踊る小児科医のblog

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『タイキルとジョッコ』登場人物・動物一覧

2013年03月29日 | ART / CULTURE
99.9%(あるいはそれ以上)の人にとって全く役に立たない情報ですが、まいえ かずお (著)・スズキ コージ (イラスト) 『タイキルとジョッコ』の登場人物・動物の一覧。

面白いんだけど、名前がややこしいのでメモしながら読まないと誰が人間かクマかタヌキかリスかわからなくなるので。

マタイエ・タイキル ・・・ 男の子 小学校1年生
セタセル・ジョッコ ・・・ 野ウサギ 1年生
ボンパル・コッコレオ(コッコ) ・・・ 小ウサギ 1年生

ラシミール・モカエフ ・・・ クマ 3年生
ティンバック・アエル ・・・ 男の子 3年生

プリミアーノ・プリミン ・・・ リス 2年生
テトナウカ・リリトン ・・・ 女の子 2年生

マリヒル・マリヒン ・・・ キツネ 1年生
アルノーリヤ・マジュミル ・・・ 女の子 1年生

ブンテノ・ムムキン ・・・ タヌキ 1年生
ミハルン・ユークム ・・・ 男の子 1年生

ビオルカ・デニスン ・・・ 先生

コラリンケ・ガマリーエ(コラン)・・・ 宿屋の主人

ソブラン・ザイエルス ・・・ レストランのコック
セイロン ・・・ 黒い馬

チルス・ダウニ ・・・ マイユラ博物館館長
アンジル・アンジェラート ・・・ ヒールリー村の家具屋

新しい母体血出生前診断の陽性反応的中率(グラフ)

2013年03月19日 | こども・小児科
2月に書いた
新しい出生前診断の陽性的中率は予想外に低い(2013年02月12日)
の続きです。続きというか、そのグラフだけを追加します。

感度 sensitivity s = a/(a+c) 
特異度 specificity p = d/(b+d)
有病率 x = (a+c)/(a+b+c+d)
とすると、

陽性反応的中率 = sx/(sx + (1-p)(1-x))
陰性反応的中率 = p(1-x)/((1-s)x + p(1-x))
という式に表せることを説明しました。

ここで、新しい母体血出生前検査の
感度 sensitivity s = 0.986
特異度 specificity p = 0.998
を代入してグラフに描画してみました。

陽性反応的中率 = 0.986x/(0.986x + (1-0.998)(1-x))


(グラフはクリックして別ウインドウで拡大)

X軸が有病率 0-0.02(0-2%)、Y軸が陽性反応的中率 0-1(0-100%)

35歳
有病率 x = 0.0033
陽性的中率 = 0.62010(62.0%)
陰性的中率 = 0.99995(100.0%)

40歳
有病率 x = 0.01
陽性的中率 = 0.83277(83.3%)
陰性的中率 = 0.99986(100.0%)

有病率 0.01(1%)はグラフの真ん中のところです。
感度 98.6%、特異度 99.8% の検査で陽性の反応が出ても、偽陽性がこんなに(グラフの上の部分)あるのだということをお確かめ下さい。

福島の甲状腺がん検査の患者数は? 感度・特異度により3人?12人? (応用できる一般式付き)

2013年03月18日 | 東日本大震災・原発事故
福島の甲状腺検査で「細胞診76人中10名が陽性、うち3名が摘出して甲状腺がん確定」という問題が話題になっているようです。

NATROMさんの日記
2013-03-15 陽性反応的中割合と「100%引く偽陽性率」を取り違えた甲状腺癌数の推計について
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20130315
2013-03-16 そんで、結局のところ、甲状腺癌の患者数は?
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20130316

この3/15の記事を読んで、これは方程式で解けるはずと思って計算していたら、すでに翌日に解答が記載されていました。

ここでは、
「感度、特異度、検査陽性人数、検査陰性人数が既知の場合の実際の患者数は?」
という一般化した方程式をつくってExcelのシートで色々と代入してみたので、紹介します。

