それが総合演出力である。」
かつての日本は発展途上国でした。どんどん人口を増やし、労働力にかえ、
安い賃金で大量生産し、国内消費と輸出で経済成長してきました。
しかし、日本はすでに発展途上ではありません。
先進国の中でも一番高齢化が進む成熟した国です。
昔のままの産業構造では低賃金・大量生産の国に勝てません。
脱工業化へ構造転換すべき時なのです
このように、長期的な景気の変動を人口学的に分析すると、
日本の高度成長期とバブル期は「人口ボーナス」の恩恵でした。
したがって今後は以前のように景気が良くなったり、
高い経済成長による国の財政再建や経済の活性化が再び起こるとは考えられません。
政治家や行政担当者は、国や地方の莫大な借金について
「高度経済成長期のように景気が良くなれば、税収が増えて解決する」と
白昼夢のような主張しても解決しません。
ギリシャのように手遅れになってしまいます。
バブルという「夢は再び起こらない」という認識の上で、
いかに国の借金を膨らませず、
世代間で公平な負担の仕組みをつくっていくかが課題なのです。
「人口から読む日本の歴史」(鬼頭宏)によれば、
日本列島に人が住みついたのは、60万年以上前の洪積世時代。
当時は大陸と地続きでした。人は大陸からだけでなく、
南方の島などからもやってきたと考えられています。
自然環境の影響を大きく受ける生活でした。
日本は、人口規模、人口分布、人口構造など、
大きな変動を繰り返しながら現在に至りました。
チポラ(C.M.Cipolla)によれば、人類には1万年の間に2つの経済革命がありました。
それは「農業革命」と「産業革命」です。
「農業革命」とは、それまでの狩猟中心の生活から、食料生産と家畜の利用を開始したこと。
これにより食糧の確保が容易になり、養える人口が急激に増えました。
もうひとつの「産業革命」は、
化石燃料を中心とする非生物的エネルギーの利用開始のことです。
人が使えるエネルギーが一気に増えたことにより、人口増加を制限してきた、
エネルギー問題が解消しました。このことにより、人口が爆発的に増えたのです。
日本では「農業革命」は、弥生時代に当たります。
それ以前の数千年にわたる、長い縄文時代は狩猟中心の生活でひとところに固定せず、
住みやすいところを求めて、人々は移住しながら生活していました。
縄文時代野人口は、およそ26万人で停滞していました。
ところが、弥生時代に大陸から稲作が伝わると、日本の人口は60万人にまで
急激に増えました。これが、食糧の確保による人口増につながった「農業革命」です。
一気に増大した人口は、その後停滞期に入ります。
江戸時代の後期には、市場経済が発達し、流通や生活が変化し、
それに伴い再び人口が増加しました。
世界では19世紀になると「産業革命」が起こりました。
日本でも明治期以降、
人口増加を妨げていたエネルギー面の障害が除かれると、
三度、急激な人口増が起こったのです。
このように、技術や制度の革新が起こると、
社会の人口支持力が拡大し、人口を増大させます。
しかし、急激な増大はいつまで続かず、新しい上限に近づくと抑制機構が働き、
人口が停滞することを繰り返してきたのです。
グラフに描くと「S字曲線」となります。
日本の人口の変化は、二つの革命と江戸時代を境に4期に分けられます。
第1期は、「農業革命」以前の時代。
第2期は、「農業革命」から江戸時代の「市場経済発達」するまでの時代。
第3期は、「市場経済発達」後から「産業革命」以前の時代。
第4期は、「産業革命」以降の時代。
この4期の流れをグラフにすると、次のとおりです。
(ただし、縦の単位は指数なので10倍増です。)
現在の日本は、S字型の曲線を4つ積み重ね減少し始めた部分。
長い目で見れば、日本における人口の減少は初めてではありません。
日本列島の人口は、1万年の間に4回の成長と停滞を繰り返しながら、
波動的に成長してきました。
歴史人口学から見れば、人口減少という現象は
「現代文明システムがもはや成熟し新しい制度や技術発展がないかぎり
