ヘイトスピーチは、それを受ける人にだけではなく、発した側にも“ダメージ”を与える。司法がそれをまた証明した。
 
 27日、ネット上の動画中継、SNS、さらにはリアルでの街宣で差別をあおるヘイトスピーチをされて精神的苦痛を受けたとして、在日朝鮮人ライターの李信恵さんが損害賠償を求めていた裁判で、大阪地裁は被告の在特会とその元会長の桜井誠氏に77万円を支払うように、という判決を下したのだ。たいへんに喜ばしいことだ。
 判決は、上記での桜井氏らの発言を「差別を増幅させる意図で行われた人種差別」としたが、個人が訴えた裁判やネットでの表現が「人種差別」にあたると認められるのはきわめてめずらしいのだという。

 桜井氏らは、李氏を名指しで「朝鮮人ババア」「不逞鮮人」などと罵っている。
 間違ってならないのは、これは単なる名誉棄損ではない、ということだ。
 たとえば、誰かがネットや街宣で「香山リカはブスなババア」と言ったとしよう。もちろん、私にとってはこれはうれしくない。しかしこの程度でもし名誉棄損で訴えたら、「表現の仕方が意見・論評の域を出ない」として請求が退けられるかもしれない。ひどい悪口だがそれで社会的評価を貶めるほどではない、ということだ。これがもし、「カヤマは医師免許もないのに医療活動を長年やっている」とか「カヤマは殺人罪で獄につながれていたこともある」となると、ウソでありさらにそのことで仕事の評判が落ちるなどの実際の不利益が生じる可能性があるので、名誉棄損が認定されて被告側に損害賠償が命じられるかもしれない。

 では、李氏への先ほどの誹謗中傷はどうだろう。もしかしたら、「被害の程度で言えば、『殺人罪で獄に』に比べれば『朝鮮人ババア』のほうが『香山はブスなババア』と同じような他愛もない悪口じゃないか」と思う人もいるだろう。

 ところが、これは違う。
 李氏への暴言は、彼女が朝鮮人だからこそ投げかけられたもので、彼女自身の個性などに対してのものではない。桜井氏らは、李氏というよりは朝鮮人じたいを蔑み、排除する方向に持っていくために、こういう言い方をしたのである。これは明らかに、李氏の個人的な仕事に対する批判(たとえばライターの彼女に向かって『このあいだの原稿は最悪』と言うなどの過激な評論)ではない。むしろ彼女をシンボルにして、朝鮮人や韓国人全体にレッテル貼りをし、排除しようとしているのだ。
 これこそ、人種、民族などの属性での差別を煽動するヘイトスピーチであり、日本が批准している人種差別撤廃条約に反するものにほかならない。

 裁判で、「これはただの悪口ではない。人種差別にもとづく差別発言だ」と認めてもらえたのは本当によかった。
 
 ただ、裁判そのものは原告にとってもたいへんな消耗とリスクを生むものだ。
 とくに李氏は女性ということもあり、裁判を起こしたことじたいで、差別主義であることをひとつのアイデンティティとしている匿名のネットユーザーたちから容赦ない攻撃を受けた。
 
 いま民事裁判で名誉棄損はなかなか認定されづらくなっていると聞いたが、今後、この判決が貴重な判例となり、こと人種差別、民族差別の発言は、一般の法律より上位概念といわれる国際法つまり人種差別撤廃条約それにヘイトスピーチ解消法などに基づき、条約や法律に違反していると見なされていくことになっていくだろう。
 もちろん、本来なら「差別はいけない」と学習し、心の底から差別発言を訂正し、謝罪するのが筋だ。

 ここで、そこまでの理解力や咀嚼力がない人たちには、とりあえず言いたい。
 差別は結局、本人の首を絞め、たいへんな金銭的損害ならびに社会的損害を与えることになるのだ。一瞬、溜飲を下げたいがために、裁判に負けて損害賠償を払わなければならず、「裁判に負けた差別主義者」とまわりから一生、白い眼で見られることになる。
 そんな代償を払ってでも、あなたは外国人を差別し、罵りながら日本から追い出すような発言をしたいだろうか。
 人種、民族差別はお金にならず、そればかりかたいへんなイメージダウンなのだ。

――え、オレをそうやって脅かすのか?オレの人権を守れ!
 そんな声が聞こえてきそうだが、その人たちには言いたい。
 民族などの属性を変えるのはむずかしいが、「アイデンティティがわりの差別主義」などすぐにも捨て、変わることができるはずだ。
 「差別主義はカネにならない」と学んだ人には、いまこの瞬間に悔い改め、差別主義から足を洗ってほしい、と思っている。