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宗男日記から

2007年12月23日 | Weblog
ムネオ日記
2007年12月23日(日)
 北海道新聞1面トップの「領土返還交渉 四島一括修正へ ロ大統領に森元首相 『イルクーツク』軸」と大きな見出し記事におのずから目が向く。
 外交には相手があり、積み重ねである。北方領土問題解決には、56年宣言、東京宣言(細川-エリツィン会談)、イルクーツク声明(森-プーチン会談)の3つが基本的な文書・約束であり、この流れの中で問題解決を図るしかない。しかし、森政権退陣後に誕生した小泉内閣の田中外相は、日露関係の正しい流れが頭に入っておらず、また、外務官僚の不作為もあり、「四島一括」というソ連時代、共産主義時代の日本の主張に先祖返りをしてしまい、この7年領土問題は前進しなかったのである。
 今日の北海道新聞記事の中で「イルクーツク声明は2001年3月に森氏とプーチン大統領が調印。森政権の対ロ交渉を推進した鈴木宗男衆院議員らが当時、『歯舞、色丹の二島返還で手を打とうとした』と批判された。」という記述があるが、私は二島で手を打とうとしたことは一度もない。お互いの名誉と尊厳も考えながら、あくまで四島の日本への帰属を確認し、返還を実現するためには、現実的にどの様なアプローチがあるのかを考えてきた。また、原理原則だけを何百回、何千回言っても前進はない。そこで段階的解決を図ることが日本政府の考え・方針となり、私もそれを支持し、協力してきたのである。
 田中外相になり、当時の小寺ロシア課長による記者への意図的、恣意的なメモ流し等、事実でない話が報道され、迷惑したものである。この7年間の空白を考えると、一部外務官僚の行為は国益を大きく損ねたと言ってよいだろう。歴史の検証をしなくてはならない。
 2001年3月25日、イルクーツクでの首脳会談の時に、先日次期大統領候補に指名されたメドベージェフ第一副首相(当時は大統領府第一副長官)と会談したことがある。2000年12月には、セルゲイ・イワノフ第一副首相(当時は安保会議書記、後に国防相)と会談した。将来ロシアのリーダーとなると目を付け、パイプをつくっておいた方が国益の観点から大事だと考えてきたことに間違いはなかったと思いながら、政府が北方領土問題解決に向け、大きく動き始めることを、心から期待したい。
 福田首相は今日記者団に対し、薬害C型肝炎の被害者を一律救済するための法案を作成することを表明し、民主党はじめ野党にも協力を呼びかけたそうだが、今日になってこのような発表をするのなら、なぜ20日のうちに判断しなかったのだろうか。これだけでも政治がないと思う。最近の支持率急落を受けての決断だろうが、いずれにせよ、薬害被害者の全員一律救済に向け、与野党国会議員が一丸となり、法案作成に励まなければならない。
 10時から苫小牧で告別式に参列。14時から千歳市で大変お世話になっている後援会関係者の御子息の結婚式に出席し、お祝いを申し上げる。夕方の便で上京。
鈴 木 宗 男
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新党 大地 
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