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5月第2日曜日『母の日』の由来をご存知ですか?・・・諸説ありますが、本格的に母の日を祝いたい本物志向のあなたへ

2018-05-13 22:11:30 | 紹介

母の日はキリスト教由来の行事―本格的に母の日を祝いたい本物志向のあなたへ

https://ameblo.jp/justincase/entry-11582871920.html

Sat, May 10, 2008

 
2008年5月10日(土)の記事を転載

5月第2日曜日の「母の日」は、キリスト教的生活の中から生まれた教会行事暦の1つである。その起源には諸説あり、詳細の点で微妙な差異はあるが、概ね次のようなものである。

英国、ならびにアイルランドではキリストの復活日(イースター)の3週間前を「母の日」または「母の日曜日」と呼ぶ。その起源は16世紀にまで遡る。当時、若い奉公人や奴隷として働いた若い女性らは、年に一度、主人からその週末に休暇をもらい、自分たちの母親を教会に訪ねることが許された。その時、教会に家族一同が会したという。母にとって子供たちと再会できるこの日曜日こそ最高の贈り物であった。

英国の教会で生まれた母の日は米国の教会にも影響を及ぼすこととなる。

「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-080510a1905年5/9、アナ・ジャーヴィス(1864~1948年)の母アン・ジャーヴィス(1832~1905年)が天に召された。アンは1852年、ウェスト・ヴァージニア州の小さな教会の牧師と結婚。社会活動家としても活躍し、1858年に「母の日ワーク・クラブ」を結成し、病気で苦しんでいる人たちを助けるための募金活動や、病気予防のため牛乳や食品の検査など、公衆衛生に努めた。南北戦争(1861~65年)が始まると、「母の日ワーク・クラブ」は中立を宣言して、南北双方の負傷兵の看病をした。戦争も終結に近づいた頃、彼女は戦争で傷ついた人々の心を癒そうと、今度は「母の友情の日」を企画。政治に関係なく南北双方の兵士や地域の人たちを招き、お互いに敵意を持つことを止めさせようとの狙いがあったこのイベントは、大混乱の恐れがあったにもかかわらず、大成功を収めた。
※写真はアナ・ジャーヴィス

アンは戦争や病気で8人も子供を失っている。2人残された子供の内の一人がアナで、もう一人は盲目であったそうだ。彼女は早くに夫を亡くし、女手一つで娘たちを育て上げ、自分の子供のみならず、教会学校の教師としても多くの子供たちに愛情を注ぎ込んだ。アンが召された時、悲しみに包まれた子供たちは、「アン先生が召された日に教会に集まろう。そしてその時に娘さんのアナさんを呼ぼう」と相談した。そして、アンの死後2年経った1907年5/12、子供たちは集まり、娘のアナも母の好きだったカーネーションを飾花し、母を偲んで記念礼拝をささげた。アナの母アンへの想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、翌1908年の5/10には同教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝った。アナは参加者全員に、母が好きであった赤いカーネーションを手渡した。

アナは、自分の通うフィラデルフィアの教会にも働きかけ、5月第2日曜日に「母の日」礼拝が行われた。このことが列席者一同に大きな感動を与え、デパートという販売法を考案した実業家で後にデパート王と呼ばれ、郵政長官も歴任し、教会学校運動の推進者であったジョン・ワナメーカーの賛同を得、同氏の店頭で母に感謝する会が盛大に催された。その後、法律家であったアナは、ジョン・ワナメーカーと共に大統領・議員・企業家たちに働きかけ、「母の日制定キャンペーン」を開始。その甲斐あって1911年頃には殆どの州で「母の日」が祝われるようになった。1913年、議会で母の日制定が満場一致で可決され、1914年、第28代大統領ウッドロウ・ウィルソン(1856~1924年)により5月第2日曜日を国民の祝日「母の日」と制定した。ウィルソン大統領は1919年ノーベル平和賞を受賞している。

このほか、母の日の起源として、米国の南北戦争終結直後の1870年、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がった奴隷廃止主義者で女性参政権運動家のジュリア・ウォード・ハウ(1819~1910年)が、反戦と武装解除を訴える「母の日宣言」を発したことに見る説もある。しかし、ハウの平和運動としての「母の日」は、アン・ジャーヴィスの「母の日ワーク・クラブ」にヒントを得たものであったが結局普及することはなかった。ただし、ノーベル平和賞受賞者であるウィルソン大統領が母の日を制定したことは興味深い。

