戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

8/18 その2 雷様の恐怖・・・ 

2010-08-18 18:09:36 | Weblog
 今日の雷様は随分早くお出ましになった。2時半にはもう真っ暗くなり4時には終わっていた。今夜はどうだろう。2回お出ましになる事は無いだろうが、今夜も電源を切っておいた方が良いのかしら?雷様も早かったから、私も今日は早く帰ろう。今朝うちのお客様から電話がかかり、エアコンが雷でやられたという。最近の電気の心臓部は殆どが電子回路で制御されているので基盤がやられればそれで終りなのだと聞いた。単純な機能の昔の機器ならヒューズが飛んだとか、1ヶ所の故障で済むが、今の器機は全部が駄目、それを考えると若し、仮に何かの天災に見舞われたとする。全都市が、それこそ日本国中そうなるのと同じ、私が1番恐れているのは停電だ。他の人も同じかもしれない。井戸があったとしても地震で潰れたり、モーターで汲み上げるようなものでは使えない。テレビで「ぼうふらの湧いたような溜まりの水なんて飲めないわ」と女の子がいっていたが、実際に私は終戦の年、昭和19年に疎開してそれから数年間、いや、10数年間、そんな水で生活していた。苦心して父がろ過装置を作ってくれたが、同じぼうふらの湧いた桶の水には変わりがなかった。水ばかりは何物にも代え難い。天災は忘れないうちにきっとやって来る。そう思って生活している。

8/18  軽い筈の朝ドラに泣かされた。

2010-08-18 16:37:04 | Weblog
 最近の朝ドラ、ゲゲゲの鬼太郎には軽く見てはいられない重さを感じる。死にゆくしげるを必死に呼ぶ両親、そして両親を思い浮かべてその声にすがるしげる・・・涙が抑え切れなかった。あれは本当の話だ。日本の軍部のそういう面が許せなかった。それと同じではないが、似た話は沢山聞く。或る上等兵は米を一升渡されて後へ前進と命令された。他には何も無かった。生き残りの連中と共に必死の後退を続けるうち、道無き道の為に、足を踏み外して谷底へ落ちた。誰も自分の身を処すのに精一杯で、助けに来てくれるほどの余力は無い。それでも必死の思いで助けを呼ぶうちにもぞもぞと密林の中に人の気配がして、「今行くぞ。何処だ、何処にいる!」と声がした。自分で這い回る事で精一杯なのに、戦友は助けにきてくれた。帰還してから「あの鹿沼の戦友がいなかったら多分私は日本に帰れなかったでしょう」と云っていた事を思い出した。上官なら打ち捨てておかれたに違いない。その人は或る上官が戦死した理由について「あれは戦死ではない。誰かが後から撃ったんだ」という話もした。嫌われ抜いた挙句に味方に撃たれ、それを知っている全ての人間は口を封じてそれを墓場まで持って行った。そうしなければみんな故国へ帰れなかった事を知っていたからだ。