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『プロメテウスの罠7』「医師、前線へ」ヨウ素剤の時系列メモ 配布阻止は山下教授と県庁

2014年10月29日 | 東日本大震災・原発事故
#図書館から借りた本なので要点だけメモしておく

12日午前 放医研・富永医師、大熊町オフサイトセンターへ
12日午後 双葉町・井戸川町長、県立医大で測定
12日 県立医大・細矢副院長、ヨウ素剤服用態勢を検討、職員への配布開始。16日以降は事務部門にも配布。17日から看護部の子ども、19日~21日には他の部署の子どもにも「配布の事実は外に漏らさないこと」

13日午前 原子力安全委員会、経産省へ2回FAX「1万カウント以上でヨウ素剤投与すべき」
13日夜 住民の除染基準を10万cpmに(6千→1万3千→)

14日午前 3号機爆発
14日夕 長崎大・熊谷医師福島へ。山下教授に電話「ヨウ素剤の議論が出てない」山下「原子力安全委員会がSPEEDIの予測数値を見て決める」

15日午前 4号機爆発。福島市、広島大・細井教授「燃料プール爆発なら最低でもチェルノブイリ級。南東北はだめになるかも」現地で100人を超える死者も想定して準備
15日午後 県立医大で長崎大・松田教授、雨で頭部1万カウント超、雪溜まりで22.8μSv/h「これは地獄や」山下に電話「どえらいことになってまっせ」
15日 現地対策本部が福島県庁に撤退

15日午後8時 県立医大で広島大・細井教授「4号機が大爆発するかも」「200キロ圏が避難地域になる可能性」(→上記の職員の子どもへの配布へ)
15日深夜 経産省から現地対策本部へ「20キロ圏内の入院患者にヨウ素剤を」
16日 放医研・立崎医師、同内容の指示文書(→県はヨウ素剤配布せず)

18日か19日 富永医師、ヨウ素剤配布を県職員に提案、手配開始(→実現せず)
18日 山下教授福島入り。午後6時、県立医大で講演「ヨウ素剤信仰だ」「逃げ出すことのないように。原発事故の被曝は日本の宿命」

23日 SPEEDI公開、山下「ありゃー」
6月 放医研・明石「いま思えば、飲ませればよかった」

#ヨウ素剤配布に関して、福島医大・細矢副院長、白坂薬剤部長、長崎大・熊谷医師、桜井・県薬剤師会長、放医研・立崎医師、富永医師らが住民への配布へ動いたが、一貫して阻止したのは山下教授と福島県。県当局が山下の指示に従ったのかどうかは不明。

#これ見てわかるのは、山下教授はSPEEDIを(当然ながら)知っていたこと。福島では15日の時点で、4号機の燃料が爆発したら「最低でもチェルノブイリ級、200キロ圏避難」と認識していたこと。

#「汚染水」の章で馬渕が細野から「原発が大変です」と呼び出されたのが3月25日。近藤シナリオが届いた日。しかし福島では15日の時点で「南東北がだめになるかも」という認識。県庁が何も知らされていなかったとは考えにくい。(敬称略)

#県立医大・細矢副院長の職員へのヨウ素剤配布は小児科教授として当然な行動。職員子どもへの配布は遅すぎたくらい。緘口令も他に手段があったのか。ここに矛先を向けるのは意味がない。(何で医大職員の子だけという気持ちは最大限に理解しているつもりだが、リスクを知っている医療職が最後まで留まるためには必要=本来なら子どもには15日の時点で飲ませた上で逃がすべきだったが…)

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