で、ブログ

アメリカ生活3年半を終え、帰国しました。
で、ブログは不精しつつも続けます。。

帰宅

2008-02-29 14:29:08 | Weblog
というわけで、くぼた単身での移動となったが、なんとか、昨晩家に帰り着くことができた。会社の先輩が空港から家までは送ってくれた。一人で3人分の荷物を抱えていたので、非常に助かった。

家の中は、当然ながら、すごい状態だった。
出発前のドタバタが思い出される。
なかなか片付ける気力は出ないが、頑張ろう。

ちなみに、Roombaは、巾着袋の紐を巻き込んで、部屋の隅で力尽きていた。

冷蔵庫も、開けるのが少し恐ろしかった。
豚肉、牛乳、ヨーグルトは、念のためごめんなさいすることにした。

息子の調子は、だいぶ良くなったようだ。妻が少し疲れているようだが・・。
二人が帰宅するのは、来週月曜日の予定。
なんとか万全の状態で月曜を迎えてほしい。
荷物は先行しているため少ないと思うが、赤ちゃんとの二人の移動は大変だろうなぁ。

サンフランシスコより

2008-02-28 07:06:03 | Weblog
というわけで、長いような短いような日本滞在が終わり、先ほど、サンフランシスコに降りたった。

今回は、あまりに突然の、悲しい出来事のための日本滞在だったが、帰り道は何事もなく帰りたい・・・・と思っていたものの、ちょっと問題が起こった。
まぁ、そういう時って、そういうもんなのかもしれない。

荷物が多かったので(最近はいつもスーツケースに加え、段ボール箱も使っている。空港でよく見る中国人みたいだ)、義父が車を貸してくれ、くぼたが運転して妻子と義母とともに関空まで行き、くぼた親子出発後、義父が仕事後に車をピックアップしに関空へ行き、義母と合流して車で帰宅という予定だった。

関空に早めに到着して、チェックインを済ませて、皆でカフェでのんびり。
と思ったら、息子が嘔吐。日頃は嘔吐したことがないもので、長旅の前で少し気になるが、本人はご機嫌なので、ひとまず樋屋奇応丸を薬局で購入し、授乳ついでに飲ませておくことにした。

妻が授乳中、授乳室の義母から再度嘔吐したとの連絡が。
本人は、しれっとしているようだが、ちょっと心配になったので、関空内のお医者さんに行く。
が、小児科医はおらず、長いフライトの前なので、念のため小児科医に診てもらうことを勧められるも、関空島内には小児科はないとのこと。

もう出発まで時間がなかったのだが、

・すでに大量の荷物はチェックインしており、引き戻せない。
・息子の状態は一見問題ないと思うが、念のため医者に診てもらっておいた方が良いし、長いフライトだし、数日安静にして万全にしておいた方が良さそう。
・義父が来るため、義父母と妻子4人なら車で帰り、小児科に行くことができる。

というわけで、くぼただけ単身で発つことに決定。

うーん、何か不測の事態が起こる時は、色々と起こるもんだ。

日本に緊急帰国してからずっとホテルで一人暮らし(妻子は実家暮らし)だったし、アメリカに戻っても一人。

はやくいつもの生活に戻りたい。

ちなみに、サンフランシスコ-ポートランドの早めの便は満席キャンセル待ちだったが、結局空きがでず、遅い便で帰ることになった。帰ったら夜だ。
昨年10月にフライトスケジュール改悪される前は、いつもお昼頃に着いてたのに、最近はいっつも夜到着だ。

遺品

2008-02-24 03:25:42 | Weblog
母が長くお世話になっていた病院に、入院時の荷物の引き取りと清算、及び病状の説明を聞きに行ってきた。

病気の経過については、状況はかなり複雑だったが、だいたいは理解できたと思う。最後の転院にまつわる部分は、結果論で考えると、少し巡り合わせが悪かった感があるが、そのお医者さんとしてはその時点でベストの選択肢を選んでくれていたことは理解できたし、僕も彼の判断を支持している。

