今回の「神宮外苑 幼児焼死事件」は、悲惨すぎて言葉になりません。これまで伝えられた情報によると、出展者側で火災防止についての知識も想像力も、考慮された形跡もなく、二重三重のチェック体制もなく、観客の警告も無視するなど(※)、ほとんど論外と言える状況のようです。
「責任はすべて大学にある」神宮外苑の火災受け学長
2016年11月7日14時21分
http://www.asahi.com/articles/ASJC7339PJC7UTIL009.html
※ 特にこの証言の内容は過失ではなく「未必の故意」であることを証明しています
出展者(学生)や大学の責任は免れませんが、どんな罪に問われようとも子どもの命は還ってきません。
今回のケースに限定するのではなく、一般化してどうすれば守れるのか考えてみます。
子どもの事故というのは、1)繰り返されてきた状況で同じ事故が起きている、2)新しいモノや状況が生まれると新しい事故が発生する、という二つのことがわかっています。
2)については難しいので後回しにします。今回の例は特殊ですがここに入るかと思います。
1)については原則が二つあります。
①事故の原因を除去して可能性をゼロにする
②なくせない場合は、頻度を減らしたり重症化を防ぐ
「○○に気をつけましょう」では事故はなくなりません。
①の例としては、
・タバコ誤飲 →「タバコや灰皿を子どもの届かない高さに置く」は間違った指導例。家庭や訪問先(祖父母宅など)にタバコが全くない状況であれば、タバコ誤飲はゼロになる。
・歩行器やクーファンからの落下事故 →必要のない育児用品であり、買わない、使わない、人にあげないこと。
・大型自動回転ドアに挟まれた事故 →センサーの不備を改善するのではなく、もしセンサーが正常に作動しなければ(改善しても可能性はゼロではない)子どもが死ぬような装置は使用しない。
②の例として、
・自動車事故はゼロにはできないが、チャイルドシート(かつては法制化されていなかった!!)/衝突防止装置などの技術革新/歩道・交差点等の改善/取締りの強化/キャンペーン・啓発活動などにより、まだ許容できない範囲ではあるが、死者は確実に減少している。
①②を混同した例として、①コンニャクゼリーと②餅の窒息死を同一視した議論がある。(これがわからない人が多いというのも事実)
タバコとアルコールも同様。
風呂での溺水防止のために、②鍵をかけるというのは不可(事故はたまたまやらなかった時に起きる)で、①最後の人が必ずお湯を抜くというのが正しい対策。
原発事故についてもあてはまるが、最後に書きます。
2)の、リスクが不明(程度が様々)だったり予測困難な場合はどうすれば守れるか。
一言では言えないが、一般的な知識、経験(子どもの頃からの直接的、間接的、具体的々な体験から得た常識的判断力)、想像力、危険察知能力などを常に働かせるようにする。
東日本大震災を経験した私たちは、「いま大地震が来たらどうするか」というアンテナは辛うじて張れるようにはなったはずですが、未体験の状況(実際にはそういう事態が大半のはず)で、後悔しないように動けるか、自信を持って断言することはできません。
ただし、車の運転で一番大事なのは「他人の運転を信用しないこと」。これは自動車学校でも免許更新の講習でも一度も言われたことがないが、長年運転してきて誰もが実感しているはず。子どもの事故防止にも、同じことが言えると思う。
もう一つのキーワードは「東京」にあると考えますが、まとまっていないし、ここでは詳しく書けません。。
原発事故については、多重防御という考え自体が②(事故はゼロではない)を前提とした話だったはずが、いつのまにか①と同じ「絶対安全」にすり替わっていた。②なのに「絶対安全」ということは「絶対にない」ということはわかりきっていたのですが、①と受け止めて「絶対安全」だと思っていた人が相当数いたということ自体が、大きな驚きでした。
無論、①の可能性をゼロにする方法は、原発の稼働をゼロにする以外にはありません。②の対策で、いくらヨウ素剤を配布されたり、避難の船や避難先の体育館を確保されたからといって、これで安心、いつでも再稼働して下さいと主張する首長や議員らは、一旦事故が起きたときには福島のように故郷を捨てなければいけないという事態を許容したと言っているに等しいのです。
「責任はすべて大学にある」神宮外苑の火災受け学長
