人類が発祥したアフリカに若き人類学者として暮らした体験。留学し調査もしたフランス。そして日本。川田順造さんは3地点による「文化の三角測量」を通じて、人間とは何かを考え続けてきた。いま、「このままでは人類に未来はない」と静かに警告する。

 

 ■「つながり」の一部という自覚が人を強く、おおらかにする

 ――「人類に未来はない」。ドキリとさせられる一言です。

 「私の恩師、故レヴィ=ストロース先生が1955年に発表した『悲しき熱帯』の終章に、『世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう』という有名な一節があります。80年前にブラジル少数民族を訪ね、西欧の人間中心主義を戒めた著作ですが、いま私は改めてこの言葉をかみしめるべきだと思う」

 「生態系破壊と資源枯渇、人口爆発の危機。地球は末期的な状況です。地球46億年の歴史の中で、いまの人類であるホモ・サピエンスが誕生したのは20万年前のことでしかない。誰のものでもなかった土地に、強い者勝ちで縄張りをつくり、追い出したり追い出されたりしながら、ヒト同士殺戮(さつりく)を重ね、他の動植物の種も絶やしてきた。地球の危機は、人類のゆがみがもたらしたともいえます」

 ――人類学は、ゆがんでしまった人間の、原型を追究する学問でしょうか。

 「しきたりや習俗といった、人々が共通にもち、半ば意識されずに従う行動様式を『人を人たらしめるもの』と考え、研究します」

 「学生時代、私は当時の若者の多くがそうだったように、自分だけのためではない、より良い未来をつくるには何をなすべきかという理想を求めました。心情的に共感していた社会主義の現実に対する不信が生まれ、手応えのある対象を研究したかった。そんな時、民俗や様式、伝統、文化などが人々を結びつける『確かさ』として立ち現れてきた」

 ――サバンナが広がる西アフリカ内陸のオートボルタ(現・ブルキナファソ)に赴き、研究を始めました。53年前のことですね。

 「旧モシ王国という、文字をもたない社会を始めとして、アフリカ各地に通算9年半暮らしました。私の研究では15世紀にさかのぼる王国の歴史について、彼らは太鼓を使って細やかにたたき分けることで見事に伝承していました。音でなくかたちで過去を表す文化を磨き上げたナイジェリア・ベニン王国での調査と合わせ、太鼓言葉に文字と同じ『しるす』意味があることを明らかにしました」

 「初め私は、文字を持つことを人類の歴史の上で一つの達成とみて、無文字社会がその達成のない段階と考えていました。しかし彼らと暮らすうち、コミュニケーションが実に多様で豊かなことを知り、『文字を必要としなかった』とも思い至ります。むしろ、文字に頼り切った私たちが忘れているものを思い起こさせられました」

 「今でも思い出すのは、農閑期の夜、熾(お)き火を囲み、子供たちがお話を皆に聞かせるときの、素朴な喜びの表情です。昼間は大人にこき使われていた子供たちのどこから、こんな傑作な話が、いきいきした声で出てくるのか。文字教育で画一化されていない『アナーキーな声の輝き』と私は呼びました。録音を日本に持ち帰って友人に聞かせたら、声の美しさにみな驚きました。伝える喜びに満ちた躍動がありました」

 ――聞いてみたくなる声です。アフリカ。干ばつや飢餓、内戦など、自然や社会環境の厳しさというイメージが強いですが。

 「そうした話題でないと新聞記事になりにくいですからね。多くの人々は強大で荒々しい自然にうちひしがれ、受け身ながらも、日々をしぶとく楽しんでいます。野生植物を巧みに利用して生き抜く知恵のすばらしさ。富は分け合うものという了解もあった。最終的に私は、人々の驚くべき生命力と、おおらかな自己肯定感に感嘆せずにいられないのです」

 ――その生命力や自己肯定は、どこからわいてくるのでしょう。

 「共同体のつながりに対する信頼だと思います。いま生きている者は、死んだ人、これから生まれてくる人も含めた人間の大きなつながりの中の一部分にすぎない、という意識がある」

 「日常に性の言葉があふれているのも、そのことの表れではないでしょうか。死者の葬送で、年のゆかない子供も交じり、男女のパートに分かれて、異性の性器をからかう文句を大声でがなる。そんなユーモラスな合唱を聞いた時、なんとおおらかなしきたりだろうと、感動したものです。悲しいはずの死者との別れで、性を歌う。新たな誕生を待ち受ける期待も示しているのでしょう」

 

 ■失われゆく手仕事に宿る、日本人の豊かな想像力

 ――性の意味を、改めて考えさせられる儀式です。イザナギ、イザナミの「国産み神話」を読むと、古代日本人にもおおらかな性の意識は強かったようですね。

 「そう。国産みから始まる『古事記』は、日本人が持っていた豊かな想像力を示すテキストでもあります。たとえば『見立て』。対象を別の物になぞらえ、実在しないものをあるように思い描く」

 「『見立て』は異なる次元の感覚の巧みな組み合わせにつながって日本文化の奥行きを深めました。夜空に広がる一瞬の光を花に見立てた花火、喫茶に精神性を持たせた茶道、能を演じる空間など枚挙にいとまがありません。豊かな想像力が思い思いの創意工夫につながりました。その表れの一つが職人の手仕事だと私は思っています」

 ――職人の町の出身ですね。

 「隅田川の東、東京・深川に生まれて、7歳まで育ちました。北斎、広重、国芳も描いた街ですが、しみったれた感じが嫌いでもありました」

 「日本の職人仕事を見直したのはフランスで職人の調査をしてからです。西洋では装置を工夫し、人力を省いて畜力、風水力を利用します。日本では手に頼り、簡単な道具を多様に用いる。日本人の勤勉の表れでもあると思います」