残された服その他母の所持品の入ったダンボールを渡され、叔母の家に持ち帰って開けてみた。

衣類や、くぼた夫妻がアメリカから送った手紙などが入っていた。
そして、まだ新しい便箋と未使用の封筒が。

なんと、今まで僕に手紙を書いたことのない(たぶん・・?)母が、僕に手紙を書こうとしていたらしく、書きかけの状態の手紙が残されていた。

ずっと手紙を書こうと考えていてくれたようで、手紙を書くのが遅くなってすまなかった、ということ、年末年始に誠に会うことができて、本当にうれしかったということが書かれていた。

今までの長かった入院生活で、つい先月か今月になって、初めて手紙を書こうとしてくれていたのだ。よほど誠に会えてうれしかったのだろうか、それとも、自分に残された命をなんとなく感じていたのだろうか。。

こんなの見てしまうと、、、僕らの到着をギリギリまで頑張って待とうとしてくれてたんだろうかと思い、また泣けてきた。
なんとか、最期にもう一度会うことができたら良かったなぁ。

その後

2008-02-21 23:24:19 | Weblog
くぼたのシチュエーションは、改めて考えると、「母子家庭の一人息子で、海外在住」というわけで、色々と面倒だ。USに戻らないといけないので、手続きで動ける期間が決まってるし、日本に住民票がないと、死亡届も出せない(かどうかは正確には不明のまま。葬儀屋さんから、確実のため、日本に住民票のある、別の家族名義での提出をすすめられた)。せめて日本に兄弟でもいれば、手続きを手伝ってもらえたんだが。

まずは、お骨を祭ったり、七日ごとや四十九日(満中陰)などの法要。
くぼたはアメリカ在住で、日本滞在中はホテル暮らしのため、本来くぼたが祭るべきところを、叔母に一時預かりをお願いし、引き取って祭ってもらえる寺を探すことになった。叔母をはじめ親族に参ってもらいやすいよう、地元で宗派の同じ寺を探した。

無事、寺を見つけることができ、先方も、急な話ではあったが快く引き受けてくださった。この件が本当に気になっていたので、式のあとも心が休まっていなかったが、ようやく落ち着いた。

と思ったら、熱が出て2日ほど寝込んでしまった。相変わらず弱い。

無事故障したパソコンの代わりのパソコンも買って、メールの読み書きができるようになった。アメリカとの連絡は、やはり電話よりメールの方が便利だ。

あとは、市役所での手続きや、年金関連の停止の手続きに、簡易保険の死亡の手続きなど。母の本籍のある役所を回ったりせんといかんようだ。
日本に住所がなく、母と住所を同じとしないため、何かと叔母に一緒に出向いてもらうことになったり、なかなか手続きも進まず、大変だ。

なんとか残りの日数で頑張らねば。

母の死

2008-02-21 23:06:13 | Weblog
突然だが、今日本に帰国している。

2月上旬に、入院中の母が、別の病気を発症し、治療をしているとの知らせを聞いた。その時はそこまで深刻な状況ではなさそうだったので、しばらく様子を見てから帰国を検討しようとしていたのだが、2/12夜(US時間)になって、容体が急変し、ナースステーションの向かいの部屋で、随時状況を監視する必要があるとの連絡を受けた。

心配な状況なので、日本に行くことに決め、夜の10時を過ぎていたが、慌ててUnitedに電話。なんとか翌朝のチケットを手配し、そのままほぼ徹夜で準備。この週は日本からの出張者がおられたので何とか仕事したかったが、電話の向こうの状況は、そういってられる状況ではなさそうだった・・。

2/13朝、ポートランドを出発。出発前に叔母に電話すると、意識がなく、集中治療室に移動したとのこと。どんどん嫌な感じがしてくる。パソコンは壊れるし、ろくなことがない。飛行機の上は、十時間以上何もできないため(乗継含むDoor-to-Doorの総移動時間は18時間ほど)、余計に要らぬことしか考えられなくなってしまう。「誠に会ったら、一気に元気になるさ」と言い聞かせて心を落ち着けようとするが、あまり効果はなかった。

2/14夕方、関空に到着。
即座に叔母に電話をするが、、、母は、ほんの数時間前に息を引き取ったとのことだった。
まさに茫然自失だったが、まずできることは、病院へ急ぐことだけだった。

