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【基地問題】 米軍基地を追い出したフィリピンの発想(伊藤 千尋さんFBより)

2015-11-30 15:03:20 | 平和 戦争 自衛隊

伊藤 千尋さんFBより

米軍基地を追い出したフィリピンの発想

 基地問題でよく言われることがあります。「基地がなくなれば基地労働者が生活できなくなって、かわいそうだ」「基地があるから地元は経済的に潤うのだ。よそ者はとやかく言うな」。心優しい人ほど、つい同調しがちです。
 そう思う人にぜひ、知ってほしい。フィリピンでは日本人が思いつかないような発想をして、基地労働者も一体となって米軍基地を追い出しました。

...

 かつて独裁者が支配したこの国で1986年に市民革命が起きたことは11月20日に「原発をやめ地熱発電大国になったフィリピン」のタイトルで紹介しました。翌年に制定された新憲法では「国家政策としての戦争放棄」をうたうとともに、条件付きで「領土内に外国の軍事基地、軍隊あるいは施設は認められない」と明記しました。
 この時点でフィリピンには、沖縄を上回るアジア最大の米軍基地がありました。スービック海軍基地とクラーク空軍基地です。第2次大戦後にフィリピンが米国から独立したさいに米国がフィリピンとの「安保条約」で押し付けたもので、とりあえず1991年まで米軍が使えることになっていました。

 まさにその年に起きたのが、基地に近いピナトゥボ火山の噴火です。20世紀最大の噴火と言われた災害で、麓の人々は逃げました。真っ直ぐ逃げるには基地を通らなければなりません。しかし、基地は避難民に対して門を閉ざしました。「基地だから入ってはならない」というのです。これが問題になりました。
 フィリピン政府はそれまで「米軍基地はフィリピン人を守るためにある」と説明していましたが、現にそうではないことが明らかになったのです。米軍に土地を基地として貸すのはやめよう、という声が全国から沸き起こりました。
 クラーク空軍基地は火山灰に埋もれたため、米軍は手放すことに同意しました。でも、スービック海軍基地は今後も使いたいと通告しました。

 米国とフィリピンの間の「安保条約」は日米安保条約とそっくりです。どちらかの国がやめると言えば、1年後に米軍は撤退しなくてはならないのです。日米安保条約第10条にも、そう書いてあります。日本の国会が「や~めた」と言えば、米国がいくら基地を使いたくても、撤退しなければならないのです。
フィリピンの国会は、それをやりました。この問題を審議する上院は世論を受けて、米国との基地協定を継続しないと決めました。このため翌年の1992年に米軍基地は完全に撤退したのです。国民の力で米軍を追い出したのです。

 このとき一つ問題がありました。基地労働者の生活です。基地では4万2千人のフィリピン人が働いていました。当時のフィリピンの1家族は7人ほどですから、約30万人が基地で暮らしていたのです。基地がなくなれば生きていけないと考えた彼らは当然、反対しました。
 そのとき、市民から声が上がりました。「基地をなくして、もっとたくさんの人が働けるようにすればいいじゃないか」と言うのです。「基地労働者は米軍の下請けで誇りを持てず、危険な作業を強いられている。同じ国民をひどい状況に置いていいのか。誇りを持てる安全な仕事の方がいいじゃないか」とも。
 日本人は現状を固定して考え、「それがなかったら困る。だから今のままにしよう」と考えがちですが、フィリピン人は「もっといいものにしたらいい。だから変えよう」と積極的な発想をするのです。ここが違います。

 基地の隣のオロンガポ市のゴードン市長が音頭をとって、基地跡を再開発する案を市民から募りました。採用されたのはNGO「プレダ基金」の案です。フィリピン女性が米兵から暴行を受ける事件が何度も起きましたが、それを防ぐ活動をしたNGOです。基地跡を産業地区、レジャー施設などに分割するという案に沿って再開発が進みました。
 最初の3年は思うように進みませんでした。しかし、5年目に成果が現れました。この年、私が訪れると米国や日本、韓国からも企業が進出し、かつての基地跡では6万7千人が働いていました。基地だったときの1・5倍です。
 さらに2012年に再訪すると、9万人を超えていました。2倍以上です。日本の企業団地もあります。僕は車で基地跡をめぐりました。米軍の弾薬庫跡がフレンチ・レストランになっていました=写真。

 とはいえ、それで万々歳ではありません。追い出された米軍は南シナ海の領有をめぐるフィリピンと中国の対立を利用して、米軍艦がフィリピンを「訪問」できる協定を結びました。さらに「駐留」できるよう画策しています。しつこいですね。でも、基地の復活には至っていません。
 日本で基地返還を話すと、「どうせ無理」とあきらめる人がたくさんいます。ここはフィリピンの人々の積極的な姿勢に学ぶべきでしょう。日本人に必要なのは楽観的かつ創造的な発想で取り組むことだと思います。
 と思っていたら、まさに沖縄の人々がそれをやっちゃいました。今、がんばっている翁長知事は、かつて自民党沖縄県連の幹事長として基地を推進した人です。その彼がなぜ変わったのか、なぜ沖縄は「オール沖縄」になれたのか。そこには、実は世界でも日本でも基地が減っているという状況があります。詳しくは次回へ…。 

 

 

 


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1 コメント

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Unknown (とろ)
2015-11-30 21:16:35
国民の力で米軍を追い出したのです。

そして、今、米軍戻ってきてとラブコールを送っている。
そこを記載しないとダメだと思う。
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