女子高生までもが「エダノン」と叫んだ。
市民目線の立憲民主党を率いる枝野幸男氏。
彼の政治家人生をたどると、今につながるブレない芯が見えてきた。
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女子高生も「エダノン」と叫ぶ 立憲民主・枝野幸男の変わらない政治の原点
AERA https://dot.asahi.com/aera/2017102100006.html
澤田晃宏 2017.10.21 11:30
東京・秋葉原駅前に集まった聴衆に「右でも左でもなく、前へ」「下から、草の根の民主主義を取り戻す」と枝野氏は呼びかけた(撮影/西岡千史)
女子高生までもが「エダノン」と叫んだ。市民目線の立憲民主党を率いる枝野幸男氏。彼の政治家人生をたどると、今につながるブレない芯が見えてきた。
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民主党から政権を奪還した験担ぎで自民党の“聖地”となった東京・秋葉原。投開票日まであと3日と迫った10月19日、「枝野」「エダノン」と叫ぶ約3千人(主催者発表)の傘の花が咲いた。
3カ月前の東京都議選では、聴衆の一部から「安倍やめろ」コールが起こり、自民惨敗の引き金を引いた場所でもある。聴衆を指さし、「こんな人たちには皆さん、私は負けるわけにはいかない」と発言した安倍晋三首相を意識したのか。マイクを握った立憲民主党の枝野幸男代表は演説終盤で聴衆を指さし、
「立憲民主党をつくったのは枝野幸男ではありません。私の背中を押して『枝野立て』と言ってくださったあなたがつくった政党、それが立憲民主党です」
選挙戦終盤で台風の目となったのは立憲民主党だった。産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の調査(10月12~15日)では、立憲は公示前勢力から大幅に議席を増やし、野党第1党に迫る勢いを見せている。「排除発言」で失速した希望の党の小池百合子代表が色あせる一方、安保法制廃止など民進党時代の主張を貫き、反自民の受け皿となって選挙戦の主役となった枝野氏。彼はどんな人物なのか。
枝野氏の趣味はカラオケ。福地氏は司法修習時代を振り返り「カラオケボックスにはよく行った。枝野が歌うのは演歌ばかり。歌う前後に一礼して、とにかく声が大きかった」(撮影/西岡千史)
■損得なしに動く人
弁護士の福地直樹氏は1989年7月から1年4カ月にわたる司法修習時代を、枝野氏とともに仙台で過ごした。民進党が希望の党に合流するニュースに耳を疑ったと福地氏は言う。
「枝野が小池百合子さんと一緒にやるとは思えなかった。小池さんには、弱者に寄りそうような姿勢が見えない。だけど、枝野は損得なしに動く人だ」
枝野氏は東京オリンピックがあった64年、宇都宮市のサラリーマン家庭に生まれた。祖父は政治に関心が強く、「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄を尊敬していた。名字に合わせ画数の良いものをと、宇都宮の二荒山神社で同じ読みの「幸男」と命名された。
小学校で児童会長、中学では生徒会長。宇都宮高校時代は校内弁論大会で「日教組問題」などをテーマに3年連続で優勝した。その一方で、中学、高校時代は合唱部に所属し、中学校ではNHK全国学校音楽コンクールで2年連続優勝している。
枝野幸男氏の歩み(AERA 2017年10月30日号より)
東北大学卒業後は24歳で司法試験に合格し、弁護士に。政界デビューは29歳のとき。日本新党の候補者公募に立候補し、地元ではなく、埼玉県大宮市(当時)を中心とする旧埼玉5区で初当選を果たした。都市部を選んだ理由を「地縁血縁などに頼らず、政策を主張して、それを支持してくれる人たちに投票してもらい、当選したいと考えた」(枝野氏の著書『それでも政治は変えられる』から)。
初めての選挙戦を手伝った枝野氏の小、中学校の後輩の鵜山雄一氏はこう振り返った。
「お金もなく、すべてボランティアスタッフでの選挙戦だった。弁護士らしく公職選挙法を厳密に守り、当選直後に業界団体などが続々とお酒などを差し入れにきたが、それもすべて断っていました」
前出の福地氏が政治家になった枝野氏に連絡をとったのは95年の1月。福地氏は血液製剤が原因でHIVに感染した血友病患者らが国と製薬会社を訴えた「薬害エイズ裁判」の原告側弁護団の一人だった。
「あらゆるパイプを使って国会議員に接触したが、動いてくれたのは彼だけだった」
国はあるはずの行政側の過ちを裏付ける資料の提出を滞らせ、10カ月後に和解勧告が出るも厚生省(当時)の無責任な姿勢は変わらない。枝野氏は国会で森井忠良厚生相に「和解勧告を尊重するか否か」とただし、「謙虚に検討したい」と述べた厚生相の官僚答弁に強く反発した。
「役人のつくった答弁を棒読みするのだったら、政治家が大臣をする必要はない」
■民進参院議員が反論
当時、さきがけの与党議員だった枝野氏が大臣を追及する前代未聞の事態は、与党内に波紋を広げた。さきがけ、民主党時代を枝野氏と共にした元衆院議員で、昭和音楽大学学長の簗瀬進氏はこう振り返る。
「検察ばりに尋問のように追及する姿から、『枝野検事』などと呼ばれていた。信念を曲げない激しさを持っている」
枝野氏の動きをキッカケに橋本龍太郎内閣で菅直人氏が厚生相に就任。被害者への謝罪に至ったことは周知の通りだ。福地氏は枝野氏にエールを送る。
「街頭演説では、民主主義イコール多数決ではない、少数意見を採り入れ、議論して前に進める政治が必要と訴えている。彼の信念は変わっていない。ただ、問われるのはこれから。党の代表として演説で話したことを実際に実現してほしい」
(AERA編集部・澤田晃宏)
※AERA 2017年10月30日号