生産や人口の飛躍的な量的発展が困難になったため」におこっていると考えられます。
現代文明のあり方を根本的に見直さず、
人口だけをいくら増やそうとしてもどうにもなりません。
過去3回の人口急増局面では、
技術やエネルギー革新により人口支持力を上げてきました。
しかし現在の局面は、これまでと異なります。
それは化石燃料を消費してしまったことです。
現代の文明は数百万年かけてようやく出来る石炭や石油を、
数百万年かけて消費するのではなく、わずか100年程度で燃やしてしまったのです。
燃やした分の石炭や石油が再びできるには、数百万年の時間が必要です。
エネルギーの面からは、
人類は再生産可能な限度を遙かに超える消費をしてしまいました。
これからも現在のライフスタイルを維持するために、
放射能汚染覚悟で原子力発電を推進するのか。
それとも、環境に優しい再生産可能なエネルギーで生活できるような
思想・文化・社会の仕組みをつくっていくのか。今が分かれ道です。
スローライフやスローフードという言葉も聞かれるようになりました。
スペインでは、2時間かけて昼食を食べ、昼寝までする生活と聞きます。
グローバル競争に勝つために身も心もすり減らすような生き方もある。
一方では、自分の人生や大切な人との時間を大事にする価値観や生活スタイルもある。
アメリカインディアンは、自然を大切にし、人も環境も持続可能な社会をつくりました。
(日本の将来人口)
国立社会保障・人口問題研究所によれば、日本の人口は
2004年に1億2700万人でピークを迎え、その後低下。
2055年には高齢化率40.5%という社会になります。
仮に、2025年に出生率が人口置き換え水準の2.07に回復した場合、死
亡率を一定とすれば、日本の人口は8200万人で静止状態になります。
(人口構造と「人口モメンタム」)
少子化問題が騒がれるようになったのは最近ですが、
日本の出生率は戦後ずっと低下しています。それなのに最近まで人口が増えていたのは、
「子どもを生める年齢の女性が相対的に多かった」ためです。
それ以前に高い出生率と低い死亡率が長く続いた結果、
若い人口に蓄積された増加ポテンシャルが「プラスの人口モメンタム」であり、
これが「プラスの人口惰性」として作用していたのです。
逆に、現在の日本はすでに相当なマイナスの人口モメンタムを内蔵しており、
子どもを生める年齢の女性が少なくなっていますので、
出生率がある程度回復したとしても、
人口が長期的に減少するのはほとんど決定的です。
(かつて人口抑制が国策だった)
70年前の日本は、戦争中で「産めよ、増やせよ」が国策でした。
しかし、戦後の昭和20年代は、今では信じられないかもしれませんが
人口増加の「抑制」が政治課題でした。
当時の国策が功を奏して人口減少が始まったのが今日の日本なのです。
(人口政策の可能性と限界)
出生率回復のために人口政策、家族政策はどのくらい役立つのか。
合計特殊出生率が2.0に上昇したフランスは、
1世紀にもわたり出生促進政策を国是として行ってきました。
同じく出生率の高い北欧諸国も1930年代以来、子どもを持つ家庭への援助と、
働く女性の仕事と家庭の両立を支援する手厚い家族政策、住宅政策を実施してきました。
昨日今日になって人口・家族政策をはじめたわけではありません。
これから日本が国策で出生率を上昇させようとするならば、
効果が出るまで、人口モメンタムを考慮すればフランスのように
100年くらいかかるかもしれません。
政策として日本の出生率を本気で増やしていこうと考えるのであれば、
他の世代への税金の配分を削って、子どもや未来の子どものためにお金を回す
社会的合意を形成しなければ、出生率はけして上がらないでしょう。
すでに大人になっている世代が「今だけよければいい」、
「自分(達)だけよければいい」という考えではとても子どもは増えません。
現状では有権者である高齢者層が相対的に優遇されています。
国として子どもを増やしたいのなら、個人としても社会としても、
高齢者世代や勤労者世代の社会保障サービスを削る覚悟があるのか、
問われています。
(適正人数?)