「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-080510b日本には早くも1912(大正1)年には教会経由で導入され、翌(大4)年、当時のキリスト教系大学青山学院教授であったファニー・W・アレキサンダー女史(1862~1940年)が学院内のチャペルで「母の日記念礼拝」を行ない、その後「日本キリスト教婦人矯風会」(1886年設立。日本で最も古い婦人団体)等キリスト教関係団体が中心になってこれを広めた。
※写真はファニー・W・アレキサンダー

昭和に入ると“皇后をもって日本の母”とするという考えから、1927~1945(昭2~20)年まで、香淳皇后(昭和天皇の后)の誕生日3/6が「母の日」(地久節)とされたが(戦前まで女学校では休日とされた)、第二次大戦後、1949(昭24)年頃から再び5月の第2日曜日に戻された。

また、一般に広く知れ渡ったのは、1936(昭和11)年、当時クリスチャン企業であった森永製菓が日本に「母の日運動」を広め、定着させる諸活動を推進するため、「森永母をたたえる会」に発足したことによる。翌1937年、「第1回森永母の日大会」を東京・豊島園に20万人の母親を招待して開催したのを皮切りに、「私のおかあさん」図画・作文募集などの催しを開始し、さらに全国各地で「森永母の日大会」を開催して、日本に「母の日」を定着させる大きな原動力となった。

ちなみに日本では「母の日」は祝日には制定されていないが、法律上の母の日にあたるのは5/5の「こどもの日」である。祝日法によれば「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」とある。しかし、こどもの日に感謝される母は殆ど皆無と言ってよい。さらに日本の母の日の市場規模は、5000億円(2002年度データ)と言われている。この数字は年末に盛り上がるクリスマス商戦(2002年度は4000億円)の1.25倍多い数字。即ち母の日は、バレンタインよりもクリスマスよりも市場規模の大きい日本最大のギフトイベントだと言えるのだ。

実はかつて、母の日提唱者であったアンも早くも消費文化の中で歪曲されてしまった母の日を嘆いた。1923年の母の日フェスティバルにおいて、アナは母のシンボルだった白いカーネーションが1本1ドルという当時では信じられないほど高値で売られているのを目にし、「貪欲のために母の日を侮辱している」と怒り、行事差し止めの裁判を起こした。しかしアナは敗訴し、以来彼女は世間から皮肉屋として白眼視されるようになってしまった。その後、母の日の商業化はますます加速化していったのは言うまでもない。

残念ながらクリスマスをはじめとした日本に渡来したキリスト教行事の殆どが商業化されている。母の日は本来、母を与えて下さった造り主なる神に感謝し、教会で礼拝を持つことがその起源であった。そして、親から子への信仰の継承の大切さも教えるものであった(テモテ1:5)。この理念を忘れてはならない。そして、私たちクリスチャンは決して福音をこの世うけする売り物にしてはならない(マタ10:8)。

イエス・キリストは、聖書の十誡の第五誡「あなたの父と母を敬え」という言葉に忠実に生き、極限状況の中、十字架の上からさえも年老いた母マリヤを想い、その行く末を愛弟子のヨハネに託された(ヨハネ19:26,27)。

十字架の愛を知る者(クリスチャン)の母を愛する愛が、母の日を世界に浸透させた。ちなみに、赤いカーネーションの花言葉は「熱烈な愛」。聖母マリアの涙から生まれた花という伝説もある。カーネーションの語源は、諸説あるが、ギリシャ語”コロナ”(王冠=花の形状)やラテン語”カーン”(肉=花の赤色)といったものがある。「王冠」は十字架上のキリストの頭に食い込んだいばらの冠を、「肉」は受肉されたキリストを連想させる。両者とも十字架の愛を想起させるものだ。

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
(新改訳 ヨハネ3:16)

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
(ヨハネ4:7~11)
本格的に母の日を祝いたい人は、まずキリストの十字架の愛を知ってほしい。本物志向のあなた、是非教会で本物の母の日を祝ってほしい。
 
 
 
 
 
 
 
 


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