少し前に、
「インフルエンザ検査の陰性的中率」「新しい母体血出生前検査の陽性的中率」について紹介したので、その続きとも言えます。

まず計算式。いつもの「2×2分割表」。


この図の上から順に解いていくとわかるはずなので、詳細は省略します。
本当に病気の人の数(有病者数=a+c)を「x」とします。
感度「s」、特異度「p」の定義から、それぞれaとc、bとdが式で表せます。
検査陽性者数を「m」、陰性者数を「n」とすると、横方向に計算して、bまたはdの式ができます。
bとdについて2つの式ができたので、bまたはdのどちらかで連立方程式を解くと(←どちらでも結果は同じ)、
x=(pm-(1-p)n)/(s+p-1)
となります。
これでabcdが全部決まります。

エクセルのシートに計算式を入れて、数字を動かしてみます。

「感度 s 0.90、特異度 p 0.90、陽性 m 10、陰性 n 66」を入れると、


上記のNATROMさんのページにある計算結果と同じx=3となり、この条件では「検査陽性の10人中3人程度が甲状腺がんである」可能性が高いという結果になります。

有病率(二次精検者の)は3.95%、陽性的中率は27%しかありません。(陰性的中率はほぼ100%)

二次精検(細胞診)までして陽性であっても、更に7割は偽陽性だというのは、確かに受け止め方としては厳しいものがあるかもしれない。

実際にこの数字に近いかどうかはわからないし、ここではそれは問題にしません。
シミュレーションを続けます。

「感度90%、特異度90%」というと、直感的にはこんな数字だと理解しやすいかと思います。


陽性者10人中9人が疾患あり、陰性者10人中9人が疾患なし。
有病率50%、陽性的中率90%。

これは陽的中率が90%で感度・特異度と同じ数字になるのでなんとなく理解しやすいのですが、実際には、陽性的中率は「感度、特異度と有病率」によって大きく変化します。

同じ「感度90%、特異度90%」であっても、有病率が9%まで下がれば陽性的中率は5割を切ってしまう。


元の甲状腺検査に戻ると、二次精検なんだから一般的には「感度99%、特異度99%」くらいのイメージを持ってしまう。


もしそうだとしたら、この表にあるように「10人中9人強が疾患あり、陽性的中率93.4%」となって期待通りの数値が得られるのですが、こうしてみると「感度90%、特異度90%」というのはかなり低い数字だということがわかる。

この「感度90%、特異度90%」は確定した数字ではなく、「偽陽性・偽陰性10%未満」という記載のようです。「感度95%、特異度95%」に上げてみると、a=6.5 c=0.3 x=6.9(四捨五入しているため足し算が合わない)となり、あと4人程度のがん患者含まれていてもおかしくない。

穿刺吸引細胞診で取り逃しはあっても誤ってがんと診断する可能性はゼロに近いという前提で、感度80%(見逃しが20%)、特異度99.9%(偽陽性なし)とすると a=9.9 c=2.5 x=12.4となり、10人よりも多い可能性ありという元の話に近くなる。

いずれも、仮定の話です。

一方、一次スクリーニング検査では、有病率0.01%(10万人あたり10人)程度の疾患を検出しようとすると、「感度100%(取りこぼしゼロ)、特異度99.9%」という優秀な検査であっても、陽性的中率は1割にも満たない。9割は偽陽性ということになる。


この数字をどう評価するかは、検出すべき病気の性質(決して見逃してはいけない、もし見逃したら次の検査までに進行して手遅れになる病気かどうか)によって違ってきます。
(甲状腺エコー検査がこの数字にあてはまるという意味ではなく、あくまで一次スクリーニング検査一般についてのシミュレーションです)

感度、特異度、有病率(見込み)の数字だけでなく、実際には小児の甲状腺がんの性質や進行スピードなどが問題になって来るのですが、勉強不足なのでこの点についてはコメントできません。

このような検査の性質をあらかじめ理解して、偽陽性が検査によって相当の割合で発生するということを前提として話を進めるべき、というのが当面の結論か。

(このExcelのシートは結構便利)

追記:(誤解無きよう念のため)甲状腺がんが3人だけで7人は違うという意味ではなく、4~10人(あるいはそれ以上)のいずれの可能性も否定できません。感度・特異度が安定している検査でも、確率的にバラツキは当然あり得るので。

