
(謎の土佐十景)
先日訪問した、甲殿住吉神社で見つけた
「土佐十景」が気になっています。
大正15年に、土陽新聞社が投票を募り選定しました。
私が神社で見た新聞記事は、まだ投票経過でしたが、
次のような結果だったようです。


このうち、野市の吉祥寺と、伊野の大国山が、
現在では所在が分からなくなっています。
「伊野の大国山」については、
地元の専門家の方が次のように書いています。
[大国山(いの町)]
恐らく、「伊野の大黒さん」こと、椙本神社の背後の山だと思われます。
現在では「大国山」という語句は死語になっています。
私も気になったので、
ネットで伊能忠敬の江戸時代の地図や、
明治時代の陸軍が作成した地図などを閲覧したり、
古本で、
昭和初期の高知の観光ガイド冊子や古い地図を買って
調査した結果、ようやく手掛かりを得ました。




(なんと水道施設が)
いの町が運営する水道施設の中に、
「大国山配水池」という記述を見つけたのです。
まさに、大国さんこと、椙本神社の背後の山でした。



グーグルマップで、山頂からの眺望も確認できました。
仁淀川の上流部から、河口方向までぐるっと見えます。
足元にはいの町の街が広がっています。
東の方には高知市の烏帽子山や、桂浜方面も望めます。

眺めは申し分ありません。
きっとこの山が、かつての「大国山」だと思われます。
P.S.
土佐十景を調べているのは、
もと高知大学サイクリング部員として、
できることなら行ってみたかったという気持ちから。
時代の変化でだいぶ景色が変わってしまったと思いますので、
現在の風景と、選ばれた当時の風景が
対比して比べられたら良いと考えています。
一番入手したい資料は、土佐十景を選定した
土陽新聞社が発行した「土佐十景写真帳」。

買取入荷したという古本屋さんへ問い合わせたところ、
残念ながらすでに売れてしまいました。
高知県立図書館か、あるいは、土陽新聞の後継と思われる
高知新聞社資料室ならば、この本があるかもしれません。
次回高知へ行ったときに、調べてみたいと思います。
特に、野市の吉祥寺の手がかりが欲しい。
今でも遍路道には、吉祥寺への分岐を示す石柱があるようなので、
その位置が特定できれば、吉祥寺があった方向も推測できます。
こちらは調査継続中。