2016年11月7日14時21分
http://www.asahi.com/articles/ASJC7339PJC7UTIL009.html
※ 特にこの証言の内容は過失ではなく「未必の故意」であることを証明しています
出展者(学生)や大学の責任は免れませんが、どんな罪に問われようとも子どもの命は還ってきません。
今回のケースに限定するのではなく、一般化してどうすれば守れるのか考えてみます。
子どもの事故というのは、1)繰り返されてきた状況で同じ事故が起きている、2)新しいモノや状況が生まれると新しい事故が発生する、という二つのことがわかっています。
2)については難しいので後回しにします。今回の例は特殊ですがここに入るかと思います。
1)については原則が二つあります。
①事故の原因を除去して可能性をゼロにする
②なくせない場合は、頻度を減らしたり重症化を防ぐ
「○○に気をつけましょう」では事故はなくなりません。
①の例としては、
・タバコ誤飲 →「タバコや灰皿を子どもの届かない高さに置く」は間違った指導例。家庭や訪問先(祖父母宅など)にタバコが全くない状況であれば、タバコ誤飲はゼロになる。
・歩行器やクーファンからの落下事故 →必要のない育児用品であり、買わない、使わない、人にあげないこと。
・大型自動回転ドアに挟まれた事故 →センサーの不備を改善するのではなく、もしセンサーが正常に作動しなければ(改善しても可能性はゼロではない)子どもが死ぬような装置は使用しない。
②の例として、
・自動車事故はゼロにはできないが、チャイルドシート(かつては法制化されていなかった!!)/衝突防止装置などの技術革新/歩道・交差点等の改善/取締りの強化/キャンペーン・啓発活動などにより、まだ許容できない範囲ではあるが、死者は確実に減少している。
①②を混同した例として、①コンニャクゼリーと②餅の窒息死を同一視した議論がある。(これがわからない人が多いというのも事実)
タバコとアルコールも同様。
風呂での溺水防止のために、②鍵をかけるというのは不可(事故はたまたまやらなかった時に起きる)で、①最後の人が必ずお湯を抜くというのが正しい対策。
原発事故についてもあてはまるが、最後に書きます。
2)の、リスクが不明(程度が様々)だったり予測困難な場合はどうすれば守れるか。
一言では言えないが、一般的な知識、経験(子どもの頃からの直接的、間接的、具体的々な体験から得た常識的判断力)、想像力、危険察知能力などを常に働かせるようにする。
東日本大震災を経験した私たちは、「いま大地震が来たらどうするか」というアンテナは辛うじて張れるようにはなったはずですが、未体験の状況(実際にはそういう事態が大半のはず)で、後悔しないように動けるか、自信を持って断言することはできません。
ただし、車の運転で一番大事なのは「他人の運転を信用しないこと」。これは自動車学校でも免許更新の講習でも一度も言われたことがないが、長年運転してきて誰もが実感しているはず。子どもの事故防止にも、同じことが言えると思う。
もう一つのキーワードは「東京」にあると考えますが、まとまっていないし、ここでは詳しく書けません。。
原発事故については、多重防御という考え自体が②(事故はゼロではない)を前提とした話だったはずが、いつのまにか①と同じ「絶対安全」にすり替わっていた。②なのに「絶対安全」ということは「絶対にない」ということはわかりきっていたのですが、①と受け止めて「絶対安全」だと思っていた人が相当数いたということ自体が、大きな驚きでした。
無論、①の可能性をゼロにする方法は、原発の稼働をゼロにする以外にはありません。②の対策で、いくらヨウ素剤を配布されたり、避難の船や避難先の体育館を確保されたからといって、これで安心、いつでも再稼働して下さいと主張する首長や議員らは、一旦事故が起きたときには福島のように故郷を捨てなければいけないという事態を許容したと言っているに等しいのです。
この点ですが、「未必の故意」ではなく「認識ある過失」ではないでしょうか。
認識していなければ故意ではなく過失、
(指摘されて)認識していたのに照明器具を投入したとすれば、殺そうとしたわけでなくても、結果的に火災になれば子どもが死ぬことになることを「あえて」行ったわけですから、未必の故意にあてはまるのではないかと考えました。。