追記2:OurPlanet-TVで津田先生が言っているように、甲状腺がん3人確定という「多発」状況にあり、今後の変動について厳しい目で見ていく必要があり、7人についても定期的な経過観察が必要なことは当然です。

「民主主義は次善の制度」か? 憲法96条は権力者から国民の権利を守る最大の防壁 九条より重要

2013年03月15日 | 平和・人権
「民主主義は次善の制度」とよく言われる。『バカに民主主義は無理なのか?』という扇情的なタイトルの本が出ているようで(読む気はないが)、そういった見方は可能なのかもしれない。民主主義、多数決が善という型にはまった学校教育から自ら外に出ようとしない人には何を言っても通じないのだが。

絶対王政や独裁制が国民に支持されることがあるのは、童話の世界だけでなく、リビアやベネズエラなどでも現実に起こっている。悪魔のようにののしられたのは、アメリカの世界戦略に都合が悪かったから。ただし、もし悪政だったり腐敗がはびこっても、クーデターでしか排除できない。

(ベネズエラのチャベス大統領は選挙で選ばれではいるが、クーデターを企てた経験もあるし、大統領就任後に憲法改正して権限の強化をはかっているので、実質的には独裁制と言っても差し支えないだろう…)

「民主主義が次善」であるのは、失敗したら選び直すことが可能だから。菅政権の福島棄民政策→ひどい→野田政権の財務省言いなり増税政策→ひどい→安倍政権のアメリカ言いなりTPP原発推進政策→ひどい→何度でも選び直して、どんどん泥沼に落ち込んでいくことができる点において優れている。

ナチスも民主主義から生まれた。茶色の朝もそう。正当に選ばれた民主的政権が、その制度そのものを自ら都合の良い方向にねじまげてしまうことができれば、「次善」ですらなくなってしまう。その歯止めが憲法。内閣法制局の憲法解釈は、そのためにある。憲法は権力から自分たちを守るためにあるんだよ。

権力者が憲法を変えたがるのは、それが自らを縛っているから。今でも相当多くの人が勘違いしているみたいだけど、国民は法律に違反することはできても、憲法違反に問われることはありません。憲法に違反することができるのは、権力者、官憲だけ。

(そもそも学校で憲法の意味を教えられていないのが一番の問題。偉そうに書いてるけど、私自身も大人になってから知り、世の中の見方が変わったから。)

まず最初に憲法96条を変えようとしているのは、本丸(九条)に攻め込む前に、自らの手足を縛っている「3分の2発議」要項を「3分の2」の賛成が得られやすい瞬間(参院選後)を狙って一気に解き放ってしまおうとしている。憲法96条は硬性憲法の最重要条件で、九条そのものよりも重要。

それに、本来、憲法を変えることができるのは、憲法を守る義務のある首相・内閣じゃなく、国民の代表である国会だけ、のはずなのだが、そうではないという論もあるようだ。

憲法を変えずに「正当に選ばれた民主的政権が制度を自ら都合の良い方向にねじまげてしまうこと」が一番簡単にできるのは、選挙制度を都合の良いように変えること。昨年末の選挙で気がついた人が多いと思うけど、あの細川・河野深夜談合で決まった「政治改革」はそういう意味だったんだよ。

あのとき、メディアの「政治改革」大合唱に騙されて国民は自らの権利を失ったことに気がつかなかった。憲法96条改正なんて絶対に許しちゃ駄目だよ。茶色の朝はそうやって始まるんだから。コントロールしやすい大衆をメディアを利用して誘導し、少数意見はどんどん圧殺されていく時代になる。

解釈改憲を否定し、憲法改正(自主憲法制定?)をうたって多数を占めた安倍政権が、内閣法制局の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を可能にすること(=解釈改憲)は、全くの自己矛盾。(ここで内閣法制局の憲法解釈について少し勉強しないといけないのだが…)

内閣法制局による憲法解釈小論(PDF)http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200802_685/068503.pdf

ここまで書いたのは、憲法は絶対変えちゃいけないという意味では勿論ない。たとえば原発国民投票。国民投票の制度を憲法に組み込むのは、国民の権利を高めて権力者を縛る機能を付加するものだから、本来の目的に沿っている。だから政府・権力者は反対する。その逆の理由で96条を改正したがる。

