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震災から4年を振り返り、15歳になった只野君が今問いかける 

2015-03-14 20:55:28 | シェアー

「福島の人たちは故郷があるのに帰れない。お年寄りは故郷に戻れる前にこの世を去ってしまう。オリンピックとか言ってるけど、原発事故の対策の方が必要なんじゃないの」

 

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大川小出身 15歳になった只野君が今問いかける

[2015年3月11日9時24分 <iframe class="hatena-bookmark-button-frame" style="font-size: medium;" title="この記事をはてなブックマークに追加" frameborder="0" scrolling="no" width="50" height="20"></iframe>

震災から4年を振り返る只野哲也

 11年3月11日に発生した東日本大震災から今日11日、4年を迎えた。学校管理下の震災被害では最悪の惨事となった石巻市立大川小。海岸から約4キロ離れ、地震から津波到達まで約50分の時間があったが校庭にとどまった児童74人、教職員10人が死亡、行方不明となった。学校にいた児童で生還できたのは4人だけ。当時小学5年だった只野哲也君(15)は生還者として震災直後からただ1人、大川小の悲劇を語り継いできた。悲しみと向き合い、震災を考えた4年の思いを語った。

 「『日本が世界で一番暮らしやすい国』なんてよく言うけど、誰が決めたの?」

 15歳になった只野君は真剣な瞳で語った。

 「福島の人たちは故郷があるのに帰れない。お年寄りは故郷に戻れる前にこの世を去ってしまう。オリンピックとか言ってるけど、原発事故の対策の方が必要なんじゃないの」

 同じ悲しみに暮れる他の被災地を思うと、行き場のない怒りがこみ上げる。国を動かす大人たちへの不信感も湧いてきた。「国会内だけで話さず現場に行って。そして、カメラが回る時だけ悲しそうな顔をしないでほしい」。

 4年前の今日、6人家族のうち、母しろえさん(享年41)、妹未捺(みな)ちゃん(同9)、祖父弘さん(同67)を津波で失った。父英昭さん(44)は仕事場にいて、祖母アキ子さん(68)は別の場所にいて助かった。未捺ちゃんは大川小の3年生だった。

 あの日、只野君も生死をさまよった。2階建ての校舎全てをのみ込む津波と、激流に押し流された児童が、とてつもない勢いで体に当たった。「つぶされる」。体がしびれて記憶を失った。気がつくと山に倒れていた。北上川との境さえ分からない、津波にのまれた小学校を見下ろすと、黄色いもやがかかり、ぼんやりとしていた。「さんずの川のようだった。死んだんだと思った」。

 この世の終わり-。そんな風景だった。天候が一気に変わる。黄色い景色から一転、灰色の雲が押し寄せ、雪が降りだした。「歯が虫みたいに『ガタガタ』と音を立てて震えた」。流れ着いたずぶぬれの毛布をかぶり、ほぼ寝ずに一晩を過ごした。

 父英昭さんと再会したのは2日後。両目に大けがを負った姿を見た泣きじゃくる父に「おっとう、泣くな」。それが第一声だった。

 「タイムマシンがあれば震災前に行って、今すぐ(歴史を)変えたい。俺だけ逃げちゃって、妹がいたのに、悔しくて…」。今でも夢に未捺ちゃんが出てくる。朝起きると、いない現実を不思議に思う。

 「あれ、どこ行ったんだろう。そう一瞬思う。今でも、ひょっとしたら帰ってくるんじゃないかって…。留守番している気分なんですよね」

 津波の瞬間は今もフラッシュバックする。心の傷は癒えるどころか、深くなっている。それでも「みんなが生きていた証しがないと本当の意味で死んでしまう」「悲劇を繰り返させない」との思いで、少年は気丈に震災直後から実名でメディアの取材にも応じた。後世に津波の恐ろしさを伝えるため都内にも出向き、大川小校舎の保存を訴えてきた。

 「合格したよ!」

 自宅の玄関を開けた瞬間、本来ならそう喜びを爆発させたかった。先月、宮城県石巻工業高校に合格。しかし伝えたい母、妹、祖父はいない。祖母アキ子さんにそっと合格を伝えると、うれし涙を流してくれた。外出中だった父英昭さんには携帯電話で伝えた。

 2月11日の月命日。大川小の慰霊碑に高校合格を報告した。「あの日みんな小学生だった。また年が離れちゃうね」。自分だけ大人になる寂しさが募った。

 そして4度目の命日。天国の家族3人に伝えたいことがある。

 「泣き虫じゃなくなりました。泣いても3人は帰って来ないから。意味がないって分かったから。泣いてる時間がもったいない」

 奇跡の生還から4年。157センチだった身長は、172センチに成長。高校でも柔道を続け、目標は大きく「全国大会」だ。「本当に伝わっているのか」との葛藤もあるが、今後も震災を語り継ぐ使命を感じている。

 ランドセルを背負った少年には重すぎた震災。4年間で力強く生きるしかないと心に刻んだ。生きたくても生きられなかった未捺ちゃんや、友人の分まで。【三須一紀】

 

 

 

 

 


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