母はすでに霊安室で安置されているとのことだった。久々の親族との挨拶も適当に、霊安室に向かった。つい先月帰った時は、初孫の誠に会って、「今度おもちゃを買ってあげるな」と喜んだ姿を見せてくれた人が、そこで永久の眠りについている。実際そこで母を見るまでは、まだ半信半疑というか、まったく実感がなかったのだが、、、。

つらかったろうに、我々をギリギリまで待とうとがんばってくれていたんだろうか、と思うと、涙が止まらなかった。

その後、スーツケースを持ったまま、母の遺体と共に葬儀場となる会館に移動して、喪主としての葬儀の打ち合わせ。喪主なんて経験もなく、いろんな用語も知らなかったのだが、九州から来てくれた叔父叔母が付き添ってくれていたので、有難かった。

2/15に通夜、2/16に告別式を終えた。自分にこんなに涙があったのかと思うくらい、泣いた。いろんな言葉をかけたかった気がするが、涙のせいで、口に出せたのは、「大変やったな」と「ありがとう」だけだった。

初めての喪主は、ただただ疲れた。もういつからろくに寝てないかもわからなくなっていた。喪主というものは、なんでこう、一番悲しいはずの立場なのに、一番忙しくなるのか、と思っていたが、ある意味、忙しさで、多少は悲しさを紛らわせることができるようになっているのかもしれないなぁと思った。

母の死に目に会えなかったのは、一生残念な気持ちを心に背負って生きることになると思う。いまだに、「もし、あと1日でも早く帰って、少しでも我々の顔を見れたら、母は快方に向かっていたのでは」などと思ってしまう。1日前出発となると、容体が急変する前の話なので、その選択肢は頭になかったけれども、どうしても、「もしも」の話を考えてしまう。

そんな中で、ただ一つ、本当に良かったと思えることは、年末年始に帰国して、母がまだ比較的元気な時に初孫を会わせてやることができたことだ。(もし会わせてなかったとしたら、それほど後悔することはないだろう) 母の、あの喜んだ笑顔が忘れらない。今から思うと、すべてが偶然だが、うまく母が初孫とめぐり逢えるようになっていたという気がする。

年末年始の帰国は、妻のビザ更新が一番の目的だったが、もともと日本行きは、予定していなかったものだった。当初は、カナダで更新を行う予定で、フライトもホテルもカナダ行きの予定で予約していた。が、直前の12月上旬になって、カナダの米国領事館のポリシー変更のため、ビザ更新にかかる日数がかなりかかるようになったため、それならば勝手の分かる方で、という話で、急遽日本でのビザ更新とすることになったのだった。もとの予定では、3月まで妻子と日本に帰る予定はなかった。

そもそも、結婚のタイミングも何かのめぐり合わせだったかもしれない。母は以前から入院していたわけなのだが、私としては、母が退院するまで、そうでなくとも私が30歳になるまでは結婚をするつもりはなかった。が、28歳の時にアメリカ行きの話が出て、結婚して一緒に行った方が何かと良いだろうということで、結婚することになったわけだ。もしこの話がなければ、母のために結婚を待った代わりに、初孫を見せてやることができなかったということになったかもしれない。

さらに、母が亡くなった週は私と妻の誕生日のある週なので、例年通りなら一足遅い冬休みを取って、我々夫婦の好きな、携帯もろくに入らないであろう国立公園などの旅行に行っていたのだが、出張者との日程調整でここしか良いタイミングがなかったので、今年はその週はどこにも行かず、仕事の予定をいれていた。おかげで、日本行きの行動が少しでも早く起こせたとも言える。

と色々考えると、母の死に目には会えなかったものの、帰ってすぐに喪主を務めることができたし、色々な巡り合わせで、母と誠を一度でも会わせることができたのも、運命だったのかと思うようになってきた。

母子家庭なのに、私に負い目を感じさせないためか、必死で働いて育ててくれた母。いろいろと大変だったことだろう。

母よ、今までおつかれさま。そして、ありがとう。

麺食い

2008-02-03 16:00:00 | Weblog
年末年始の日本行きでは、何かと麺を食う機会が多かった。お気に入りのお店にも行ったし、最近麺屋を開拓している友人の紹介のお店にも何軒か行った。
せっかくなので、事後ではあるが、気に入ったお店を紹介しておくことにしよう。