ものごとを理解するには、それで誰が得して、誰が損するのか、お金はどこから出て、どこに入るのかを理解するのが一番簡単。堤未果さんの著書『政府は…』にもそう書いてあったはず。憲法改正にせよ、TPPにせよ、原発再稼働にせよ、みんな同じ。

TPPと混合医療解禁だって、損するのは国民で、得するのは保険会社と医療費を削減したい財務省。モーニングバードのそもそも総研でも、玉川さんはその辺を伝えようとしていたけど、出演者はよく理解できていないようだった。

核心評論「憲法96条改正論 根本的な理念の転換」(共同通信編集委員・川上高志)
 発議権の緩和は単なる「手続き」の問題ではない。「憲法は人々の権利や自由を確保するために国家権力を縛る」という「立憲主義」の放棄を意味する根本的な理念の転換だ。
 根底には2012年に自民党が策定した「憲法改正草案」にも共通する憲法観がある。草案は、国民が憲法を尊重する義務を定め、国民の義務規定を新設するなど「国民統制」が目立つ。国家の側に立つ憲法観だ。国家権力を制限する立憲主義との違いは明確だろう。

鎌田慧『六ヶ所村の記録』メモ 「白河以北一山百文」 核燃サイクル悲喜劇のツケは県民に

2013年03月14日 | 東日本大震災・原発事故
何度もため息をつきながらこの長い物語を読み終えた。鎌田慧さんが最初に取材を始めてから40年以上の歳月が流れ、その間にスリーマイル、チェルノブイリ、そして福島原発事故という大惨事を経験してもなお、核燃サイクル堅持を叫んで青森にお金を落とすために全国の原発を動かし続けようとしている三村知事や、「世界一安全な原発」を再稼働させようとしている安倍首相の姿は、ここに登場する竹内知事や北村知事以上に、県民や国民の真の幸せを考えない醜悪なものだ。

鎌田さんは昨年も今年も3.11あおもり集会で「白河以北一山百文」という言葉を用いて、原子力産業や中央政権が六ヶ所村や青森県で行ってきた「開発」の差別性や欺瞞を強く指弾した。その欺瞞や差別のあからさまな実態がここに描かれている。この(欺瞞や差別の)歴史を知ることが原発・核燃の問題を知る第一歩だ。私自身、3.11以前からちゃんと読まなければと思いつつ、後回しになっていた。

青森の高校生が、核燃マネーによる海外エネルギー視察にこぞって応募するなどということではなく、自ら越えるべき壁としてこの県で起きてきた歴史の実態に目を向けるようになれば、少しは希望が持てるようになるのだが。

「83年12月、総選挙の応援で青森を訪問した中曽根首相は、下北半島が「原子力のメッカになると発展する」と語った。六ヶ所村は、いわばメッカであり、トイレである。」(←ここで思わず吹き出してしまった)

「そして、「むつ小川原開発」に失敗した竹内知事の長男、黎一が第二次中曽根内閣の科学技術庁長官に抜擢され、それを合図として、一挙に「核燃サイクル」建設が押し進められることになった。」

「核廃棄物は、それぞれの原発用地内に保管すればいい。それができないのなら、原発の稼働をやめるしかない。核の生ゴミをひとに押しつけてはいけない。原発政策とは、原爆とおなじように、ひとに害を加えて自分だけ繁栄しようという、あさはかな思想のあらわれでしかない」

91年版あとがき「原発と廃棄物をどうするか、いまや国民レベルで討議する時期にはいっている。すべての危険性を六ヶ所村に押しつけて解決したと思っている無関心は、将来、事故発生によって報復される危険性がたかい」

2011年版あとがき「村を核の掃きだめにする計画をたてたものは、呪われるべきだ。ただカネのためにだけ受け入れた、歴代の青森県知事と村長も同罪である。高濃度核廃棄物の運搬専用船に六栄丸(六ヶ所の繁栄)、低レベル運搬船は青栄丸と名づけたものの罪は深い」

97年文庫版の解説は広瀬隆氏。「いよいよ原子力も幕をとじる日が来た。鎌田慧氏と寺下力三郎氏に、みなでその言葉を贈りたい。敬愛の念をこめ、感銘のうちに」(←その後、寺下氏は亡くなり、福島の大惨事が起こり、原子力劇場の悲喜劇は未だ幕を閉じる気配がない)