私は、人口が無限に増え続けことは良いことではないし、不可能だと考えています。
もし無限に人が増えれば、海へあふれ落ちてしまいます。
そもそも、人は社会保障制度の維持や、GDPを増やすために
生まれてくるのではありません。
歴史人口学者の鬼頭宏さんは、
日本の人口は今後100年で3分の1に激減すると推計しています。
労働者人口も減りますし、高齢者の割合も高くなります。
今行政がやっている業務のかなりの部分は、今のやり方のままでは継続不可能です。
社会全体のありかたや価値観、生活スタイルなど相当変えていく必要があるでしょう。
大きな変革期なのです。
人口の年齢構成も激変し、
かつては11名の勤労世代で1名の高齢者を支える「おみこし」型の社会でしたが、
現在では、2~3人で一人の高齢者を支える「騎馬戦」型。
そして40年後には、なんと一人で一人をかつぐ「肩車」型。
これほど担ぎ手が激減するのに、昔ながらの負担率や給付率が通用するはずがありません。
国の借金のことは無視しても、今の労働者が3倍くらいの負担をしなければ、
高齢者を支えられません。40年後はとてつもない未来ではなく、あっという間。
それまでに日本の社会保障制度と、それを支える税制を整えなければ間に合いません。
日本は時間との戦いなのです。
(どうやって食べていくか)
いくら人口を増やしたいといっても、日々の生活もままならないような
最貧層の国民が1億人増えたとしても、幸せな国とは言えません。
すべての人に仕事があって、生活していくのに十分な収入が必要です。
適切な人口を考えるには、日本という国が「どうやって食べていくのか」を
考慮しなければなりません。
生産年齢人口を、非生産年齢人口で割った「生産人口比」は、
その国の長期的な経済成長力に大きな影響を与えます。
平和が続き、医療が発展するとベビーブームが起きます。
そして平均余命が伸び始めるとその国の生産人口比が上昇して労働力と消費者が増え
経済成長が高まる「人口学的贈り物(「人口ボーナス」)」という状態になります。
逆に、今の日本のように寿命が十分に長くなり、少子化が進むと
生産人口比が低下してその国の経済成長力が低くなります。
これが「人口学的重荷(「人口オーナス」)」状態です。
生産人口比の上昇と下落は、複数の国の経済バブルの生成・崩壊と同調しています。
先進国ではまず日本が90年代に、アメリカは05年ごろ、
ユーロ圏は10年頃人口ボーナスから、人口オーナスの時代に転換しました。
これからアジアの新興国でもこのような転換が起きるはずです。
(豊かになる前に人口オーナス?)
中国社会科学院・人口・労働経済問題研究所長ツァイファンさんによれば、
今の国は13億4千万人の人口大国。世界最大の市場であり、
安い労働力を生かした「世界の工場」。
しかし1970年代末にはじめた一人っ子政策により働き手が減少し賃上げが続いています。
国連は2030年ごろ中国の人口は14億に近づきピークを迎えると予測。
これまでの中国は、
少子化のペースが高齢化のペースより速かったので、
養わなければならない子どもとお年寄りを合わせた比率が低い
「人口ボーナス」の時代でした。
しかし今後は高齢化と少子化が進みますので生産人口比が低下し、
経済成長力が低くなる「人口オーナス」の時代を迎えます。
先進国では豊かになったあとに、人口構造の成熟期として人口オーナス状態となりました。
しかし中国では一人当たりGDPは5千ドル。日本の9分の1しかありません。
このままでは豊かになる前に社会負担が重い高齢化社会に突入します。
(製造業の時代は終わってる)
日本がバブル後不景気時期、アメリカ経済は比較的好調でした。
当時、産能大学教授の増田辰弘さんは次のように指摘しました。
「現在の日本経済の苦境はどうも日本政府、日本企業における
総合演出力の決定的な不足のような気がする。
逆に、この総合演出力が特別秀でているのはアメリカである。
まさに、この10年彼らは演出力のみで経済を保たせてきた感がある。
考えてみればこれは仕方のないことである。
製造業が峠を越えれば、総合演出力で行くしかないのである。
(中略)
製造業で国の経済を引っ張る経済の形はすでに終わったのである。
大変厳しいことだが、我々はまずこのことを認めねばならない。
日本経済をピッチャーにたとえれば、ストレート(製造業)が遅くなれば
フォークやスライダーを組み合わせなんとか試合を作っていくしかない。
それが総合演出力である。」
かつての日本は発展途上国でした。どんどん人口を増やし、労働力にかえ、
安い賃金で大量生産し、国内消費と輸出で経済成長してきました。
しかし、日本はすでに発展途上ではありません。
先進国の中でも一番高齢化が進む成熟した国です。
昔のままの産業構造では低賃金・大量生産の国に勝てません。
脱工業化へ構造転換すべき時なのです
このように、長期的な景気の変動を人口学的に分析すると、
日本の高度成長期とバブル期は「人口ボーナス」の恩恵でした。
したがって今後は以前のように景気が良くなったり、
高い経済成長による国の財政再建や経済の活性化が再び起こるとは考えられません。
政治家や行政担当者は、国や地方の莫大な借金について
「高度経済成長期のように景気が良くなれば、税収が増えて解決する」と
白昼夢のような主張しても解決しません。
ギリシャのように手遅れになってしまいます。
バブルという「夢は再び起こらない」という認識の上で、
いかに国の借金を膨らませず、
世代間で公平な負担の仕組みをつくっていくかが課題なのです。