踊る小児科医のblog

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「大丈夫と言ってはいけない」と「安全ではない」と「危険だ」は違う リスク比較批判

2012年06月14日 | 東日本大震災・原発事故
前の2つの文章を補うものですが、「大丈夫と言ってはいけない」と言うと、「危険性を煽っている」「子どもたちの不安を助長している」などと批判を浴びることになります。

「大丈夫と言ってはいけない」=「危険」ではないことは日本語の表現としてすぐにわかることだとは思います。。

「大丈夫と言ってはいけない」の意味は「必ずしも大丈夫とは言えない」ということですが、この「必ずしも~言えない」というニュアンスには、言う人によっても受け取る人によってもかなりの幅があり、オーバーラップもあるかと思います。

 「安全」
  ↑ 安全だ 大丈夫
  | 大丈夫とは言えない 直ちに危険はない
  | 安全ではない
  | 危険性がある
  ↓ 危険だ
 「危険」

「必ずしも大丈夫とは言えない」と言うと、非現実的だ、世の中には「絶対大丈夫」などありえない、とか、
(その口で「原発は絶対安全」と言っていたくせに)
ゼロリスクを求めるのは理性的でなく感情論だとか。。

そこに登場してくるのが「リスク比較」。数字で比べてこんなに安全と。
これが非常に素人(あちらの言葉で言うと「理性・理論で考えられない頭の弱いお母さん方」)を馬鹿にしたものだった。

医学・医療の世界では、「絶対大丈夫」だの「ゼロリスク」などというものはハナから存在しません。私たちは(別に疫学の専門家でなくても)、意識するまでもなくリスク比較、リスク評価という世界の中で仕事をしてきています。

リスク比較の議論に接する時には「リスク比較そのものが、説得して丸め込むために存在するのではないか」という疑問を必ず考慮しないといけない。
(これは医学の世界にあてはめることも無論可能)
ここで数字の議論の入り込むと、「どこかおかしい」という最初の感覚が忘れ去られて、「この数字が理解できないヤツは馬鹿だ」という結論に陥ってしまう。

(数字そのものについては議論の基礎となるものだとわきまえた上での話であり、これを無闇に否定してまわるのは無意味ですが、放射線被曝の問題ではその数字の根拠すら相当に怪しいのだからその先はどうにでもなりうる。)

多くの人は、それでも、原発事故後の政府や専門家の言動に胡散臭さを感じ、リスクを回避する行動をとった。(取らなかった人も多かったが)

そもそも、あの有名な「直ちに健康に被害を生ずることはない」という言葉が、「必ずしも大丈夫とは言えない」という意味そのものなのですから。。

リスク比較の議論で注意しなくてはいけないのが、必要性と代替性、避けられるものかどうかという側面が(ある時は意図的に)抜け落ちていること。

その典型がタバコ。放射線と喫煙のリスク比較。
これを持ち出してくる人は信じない方が良い。簡単な見分け方。

(勿論、低線量被曝に比べて喫煙や受動喫煙のリスクが桁違いに高いのは当然なので、もし親がタバコを吸いながら子どもの被曝を心配してるとしたら論外ですが。)

タバコは必要性もメリットもゼロで、喫煙しなければリスクはゼロ。
受動喫煙も本来はゼロに出来るし、ゼロにしなくてはいけないもの。
(国が規制を怠っているために飲食店や職場、家庭などでの受動喫煙のリスクが非常に高くなっている現実は大問題だが、それを逆手に取って放射線被曝を正当化する理由にはならない。)

ちなみにJTは裁判で「受動喫煙の健康被害は証明されていない」と主張して、政府も「同じ被告の立場で」それを追認している。
受動喫煙など取るに足らないと。

だから、その受動喫煙よりもずっとリスクの低い放射線被曝の健康影響はあり得ないと。
だから、もし福島の子どもが重い病気になったとしても、放射線との因果関係は認められず、危険論者に危険性を煽られて避難したストレスによる可能性が高いと。
(裁判で勝つ見込みはないものと考えるべき)

自然放射線や医療被曝、バナナのカリウム40なんかを、バナナの叩き売りのような受け売りの弁舌でまくしたてるにわか仕立ての輩も後を絶たず。
(バナナ星人とかカリウム星人と言うのだそうな。今日初めて知った。)

自動車事故とのリスク比較なんて持ち出してきたら、この人はオツムが弱い人なんだと軽く聞き流してあげるだけでOK。

今までなんとなく「この人は信用できる人なのかな」と思っていた人の化けの皮がはがれたのもプラスに受け止めるべきだろう。単に自分が無知で騙されやすかっただけ。

岩田健太郎
野口 健 ← 東電とJT(原発とタバコ)がスポンサー
川口淳一郎
寺島実郎
江川紹子
香山リカ

話を戻すと、原発事故の危機的状況において、放射線被曝の危険性を訴えて避難を呼びかけるのではなく、このくらい被曝しても大丈夫だから逃げなくても良いと呼びかけて何の反省もない医学界については、歴史的な犯罪行為であり決して許されるものではない。
(たとえ結果的に福島の子どもたちに全く健康被害がなかったとしても)

ただし、これは今に始まったことではなく、水俣病でも薬害エイズでもタバコ病裁判でもこの手の御用学者が、患者の命を救うのではなく、被害者を増やして命を奪う「悪魔の医師」として暗躍したことを国民は知っておくべきだった。。

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