同じく広瀬隆氏解説より「高レベル放射性廃棄物は、…つまり三十年は五十年となり、五十年が永久となることは、青森県民より、ほかの四十六都道府県が熟知のことで、みな心中でそう願っている。こんなものを保管してくれるお人好しがいるとはありがたい、と」

ちなみに、六ヶ所村民図書館の蔵書には鎌田慧さんの著書は16冊あり、『六ヶ所村の記録』も3冊含まれている。さすがにそこまで弾圧することはできなかったようだ。八戸市図書館には2011年の岩波現代文庫版も所蔵されている。高校の図書室にあるだろうか。

鎌田慧さん91年知事選でのコメント
 北村氏が強いとは思っていたが、予想以上だったので愕然としている。核燃選挙といわれていたが、それが焦点になっていなかったからだ。
 核燃をどうしようかという前の段階でのファクター、つまり権力、経済構造という保守基盤を、突き崩せなかった。(焦点が)核燃問題にぶつかる以前に、いろいろな問題に拡散したのではないか。北村氏が、副知事時代を含めた24年間で形成してきた権力構造をぎゅっと締め、核燃問題がそこに入り込めなかった、ということだと思う。
 代議士選挙とちがい、知事選は待ったなし。県知事を代えるということは、大変なこと。核燃には反対だが、北村氏に入れよう、ということになったのではないか。それだけ県民にも古い意識が根強い、ということだ。
 金沢氏は「県民は核と運命共同体になるのを選んだ」といったが、そう単純なものではなく、そこまでいかないうちに、古い県民意識と自民党がつくった「権力のガード」に疎まれたのだと思う。
 さらに、山崎氏の「凍結」とい選択肢にうやむやにされた。今日の敗北は反対運動にとっては確かに打撃は大きい。しかし、白紙撤回、凍結を合わせれば北村票を上回る。
 六ヶ所村の土田村長は今後、どうするのか。県民が賛成しているとして「ゴーサイン」を出すかもしれないが、そうではない。県民がノーという前に、締め付けの緩衝剤をばらまかれて、「核燃反対」が直撃しなかった、といえる。
 北村氏も「おれを支持したから、県民が核燃を選択した」と言うかもしれないが、そういう論理は成り立たない。相対的にみれば、明確に、賛成しないという人が多い。過半数以上の根強い反対を無視して(核燃サイクル基地建設を)強行するのは、誤りだ」(朝日新聞2月4日朝刊)

長々と引用してきたが、その再処理工場が、福島原発事故を経て再び全ての原発が停止する今年の秋に向けて、本格稼働を目指すという馬鹿げた事態になってきている。この40年もの記録は過去の話ではなく、今もその続きの物語がより喜劇性を強めながら繰り広げられている。

(そのツケは必ず県民にまわってくる…)

もう1冊、本棚から島田 恵さん(写真・文)の『六ヶ所村 核燃基地のある村と人びと』を引っ張りだして読み直している。その前著『いのちと核燃と六ヶ所村』も、うちの待合室に置いてあります(貸出可)。

(オマケ)

「低線量セシウム無害」(3/13国会質問)の維新・西田譲議員について、私の興味は、1)どうして選ばれたのか、2)どうやったらこういう人間が形成されるのか。1)については、選挙で投票したのにこんな人だったのかと頭を抱えている選挙区民もいるかもしれないが、それは選んだ貴方の責任。

西田譲1)どうして選ばれたのか? 何年か県議をやっていたならトンデモとかアブナイ言動とかはわかるはず。公開討論会でもやれば一発。維新というブランド(?)や、公約や演説の字面、見てくれ(顔見るとちょっとこれは?と感じるが若くてイケメンと思う人もいたかも)で選んだか。

西田譲2)どうやったらこういう人間が形成されるのか? こういうのは謎。学歴見るといわゆる学力はあるようだが、まともな判断力、論理的思考能力がない。ただ未熟だとか思い込みともちょっと違う。ボーダーラインっぽい感じもするが、情報不足。幼児期、小児期はどうだったのか。

(ネトウヨとほとんど変わらないという気もするが…)