 「和船の船大工や桶屋(おけや)、シナ織りや紙すき。三味線用の猫皮のなめしや座繰糸引き。日本各地に職人さんを訪ね、緊張感あふれる細やかな技に敬服しました。どれもみな消滅寸前です」

 ――失われていく文化を探す旅として、東京の下町言葉の膨大な聞き取り調査も続けてきました。

 「歯切れのいい言葉を聞いて育ちました。その後の聞き取りで、いなせな鳶(とび)職の語りにうっとりしたことも度々です。平安朝由来の、のんびりしたかな文字でせっかちな下町言葉を書き表すのは難しい。サバンナの子供たちのお話と同じで、躍動していますから。どちらも文字に頼らず、話し手の生きざまからじかに発せられた言葉だからです。そういう言葉が、私の大好きな、江戸の歌舞伎や落語を育てたのです」

 

 ■地球や他者へのおごり、自問することが希望への道

 ――方言の話し言葉も、先人が工夫を重ねた手仕事の伝統も、「つながり」、つまり共同体の大切な基盤なのだと感じました。

 「私がアフリカで感じた『共同体のつながりへの信頼』は、日本のどの地域の人々も、かつては同じように持っていたはずです」

 「地域などの共同体の揺らぎは日本では高度成長の始まった1960年代から本格化します。その後、とくにこの20年間のITの急速な発達と普及が、日本社会を新しい段階に突入させた。他者への関心と思いやりに欠け、自分に閉じこもる人たちを増やしたと思います。共同体の底に流れていた、人の役に立とうという意識、弱い者へのいたわりといった倫理は薄れてしまった気がします」

 ――物質的には世界有数の豊かさの国なのですが。

 「豊かになると幼児化が進むのは確かです。人類の進化につれ、霊長類の幼児期が延びるネオテニー(幼形成熟)現象が生じましたが、経済的に豊かになればなるほど行き過ぎになってきた。何をしてよいかわからないモラトリアム人間の増加はその表れです」

 「ホモ・サピエンスの誕生以来、人は大自然に対して圧倒的に弱い存在だと自認し、自然と共生して生き延びてきました。一人では生きられないから群れにあたる共同体と折り合いをつけ、知恵を出し合い、いたわりなどの倫理を働かせて、協力して生き抜くしかなかった。20世紀後半からの共同体崩壊は、それに頼らずに生きられる環境が経済的にも社会的にも形成されたことを意味します」

 「窮屈な共同体の中で自分を抑えることもなく、欲望を好きなだけ追求できる環境は、子供の部分を残したまま、年を重ねることを可能にしました。こうした状況と少子化との関連を考えています。日本の場合、経済的事情や長時間労働から出産をあきらめる女性も多く、これは経済や政治の問題です。ただ、欲望を実現する機会に恵まれた人々が、もっと個人的な楽しみを追求したいと考えることも、少子化の背景にあるのでは」

 ――育児、家事の負担が大きな女性に、確かにその気持ちは強いでしょうね。いまの時代に提言はありますか。たとえば教育は?

 「以前、学校で飼っていたニワトリの肉をクラス全員で食べるという授業の試みが、保護者の反対で中止されたと聞きました。そういう授業こそ大切だと、私は思います。肉は食べるが、そこに至るまでの作業は自分とは別の誰かがやるという、子供の心の中の意識を打ち壊すべきです。ほかの生き物の命で生かされているという自覚、リアリティーを持つことは、自然とのつながりを取り戻すことへの第一歩です」

 「子供だけでなく、大人もそう。あなたは『満月を過ぎると、月の出は早くなるか遅くなるか』と聞かれて即答できますか? インターネットで得た知識で人がばらばらの世界に生きる現状では、共同体の再構築はすぐには不可能かも知れません。でも一人ひとりが自然や地球、宇宙とのつながりを意識すれば、状況は変わるのではないか。地球に傲慢(ごうまん)になりすぎていないかと自問する謙虚さを取り戻せるかが、人類の未来にかかわって来るでしょう」

 ――希望は持てるでしょうか。

 「『もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる』。私が好きな魯迅(ろじん)の言葉です。人類の先行きには確かに悲観的にならざるを得ませんが、私は人間には未来志向のDNAが備わっていると信じています。これまで幾多の困難を克服してきた強さは確かなものだから」

 「克服する武器は、問題のありかを考える知的好奇心と想像力、ほかの人々や自然とつながろうとする感覚だと思う。流される情報を受け取るだけではなく、自分の心の底にある言葉をすくいとって、それを他者にいきいきと伝えるにはどうすればいいか、まず考えてみてはどうですか。自分の中の武器を眠らせないために」

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 かわだじゅんぞう 34年生まれ。東大教養学科卒(文化人類学専攻)。パリ第5大博士。東京外語大教授などを経て現在、神奈川大特別招聘教授・日本常民文化研究所客員。著書に「口頭伝承論」「江戸=東京の下町から」「人類学的認識論のために」「日本を問い直す」「<運ぶヒト>の人類学」など。訳書にレヴィ=ストロース「月の裏側」など。文化功労者

 

 ■取材を終えて 藤生京子

 アフリカでの思い出をひとしきり語ったあと、川田さんはこう続けた。「分かったなどとは、とてもいえない。訪ねるたび、いつも教えられることばかりだから」

 執念深く細部に迫っていく緻密(ちみつ)さ、同時に人類史の地平までさかのぼるスケールの巨(おお)きさ。そうした全体的かつ根源からの思考が今ほど求められている時代はない、と思う。

 戦争の暗い時代を知る川田さんは現代日本人のおごりを危惧する一方、復古主義には陥らないと明確だった。未来を切り開くことの大切さを説く80歳の現役学者の飽くなき探求心に、勇気をもらった気がした。