定番の、彩華ラーメン。学生時代に初めて食べたとき、こんなラーメンがあるのかと衝撃を受け、ラーメンにハマるきっかけになった。大学院時代は、土曜の夜10時まで兵庫でバイトして、その後奈良まで彩華ラーメンを食べに行ってから大阪の家に帰るという、たいそう元気なことをほぼ毎週のようにやっていた。若かった・・。


奈良・橿原の坦々麺屋さん、一番亭。
かなり久しぶりに行ったけど、以前と変わらぬ美味しさ。お替りし放題のキムチとネギがまたうれしい。


マイランキングでは、無鉄砲(というよりは昔の無鉄砲の味に近い「豚の骨」が正しい)と1,2を争っていた兵庫、甲南山手の「あじゅち屋」の系列店が、大阪の京橋付近にあるとのことで、友人が連れて行ってくれた。
アメリカに行ってからは一度も食べに行けていないので、近くであの味が久々に味わえるなら有難い。
「たかし」は、店の雰囲気から、メニューまで、あじゅち屋そっくり。
食べたのは、「熟成こってり」。思ったよりは少し濃くなかったけれども、美味かった。


大阪で広まる讃岐うどんの釜たけファミリーの一店、門真の「きぬ川」。
ちょっとお座敷があったり、いろんなメニューがあったりで、夜に行っても楽しめるうどん屋さんだ。
くぼたが頼んだのは、「肉ぶっかけうどん、肉ダブル」。
讃岐の名店・おか泉の「肉冷やし」と比べると、少し肉の味付けが違うが、こちらもまたうまい。


友人が食べた、「ちくわ天ぶっかけ」。これまたうまそうだ。友人たちも絶賛。鶴が丘の釜ひろも美味しいし、こういう店が増えるのはうれしいなぁ。


Roomba活躍中

2008-02-03 03:55:28 | Weblog
というわけで、Roombaをかなりの勢いで購入。
Costco専用モデルのRoomba550は、下位機種のRoomba530よりも$20安く売られていて、かなりのお徳感だった。

Roomba550以上の機種には、スケジューラが付いている。曜日ごとに、何時から掃除開始かを設定できる。
とりあえず、誠がハイハイし始めるまでは、月水金土での運用をすることにする。

きっちり朝7時になると、充電ステーションから出動して、1時間ほど部屋中を掃除して回り、掃除が終了すると自ら充電ステーションに帰還し、勝手に充電している。ASIMO顔負けだ。
かなり入り組んだところにも入り込んで掃除してくれるし、隔日で掃除してても結構な埃を集めてくれる。なかなかの働き者だ。

さらに、Roombaが掃除する必要ない部分は、Virtual Wallと言って、赤外線で壁を作って、そこより先はRoombaを入らせないようにすることも出来る。

動きも、なかなか複雑で、いろいろ考えてるのかなーと思わせる。
通信機能があったら面白いだろうと思った。HTTPかなんかでアクセスして、掃除するとともにエリアのマップをリアルタイムで作ったり、汚れている部分をそのマップに表示してくれると面白そう。小型カメラを内蔵して、リアルタイムビジョンが見れても面白い。さらに、掃除終了後はレポートをメールで送ってくれたりするとうれしい。
もし、iRobotの方がこのブログ読むようなことがあれば(日本語が読めるなら・・)、ぜひ頑張っていただきたい。

・・・と、思ってたら、Roombaを使ってロボットの研究などが出来るように、ある程度のインタフェースが既に実装されているとのこと。
シリアル通信によって、移動コマンドを送ったり、各センサの情報を収集することができる模様。シリアル-Bluetooth変換キットもあるようで、無線でのRoombaのコントロールも可能なようだ。
掃除機能だけを省いた、研究用Roombaもあるようで、その筋の人たちの間ではアツイ品であることがわかった。カメラを載せたり、携帯からコントロール、なんてのもやっている人がいるようだ。
http://hackingroomba.com
http://www.roombadevtools.com


寝返り

2008-02-01 16:10:27 | baby
というわけで、無事寝返りの瞬間を見ることができた。
もう簡単に出来るらしく、惜しげもなく(当たり前か)寝返りをしてくれるので、楽に写真を撮ることができた。

なかなかの得意顔だ。