異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

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<再>9月1日関東大震災の日に。「虐殺」に走った人と、とめた人を分けたのは、何だったのか? ・・・今だからこそ読み返したい一冊。

2017-09-02 23:37:22 | 差別 レイシスト カウンター

http://syuklm.exblog.jp/26158073/より転載

※一部加筆しました(2017.9.1)byしゅくらむ

93回目の関東大震災の日に。
「虐殺」に走った人と、とめた人を分けたのは、何だったのか

 

今だからこそ読み返したい一冊。

 

 

「九月、東京の路上で  

1923年関東大震災ジェノサイドの残響」

加藤 直樹さん

 

 

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■自警団だけではなかった■

 



1923年9月1日の関東大震災直後。


「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」

「鮮人が暴動を起こす」という

不確かな情報に

恐怖を感じた人たちの手で、

数千とも言われる人の命が、

わずか数日の間に奪われました。

 

 

 

 

在日韓国朝鮮人の人たちだけでなく、

中国人労働者や、

標準語を発音できなかった聴覚障害や

沖縄の人たちも犠牲になっています。

 

 

 

 

犠牲を大きくしたのは、

自警団だけでなく、

未確認情報を拡散したメディア、

「暴動鎮圧」のお墨付きを与えた警視庁、

そして朝鮮「本国」での弾圧さながらに

出動した軍隊でした。

 

 

 

 

その現場を目撃した生々しい証言、

例えばノンフィクション作家・保坂正康さんの父が

目の前で殺される中国人を助けられなかった悔悟、

「朝鮮人の頭だけが転がっていました」と書かれた

尋常小学校生徒の作文、

さらに75年後に習志野収容所で

掘り起こされた遺骨といった事実が、

丹念に検証され拾い集められています。

 

 

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後から事実無根であることに気づいた警察が

事態を収拾するまで、1週間。

 

 

 

 

 

 

虐殺の嵐が吹き荒れる一方で、

それに抗して、

在日の人たちを命懸けでかくまい、

守った人たちも存在していました

 

 

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その人たちと、

「虐殺する側」とを分けたものは、

一体なんだったのか。

 

 

 

この問いこそ、私が知りたかったことでした。

 

まさにそれがこの本の白眉となっています。

 

 

 

 

 

***シェアココから**

 

 

 

 

”朝鮮人を殺した日本人と、朝鮮人を守った日本人。

 その間にはどのような違いがあったのだろうか。

 

 

 

朝鮮人虐殺を研究する山岸秀はこれについて、守った事例では、

「たとえ差別的な関係においてであっても、日本人と朝鮮人の間に一定の日常的な人間関係が成立していた」

と指摘している。 

 

 

つまり、朝鮮人と実際に話したこともないような連中とは違い、ふだん、朝鮮人のだれかと人としての

付き合いを持っている人の中から、「守る人」が現れたということだ。

  

 

言ってしまえば当たり前すぎる話ではある。

 

 

だがこの当たり前の話を逆さにしてみれば、「ヘイトクライム(差別扇動犯罪)」とは何かが見えてくる。”

 

 

 

 

 ”ヘイトクライムは、

日常の場を支えている最低限の小さな結びつきを破壊する犯罪でもあるのだ。

 

 

ごく日常的な、小さな信頼関係を守るために、

危険を冒さなくてはならなかった人々の存在は、日常の場に乱入し

「こいつは朝鮮人、こいつは敵」と叫んで暴力を扇動するヘイトクライムの悪質さ、深刻さをこそ伝えている。”

 

 

”「間化」を進める者たちが恐れているのは、人々が相手を普通の人間と認めて、その声に耳を傾けることだ。

 

そのとき、相手の「間」化によらなければ通用しない歴史観やイデオロギーや妄執やナルシズムは崩壊してしまう。

 

だからこそ彼らは、「共感」というパイプを必死にふさごうとする。”

 

 

 

 

”私は、90年前の東京の路上に確かに存在した人々のことを少しでも近くに感じる作業を

読者と共有したかったからこそ、この本を書いた。

 

 

記号としての朝鮮人や日本人ではなく、
名前を持つ誰かとしての朝鮮人や中国人や日本人がそこにいたことを伝えたかったのだ。

 

 

「共感」こそ、やつらが恐れるものだから。

 

 

 

そして、文章をまとめていくなかで気づいたのは、実は90年前の路上もまた、

「間」化と共感がせめぎあう現場だったということだ。

 

ときには同じ人間の中でそのせめぎあいがおきている。

 

殺してしまった相手を、殺した人間が供養するのは、そういうことだろう。”

 

 

 

 

”右翼政治家たちがけしかけ、メディアが展開する、集団ヒステリーのような「間」化=

レイシズム・キャンペーンを、誰も疑問に思わない状況。

 

それはどこにたどり着くのだろうか。

 

 

 

私たちはそのなかで、いつまで当たり前の共感を手放さずにいられるのだろうか。”

 

 

 

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■「当たり前の共感」が、ヘイトスピーチ禁止へ■

 

この本の発行(2014年)の後、今年5月、ヘイトスピーチ(差別扇動表現)を

根絶するための法律が、ついに国会で可決。

 

さらに同月、川崎市は、

在日コリアンや様々な人たちが共生する街・

桜本を標的にしたヘイトデモに対して、「市民の安全と尊厳を守るため」、

公園使用許可を出さないことを決定。

 

共生へ希望貫く川崎・「ヘイト」デモ中止

神奈川新聞カナロコ 2015年6月6日付↓

http://www.kanaloco.jp/article/177372

 

 

”わが街で、わが子の目の前で

「ゴキブリ朝鮮人、死ね、殺せ」と言われた絶望が、

「きょう、みなさんと一緒に希望によって上書きされた」。”

(崔 江以子さん)

 

法案成立前に野放しだったヘイトデモが

桜本の小さな商店街に入ろうとした時、

 

路上に身体を投げ出して阻止したのは、

何十年も同じ街に住み、

同じ商店街で買い物をし、

同じ地域の祭りを担ってきた住民同士、

全国から駆け付けた同じ思いの人達でした。

 

この日常的な共感こそが、

小さな結びつきひとつひとつが、

紡いだ結晶だと思います。

 

 

■結晶を壊させないために■

一方で、津久井やまゆり園の

障害者襲撃事件で露わになった、

「障害者は抹殺していい」という思考。

 

日本人人質事件後に巻き起こった、

イスラム教徒への排除…。

 

まさにいま現在進行形で、

この日常空間で、

せめぎあいが続いています。

 

2016年を、

ヘイトスピーチ・

ヘイトクライム廃絶の元年にできるように。


どこの街でも、

誰に対しても、

ヘイトスピーチ・

ヘイトクライムをさせない。

 

制止・禁止するだけでなく、

生み出させないために。

 

小さな結びつきを手放さないで、

繋ぎ続けていきましょう。

 

「九月、東京の路上で」Amazon

 

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